第18話 夜明けに星が輝くように
竜が波のように壁に迫る。
群走破竜フロラーグの「子」らは不規則に並びながら長い足で地を蹴り、それぞれが首をもたげて壁を、頭上に居並ぶ模造機たちを目のない顔でにらみつけた。
「構え!」
「迎撃!」
街を守る壁の上。黄色の模造機のアリーナと空色の模造機のマリーナが高らかに声を上げる。一斉に、軍用模造機たちが槍を構える。
群竜が壁に到達するまでのわずかな間。実際には一秒にも満たないその時間は、はるか後方で、「親」と対峙するソールにはその何倍にも思えた。
壁に備え付けられたランプの光が届いた瞬間、竜がバネ仕掛けのおもちゃのように飛び上がる。腕のない体ごと、模造機へ向けて体当たりを仕掛けたのだ。
「せいっ!」
声を合わせ、槍を突き出す。分厚く鋭い槍が、竜の体へ突き刺さった。
「よし!」
模造機を駆る兵士たちが歓声をあげた。
巨大なかぎ爪を持つ竜は、その跳躍力で敵の頭上から攻撃を仕掛けるのが得意なのだ。それは、先のバーンとの戦いで目にしていた。
だからこそ、王女たちが率いるカンドゥア衛兵隊は壁の上に陣取った。これなら、頭上をとられる前に先手を打つことができる。
仲間が槍に貫かれ、子竜たちもそのことに気づいたのだろう。壁の上の模造機たちと対峙するように横に広がった。
残る子竜は十五匹。
対して、衛兵隊の模造機は三十機。
数の上では、模造機のほうが多数だ。だが、どこか一点でも破られれば、これより後ろに市民を守る盾は存在しない。
くるるる、る、くるるる。
竜が互いに声を上げる。
間合いを測るように、奇妙に長い首を前後に揺らしていた。
壁の上から、衛兵隊が責めるわけにはいかない。竜がどう出るか、待つことしかできない。指揮官でもある王女たちの胸は早鐘のように高鳴り、ずしりとした緊張で腹の奥が押しつぶされそうだった。
バーンは体勢を立て直し、剣で盾を打つ。だが、もはや子竜は巨人機に背を向け、壁へと向き合っていた。
代わりに、バーンをまたぐことすらできそうな親竜が、距離を測るように左右に体を揺らしている。
もしもソールが壁の援護に向かえばその背を巨大なかぎ爪が引き裂くことは必定。だからこそ、巨人機は動くことができない。
迫り来る子竜の群れを、模造機だけで防がなくてはならないのだ。
そして、群竜が動いた。
「来ます!」
「備えて!」
左翼。竜が先ほどと全く同じように飛び出した。迎撃に備えた模造機がその体を槍で刺し貫いた瞬間、別の竜が躍りかかる。
「しまっ……!」
竜に刺さったままの槍を振り上げることができないまま、その乗り手は竜に蹴りつけられ、壁の内側へと突き飛ばされた。
「こいつ!」
左右の模造機が、壁の上の竜を槍で打った瞬間、そこにも別の竜が飛びかかる。堰を切ったように、壁の上の防備が崩れ落ちていく。
右翼。居並ぶ竜の半数が、大きく身をかがめて足を止めた。
背後から駆ける竜が、その背に深くかぎ爪を食い込ませて飛び上がる。
「仲間を踏み台にっ!?」
槍を下に向けて構える衛兵が驚愕の声を上げる。すでに竜は彼らの頭上にまで飛び上がっていた。
「このっ……!」
構え直すも、もう遅い。振りかざしたかぎ爪が、模造機の頭部を……すなわち、乗り手を踏みつけ、かぎ爪でその骨を引き裂いた。悲鳴すら上げる間はなかった。
くるるる、る、くるるる。
子竜たちの嘲笑じみた咆哮が響く。
残る子竜は、十匹。
その数が、一斉に、壁へと飛びついた。
■
「早く、こっちだ」
ロビンが扉を開いた瞬間、緑のにおいがした。
カンドゥア王都の中央、宮殿の中庭だ。そこには、いまだ色を失った巨人機がたたずんでいる。曇天の空は、今もまだ暗い。巨人機の輪郭が闇にぼやけ、不安げに下を向いているように見えた。
「はぁ、はぁ……っ、よ、ようやく……」
開かれた扉にもたれかかって、キャンディスが大きく息を吐く。
普段、ここまで体を動かすことに慣れていないらしい。肌着が汗ばんで体に張り付き、汗じみが浮かんでくっきりとした凹凸を際立たせていた。
二人は図書館からまっすぐに宮殿へと向かった。門番はまだ残されていた……当たり前だ。宮殿の中には、国宝級の品物がいくらでもあるのだ。
火事場泥棒を疑われることもなく(ロビンは内心ではかなりドギマギしていた)、大慌ての二人の様子に何かを察したのか、門番はすぐに中へと通してくれた。
大通りの先にある城門からは、戦いの音と震動が伝わってくる。市民が避難して静かな街には、音も震えもなおさら大きく感じられた。
「ほら、キャンディス。確かめよう」
彼女の手にランプを握らせ、ロビンは作業用アームを巨人機へと伸ばす。
「確かめるって、何を……」
「この巨人機のこと。見たかったんだろ?」
寝かせてあった
「バーンとあまり違いはないな……ここ、光当てて」
胴回りは、バーンと比べるといくらか華奢に感じられた。装甲もあまり厚くはない。複雑な構造の接続部を、ゆっくりと外していく。
「っと……」
作業用アームは、ロビンの本来の腕力よりも重いものを持ち上げることができる。落とさないように慎重に、装甲を地面に下す。
「い、いいんでしょうか……」
守り神の体が一か所とはいえ分解されるところなど、見たこともないだろう。うろたえるキャンディスに、ロビンは鼻を鳴らして返す。
「さっきは見たがってたくせに。それに、魔法のことはあんたがいちばんわかってる、だろ?」
彼女の手を取って、その装甲の隙間にランプの光を向ける。
「何が見える?」
んく……と、キャンディスの細い喉が鳴るのが見えた。眼鏡の位置を指で直し、首を上に向けて巨人機の体内……魔術回路の一端を見つめる。
「これは……『星』? こっちは……う、んん……」
じい、っと眉間にしわを寄せて必死に見つめるものの。視力のせいか、暗いせいか、なかなかうまく読み取れない。
「ああっ、もう!」
焦れたロビンは後ろに回り、アームを司書のわきの下に差し入れる。
「きゃあっ!?」
「いいから、早く!」
そのまま、ぐい、っと体を持ち上げる。足をばたつかせながらも、キャンディスは隙間に顔を寄せて中をじっと見つめる。
「『投げる』……いえ、『捨てる』? ううん、『放つ』……」
ドクン、と何かが震える感触がした。
「っ……!」
まるで鼓動のように、それは幾度も続く。まるで自分の心臓が高鳴っているかのようなのに、それは自分の体の中ではないどこかから響いてきていた。
何かがキャンディスの心を見つめていた。
■
キャンディスが司書になったのは、そうすれば王都で暮らすことができるからだ。
彼女が生まれ育ったのは、カンドゥアとコーヤの国境に近い村だ。今ほど国家間の緊張は高まっておらず、多くの旅人が首都を結ぶ街道を通る途中に立ち寄っていた。
決まって、彼女は旅人たちに異国の物語をねだった。代り映えしない毎日の中で、神々と天上人たちの伝説だけが、彼女にとっての胸躍る世界だった。
あるとき、旅人はこう語った。
「夜明け前、西の空に輝く星は戦いの神の御業だ。その光のもとで戦う限り、負けることはないと天上人たちは信じていた」
またある時、別の旅人はこう言った。
「夕暮れ時、西の空に最も早く輝く星は、美の神の創造物だ。夜を安らかに迎えられるように、人々にサインを送っているのさ」
そしてまた、別の旅人はこう話した。
「西の空に輝く星は、運命の神のメッセージさ。その日生まれる人数のほうが多いと朝に、死んだ人数のほうが多いと夜に登るんだ」
最も明るい星について、誰もが伝承を語った。だが、一つとして同じ物語はなかった。
朝に現れたり、夕べに現れたり、時には現れなかったりする不思議な星。まるで魔法のようなその輝きはキャンディスの心をとらえて離さなかった。
物語に心酔する彼女を、村人たちはあまりいい目で見ようとはしなかった。それよりも、生活に必要な技を身に着けるように言われた。顔を合わせるたびに。
だから、その村を出るため、彼女は司書になった。数年に一人しか大図書館は新しい司書を雇わないが、キャンディスには自信があった。王都に生まれ育った誰よりも、自分がそれをすべきだと信じていたのだ。
はたして、彼女は史上最も若い司書になった。紫のケープを国王から与えられた時、そこにいたのは夢見がちな田舎娘ではなく、知識の守護者だった。
束縛から放たれたキャンディスは、心の赴くままに書物を読み漁った。紙とインクに溺れそうなぐらいに、毎日、毎晩、書と向き合っていた。
そこには無数の知識と物語があった。なかでもキャンディスの心をつかんだのは、もはや失われた力、地上人が使い方を忘れた魔法の存在だった。
幼いころに語り聞かされ、だというのに大人になるにしたがって「忘れろ」と言われるようになったそれは、確かにこの地上に存在していたのだ。
まるで夜明けに輝く星のように、魔法の物語はキャンディスを魅了した。
現れたり消えたりする星を目印にする船乗りはいない。でも、確かにそれはそこにあるのだ。
今や、魔法は真機石の中にしか存在しない。それでも、キャンディスはひとり、研究を続けていた。
いつか、空の星に手が届く日を信じて。
そしてその時がついに訪れたとき、キャンディスは知った。
輝く星もまた、彼女を待ち続けていたのだ。
■
キャンディスの褐色の指が機石に触れた。
今度ははっきりと感じられた。声なき叫び。震えなき鼓動。心なき魂。
キャンディスの指が触れたその場所に、ろうそくの明かりがともるような輝きが生まれた。
「これって……」
ロビンの声。驚きと歓喜が入り混じる、期待に満ちた声だ。アームがぐいとキャンディスの体を持ち上げて、さらに機石へと近づける。
「ダメ、抑えられない……」
きゅっと、司書は眼鏡の奥で目をつぶった。
「抑えられない……?」
この場にそぐわない言葉に、思わず首をかしげるロビン。
「ほ、本当は、こういうべきですよね。『お願い、この国を守るために力を貸して』って」
「ええと……」
「それとも、『あの竜を倒すためにあなたが必要なの』のほうがいいかも」
キャンディスはこの暗さに感謝していた。
言い訳じみたことを言いながら、笑顔が……というよりも、にやけ顔が浮かぶのを止められなかった。
「あのさ、何言って……」
「でも、あなたに嘘はつけないし、つくべきじゃない。だから、本当の願いを言います」
眼鏡の下で、喜びのあまりにあふれてくる涙をぬぐうのすら惜しかった。
大きく息を吐き、そして吸ってから、キャンディスは心の底から叫んだ。
「私を、魔法使いにして!」
青い機石に煌めきが宿り、
「――
そして、光が満ちた。
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