第20話 竜騎士ゾラン

 オーランドの言葉通り、竜との戦いは夜明け前に終着した。

 だが、まだすべてが終わったわけではない。

 大図書館。

 衛兵たちが居並び、短い剣をいつでも抜ける体勢を整えている。

 その中央には国王オーランドが、額のしわを一層深くしていた。


「我が国の最高機密を牢屋代わりにするとは」

 あきれた調子の国王に、ロビンは視線を逸らし、深い階段の下の扉を見下ろした。その中に、黒兜の男がいるはずだ。

「こ、これしか方法がなかったんだ。それに、もとはと言えば竜が現れたのもあいつのせい……なん、だよね?」

 いまいち自信なさげな声は、隣にいるソールに向けられたものだ。剣士は小さく、顎を引くようにうなずいた。わずかな仮眠だけで巨人機と『つないだ』せいで、その顔には疲労が色濃い。


「ああ。奴が行く先で竜が何体も出没している。奴は竜の出現に関わっている……」

 ソールもまた、腰の剣に手をかけている。ここで、黒甲冑の男を捕らえるつもりなのだ。

「……あるいは、奴こそがなのかもしれない」

 衛兵たちの間にざわめきが広がる。一体何者が竜を呼び出し、あるいは操っているというのか。そんなことが可能なのか。そしていったい何のために……

 分厚い扉は、今は静まり返っている。


「それでは、陛下。カギを」

 キャンディスがオーランドの前へ進み出て、うやうやしく両手を差し出した。

「うむ……」

 国王が懐から、時代がかった装飾の鍵を取り出す。実際には、何十年も受け継がれているものではない……扉にかかっている錠と同じく、十数年前に作られたものなのだろうが、細工師が気を利かせたのだろう。


「気を着けてくれ」

 王が小さく告げる。

「私には守り神が着いていますから」

 司書はケープの内側に吊るした短いワンドを示して微笑んだ。その先端には青い輝きを放つ機石が埋め込まれている。明星術師スターキャスターが姿を変えたものだ。

「それでは……」

 幅広の階段を、キャンディスが下ろうとしたとき。


「待て!」

 ソールがその腕をつかむ。直後……

 階下の扉がきしむ音を立てた。見る間に、扉を支える壁にひびが走っていく。

「何が……」

「下がれ!」

 叫び、ソールがキャンディスの腕を引く。


 直後、金属のねじ切れる深いな音を立て、扉がはじけ飛ぶ。十年来、誰にも破られることのなかった扉が、勢いのあまり階段に激突する。

 そして、扉を跳ね飛ばしたが顔をのぞかせた。

「っ……!」

 それを見た誰もが声を詰まらせた。

 うろこに覆われた表皮。大きなあぎと。ねじれた二本のツノ、そして黄色く濁った丸い瞳。

 竜が、そこにいた。



 ■



 竜は、むりやりに扉があった場所へ体を押し込み、通り抜けようとしている。体をゆするたび、壁に走るヒビが大きく、深くなっていく。

「みんな、下がれ!」

 ソールは叫び、剣を引き抜く。だが、フロラーグとの戦いで消耗した機石は、あとわずかの魔力しか残っていない。それはキャンディスも同じだ。

(一撃で決めるしかない……)

 ここは狭い。大図書館に被害を与えずに討つことができるか。階段を登ってきた瞬間を狙うべきか……ソールが考えているうちにも、竜は壁から姿を表しつつあった。


 禁書架を外と隔てる分厚い壁を瓦礫に変えて、のそりと竜が前に進む。

 その前脚は蝙蝠を思わせる被膜に覆われている。その前脚の鋭い爪が壁に食い込み、それを支えに、竜は階段を登り始めた。

「ソールさん……」

「まだだ」

 不安げなキャンディスを制しながら、息を整える。硬い音を立てて、壁と鱗がこすれあい、巨大なあぎとが迫り……


 階段から、竜の首が顕れたその瞬間。

「これは驚いた」

 低く、暗い声が響いた。

「……っ!」

 バーンを呼び出そうとしたソールの動きが、一瞬遅れる。

 声の主は、あろうことか。竜のその背にまたがっていた。


「これほどの人数で出迎えてくれるとは」

「貴様っ!」

 剣を抜き、ソールが叫ぶ。それを見てようやく思い出したように、衛兵たちもまた剣を一斉に構える。

「誰かと思えば、マヤルヒの若造か。こんなところまで追ってくるとは」

 バケツを思わせる兜の男の声が、愉快げなものに変わる。竜の背から、居並ぶ衛兵たちを見下ろして演説でも打つかのように、男はゆっくりと視線を巡らせた。


「そ、その竜……なんで」

 ロビンはソールの背に隠れるように下がりながら、震える声が漏れるのを止められなかった。いったいどこから、どうやって?

「私がなぜこの禁書架に入ろうとしたか、想像できなかったか?」

 籠手をつけた指が、竜の首筋をゆっくりと撫でる。

「こいつは叫慌飛竜フィランドル。たった今、私がした」

 ざわめきがさらに広がる。


「竜がどこから現れるか、知らないのか? 天上人たちは、竜をこの世界のあらゆるものへ封じた。ある竜は岩の中に、ある竜は川の流れに、そして、ある竜は書のページに」

「それって……っ!」

 ぞっとしたものがロビンの背中を走った。もしそれが本当なら……

「お前のおかげで、何匹もの竜が世に放たれる。礼を言うぞ」

「そうはならない」

 二人の間で、ソールが剣を構えた。


「ここで、俺たちがお前を止める」

「そ、そうです。こっちには巨人機が二機もいるんですよ!」

 杖を片手に捧げ持ち、足を震わせながらキャンディスが叫ぶ。男はなおさらおかしげに、自分の胸に手を当てた。

「焦るなよ。ようやく、私にふさわしい名が決まったところだ。自己紹介させてくれ」

 そして、男は竜にまたがったまま、もったいぶるように頭を下げた。


「私は竜騎士ゾラン。すべての竜を統べるもの」


 誰もが言葉を失う中、ただ一人、動くものがいた。

「何が、騎士だ!」

 ソールが怒りの声をあげ、竜へと突っ込んでいく。

 今までに聞いたことのない苛烈な声に、ロビンは驚きと恐れを感じていた。

「当てつけのつもりかっ!」

 輝く刃を、しかし竜の爪が受け止めた。火花が散り、怒りに満ちたソールの顔が一瞬、薄暗がりに浮かぶ。


 竜の背に乗った男は、ソールに目もくれず、竜の背を、とん、と一度叩いた。

「吼えろ」

 男の言葉通り、竜は忠実にそれを実行した。牙の生えそろった口から、言葉にしがたい絶叫が迸る。それは壁に幾重にも反響し、その場にいるもの全員の耳を震わせた。

「う、あ、ああああああああああああっ!」

 ロビンはなぜ自分が叫んでいるのかわからないまま、思わず耳を押さえてうずくまっていた。竜の声に、どうしようもなく不安で、恐ろしく、悲しい気持ちが呼び起こされていた。


 そして、同じことが、その場にいる全員に起きていた。ただ二人、ソールとキャンディスを除いて。

「ああ、う、ああああっ!」

「ひいいいいいいいっ!」

 いくつもの悲鳴が、竜の声に重なるようにして、さながら地獄の底に鳴り響く不協和音のようだった。


 そして、なお悪いことに、衛兵たちはロビンとは違い、武器を持っていた。

「やめろ! 来るな!」

 誰かが、手に持った剣を振りまわす。

「い、痛え! くそっ、くっそおおっ!」

 その刃が誰かを傷つけ、さらに恐慌に陥った衛兵たちがしゃにむに、剣を振るう。

 混乱はあっという間に広がり、その渦中にまで及ぶのに時間はかからなかった。

 誰のものとも知れぬ刃が、衛兵たちの中央で、まさに彼らに守られていたはずのカンドゥア国王に迫ろうとしていた。


「陛下! スター、力を!」

 杖を突き出し、キャンディスが叫ぶ。振り下ろされる直前の刃を、走る光芒が打って軌道を逸らした。オーランドに向けて振り下ろされた刃が、別の兵士の肩に食い込む。

「ああっ、こんな……!」

 司書は嘆くように声をあげながら、その中央に飛び込む。呆然として身動きが取れない国王のそばへ駆け寄り、杖から生み出される障壁で、兵士たちの刃から彼を守っていた。


「さらばだ、人間諸君」

 竜の爪がソールを押しのける。その巨体が突進し、あまりにも脆い大図書館の壁を打ち崩した。

「待て!」

 その背をソールが追おうとした瞬間、

「う、わ、ああああっ!」

 甲高い叫び。衛兵の誰かが、うずくまったロビンの背に向けて剣を振り下ろそうとしていた。


「ロビン!」

 反射的に、腰に下げた盾を抜き、はじかれたように駆ける。

 間一髪、少女の体に刃が触れる直前でそれを防ぐ。

 同時、竜の体当たりが壁を破り、男を……竜騎士ゾランを乗せたまま外へ飛び出していった。

「……くそおっ!」

 憤懣やるかたなし。無数の悲鳴の中に、ソールの絶叫が響いた。

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