第30話 優しくなくても助けるさ

「あぁ、生き返りますぅー!」

 湯気に包まれた温泉の中。

 キャンディスは褐色の肌に湯を浴びせ、何度も手足をもみしだいていた。

「ほんと、無茶するよ」

 その背中を撫でさすりながら、ロビンは大きくため息をついた。


 ただでさえ冷気のただ中にいたうえ、ロビンの手を温めるために自分の体温を犠牲にしたのだ。凍傷は見当たらなかったが、命に関わるほどに体温を失う直前だったろう。

 さいわい、ドニースウィードが温泉脈を凍りつかせたのはほんの数分ほどで、すぐに以前と同じように湯が沸くようになったようだ。

 宿のオーナー曰く、「街のあちこちから湯が噴き出して大変だった」ということらしい。

 大けがこそなかったものの、寒くなったり暑くなったり、街は一時的に混乱していたようだ。

 竜を倒すために必要だったとはいえ、まさかそれを引き起こしたのが自分たちだとは言えず、すべての責任を竜と竜騎士に押し付けておくことにした。


「ロビンさんなら、きっとやってくれると思ってましたよ」

「あんまり過大評価しないでよ。ほんと、一か八かだったんだから」

 つややかな背中に浮かぶ肩甲骨を眺め、しっかりと伸びた背筋を撫でて血流を促しながら、ロビンはため息をつく。

 結局、遺跡は竜を倒したのち、すぐに鎮静化した。真機石の意志によるものか、つなぎなおした配線がうまく働いてくれたためかはよくわからない。あのまま火山脈が活性化し続ければ、どこかから……もしかしたら、あの遺跡の真下から溜め込まれた溶岩が噴出していたのかもしれない。


「でもさ……」

 ロビンの声が、わずかに沈む。

「竜滅教団の連中、まだこの街にいるんだろ? 顔を隠してたから誰かわかんないし……」

「罰するべきだと思いますか?」

 キャンディスが振り返り、ロビンの顔をのぞく。近眼のせいか、やけに近い距離で見つめられて、ロビンは思わず息をのんだ。


「そりゃ……俺たち、殺されそうになったんだよ」

「でも、ソールさんは彼らのために戦ったんだと思いますよ」

 キャンディスはそういって、いたずらっぽく目を細めた。

「はあ? なんで?」

「だって、竜を倒すために旅をしているのでしょう? だったら、竜をもっとも恐れている人たちこそ、一番の被害者です」

「竜の到来を願ってるやつらが、一番竜を恐れてるって?」

「絶望の次には諦観が、その次には自棄ヤケが来るものですから」


 その言葉に、ロビンはちくりと胸が痛むのを感じた。

 ソールと出会う直前の自分を思い出したからだ。

「……確かに、そうかもね」

「もしかしたら、まだ竜騎士に加担する人がいるかもしれません。でも……」

「バーンの戦いを見てたはず、か」

 キャンディスは微笑んで、ゆっくりとうなずいた。


「ロビンさんも、体を休めてください。明日は忙しくなりますよ」

「ほんと、誰かさんが肩に大穴開けられたせいで修理が大変だよ」

 湯の中でがっくり肩を落として、ロビンは細い肩をすくめたのだった。



 ■



 修理されたばかりの衝立を挟んで、男湯ではソールの背中を、鷲鼻の男……ウィードが磨いていた。

「っつー……もう少し、ゆっくりしてくれ」

 左手で右腕を支えながら、剣士が顔をすくめる。鍛えられた筋肉の形が浮かぶ腕には外傷はない。しかし、巨人機とつながっていた腕には、はっきりとバーンが受けた傷の痛みが残されているのだ。

「……悪いな、俺のために」

 ぼそりと、ウィードがつぶやく。


「いや、君の血に竜が封じられていたのは君のせいじゃない。体の痛みは、寝れば取れるよ」

「そうじゃない。俺があんたの剣を盗んだり、遺跡に連れて行ったり……罠にかけちまった」

 下を向いたままのウィード。ふ、っとソールが息をつく。

「それも、君のせいじゃない。竜騎士がそう仕向けたんだ」

 考えてみれば、正面からバーンの剣を盗むなんて、一人でやってうまくいくわけがない。最初から、失敗させて彼に無力感を植え付けるつもりだったのだ。


「教団に君を狙わせたのも、君を追い込むためだ。死にさえしなけりゃ、重傷を負わせるぐらいはかまわないと思ったんだろう」

「最初から、俺が狙いだったのか?」

「どういうわけか、やつには竜の封印がわかるらしい。君の境遇を利用して、竜に魂をささげさせようとしたんだ」

「あの時は、俺なんてどうなってもいいと思った」

「誰も助けてくれないときは、そういうものさ」


 二人の間に奇妙な沈黙が降りる。

「竜の中から取り出さなくたって、俺をあのまま殺したってよかっただろ?」

 やがて、ウィードは顔を上げ、ソールの頭の中をのぞこうとするように見つめながら、聞いた。

「俺のこと、憎いとは思わなかったのか?」

「まあ、あまり好きな方じゃなかったな」

 ソールは口元に小さく笑みを浮かべていた。


「でも、なんていうか……」

 ソールの視線が一度あたりをさまよってから、何かに思い至ったように太い眉がはねた。

「目の前で死なれちゃ、誰だってイヤだろ?」

 ウィードは……結局その頭の中は覗けなかったので……がっくり肩を落として息をついた。

「もうちょっと、何かないのか? ほら……君は本当は優しい人だと思った、とかさ」

「優しくなくても助けるさ」

 再び沈黙が降りた。


 ウィードは湯を救い、ソールの背中に広がった泡を流した。

「ありがとよ」

「やるべきことをやったまでさ」

 剣士は肩を借りて体を起こし、湯の中に身を沈める。温泉の効能は、疲労と痛みに効くらしい。


「ところで、どっちがあんたの女なんだ?」

「な、何っ?」

 不意打ちのような問いかけに、思わず声が裏返った。

「隠すなよ。何日も一緒に旅して、何もないってことないだろ?」

「ま、待て、何か勘違いしてるぞ。目的が一緒だから、旅をしてるだけで……」

 ソールが身動きをとれないのをいいことに、ウィードは二やついて言葉を続ける。

「おいおい、いい歳の男が何言ってるんだよ。黒い方か? あの小っちゃい奴ってことはないだろ」

「だから……」


「さっきから、聞こえてるんだけど!」

 修理中で薄い衝立の向こう側。甲高い叫びが聞こえてきた。

「そんな目で人のことを見ていたなんて……」

 反響するキャンディスの声音は、嘆いているのやらからかっているのやら判別がつかない。

「ご、誤解だ。俺は……」

「もういいよ!」

 ロビンの吠えるような声とともに、ばしゃばしゃと湯をあがる音が聞こえてくる。


 ソールは恨めし気に隣の男を見やった。ウィードは楽しそうに笑っていた。

「人はすぐに変われないな」

「そうかもな」

 男はそのつぶやきを聞いて、ますます楽しげに湯を手のひらで叩く。

 が、不意にそれを止めると、小さな声で言った。

「竜騎士はコーヤに向かったはずだ」

「……確かか?」

 ウィードが小さくうなずく。

「あっちは、ここよりもずっと教団の人数が多い。気をつけろよ」

 湯気の中で、ソールは東に視線を向けた。彼方に、黒金剛石の放つ闇が見えた気がした。

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