第47話 外伝 とくべつないちにち

 佐竹佳恵は二階にある一室のドアノブに手を掛ける。

 ここは一年前まで、息子の健太が使っていた部屋だ。


 昨日、夫婦として二十年間過ごしてきた夫、佐竹順一との離婚が決まった。

 結婚してから浮気や不倫も一切なく順風満帆を日々を過ごしていたが、二人がそれぞれ立ち上げた、事業が軌道に乗ると、夫婦仲は拗れていき、そして、突然知らされた息子の事故死により、夫婦は完全に壊れてしまった。


 そして、そんな今日は、健太の誕生日であり命日でもある五月二十日。本来なら十六歳になっている年だ。

 それに伴い、死んだ健太の部屋の遺品整理をすることにした。


 健太が死んでからは気持ちの整理ができず、近づけなかったこの部屋。

 主人を失い、誰にも近づかれなく、一年ぶりに開かれた部屋は、健太が死んだ時と変わらない状態で残っていた。


ドアを開けた瞬間、部屋から感じる異臭に、佳恵はすぐさま窓を開き換気する。

中は衣服が床に脱ぎっぱなしの状態で放り出され、食べかけのお菓子や、ジュースもそのままで、本当にあれから誰も入ってはいなかった。

 佳恵はまず、部屋の掃除から始めた。



――

 死んだからと言って年頃の子供の部屋を漁るのはあまり楽しいものではない。


部屋の端にある大量の本棚の中に詰め込まれた無数のゲーム、漫画、アニメのBD

中には未成年は見てはいけないものもあったが、佳恵にはとやかく言う権利はなかった。


 事業を再開してからの数年間、ずっと放置した続けた結果、健太の事を何も知らなかったことに気づいた。


健太が五歳になったのを機に、一度止めた、事業を再開。

 そして仕事が上手くいき、つい楽しくなり始めたことで、徐々に家庭に構わなくなっていった。


 健太も何も言わなかったので、何もしていなかった。

 ただお金をくすねていたことは気づいていたので、健太が望むならと、欲しいときにお金が取れるように、財布に定期的に、お金を補充し、誕生日は堂々と使えるお金を渡していた。

 それでお互いが満足していると思っていたからだ。


 だがそれが間違いだったと今になって気づく。



――

佳恵は床に散らばったものを粗方片付けると、今度は綺麗に並べられている本棚の中の物を手に取り、一つずつ埃を取り除いていく。


 部屋の床に衣服やゴミが散らばっているのに対し、漫画やゲームに関しては綺麗に並べられてるのを見ると、これらを大切にしてる事がはっきりとわかる。

 佳恵は綺麗に並べられている物を掃除すると元あった時と同じ並びで戻していく。


 傷ひとつ見当たらない大切にされたおもちゃ。そんな中、一つだけ少し場違いな古びたノートを発見する。


 『とくべつないちにち』


 子供の可愛らしい字で書かれたタイトルの入ったノート。

 佳恵は後ろめたく感じながらも開き、読み始める。


 5がつ 20にち

 きょうは、ぼくの、6さいのたんじょうび、おかあさんとおとうさんとぼくで、はじめてすいぞくかんにいきました。

 いつもはしごとであそべないけど、きょうはぼくのたんじょうびということで、とくべつなひだから、おとうさんとおかあさんがすいぞくかんにつれていってくれました。

 わがままをいってもおこられなくてすごくたのしいいちにちだった。

 これからもとくべつなひのことをかいていきたいとおもいます。

 つぎはゆうえんちにいきたいなあ


 子供らしい文章が書かれた日記に佳恵は思わずほおを緩める、そして、そのまま、次のページをめくる。


 しかし、次のページは真っ白だった、次だけではない、その先も一切、何も書かれてはいなかった。


 書くのに飽きたのだろうか?


 違う、他に書く日がなかったのだ、三人で遊びにいったのは後にも先にもこの時だけだった。


 そして、佳恵は思い出す、急な仕事で構ってあげられなかった時、普段は何も言わなかった健太が一度だけ、駄々をこね、引き下がらなかった時があった……そう、あの日も健太の七歳の誕生日だ。


 当時、夫共々仕事が軌道に乗り出し、追い込みの時だった。

 駄々をこねるまだ七歳になったばかりの無知な子供に、夫は間違った常識を教え、自分たちの行動を肯定し、これが普通の事と教えた。


 明らかにこちらが悪いのに、夫の自分達を肯定し、健太が間違っているような言い草に少し疑念を感じたが、自分も夫側の立場なので何もいわなかった。

 健太もそれ以降言ってこなくなったので、健太も分かってくれたのだと思っていた。


 しかし、違った。


 ただ諦めただけだった、健太はあの時より自分達と近づくことを諦めたのだ。


 本当は遊びたかったのに、仕事で忙しい事を考えて、毎年特別になれる日……自分の誕生日まで我慢しようとしていた。

 

 誕生日という特別な日なら必ず連れて行ってもらえると考え、我慢していた息子の思いを踏みにじったのだ。

 

「健ちゃん、ごめんね……ごめんね……」


 真っ白なページがポタポタと雫の後で埋められて行く。

 佳恵は誰もいない部屋の中で一人涙を流し呟く。

 もう決して届くことのない懺悔の言葉を述べながら……


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