討竜機ギガスギア
五十貝ボタン
第一部 カンドゥア編
ロビンとソール
第1話 ロビンとソール
「それ」を表す言葉は数多くある。
破壊と殺戮の権化。
神殺し。
生きとし生けるものすべての敵。
ロビンが「それ」を初めて見たのは、14年の人生の大半を過ごしてきた町の壁が崩れたときだった。
■
家々を見下ろすほどの巨体を覆う、鈍色の不揃いな鱗。
四本の脚が振り下ろされるたび、街が揺れる。
無秩序に。
無目的に。
竜はただ、砂場の山を崩すように、目につくものすべてをなぎ倒していた。
人々は何かを叫びながら、竜のいない方へと逃げようとしていた。あまりに多くの声が混じって、誰が何を叫んでいるのか、ロビンにはわからなかった。
(生きるんだ)
夕暮れの頃だ。誰もが混乱していた。
(できる。生きるんだ!)
自分に強く言い聞かせて、足を進める。振動で転びそうになりながら、豪奢な扉を構えるホテルにたどり着いた。
戸を開けた隙間から身を滑り込ませる。レストランを併設した1階には、人の姿はすっかり消えていた。竜から逃げたのだろう。
遠からず、ここも踏みつぶされる。
(だったら、その前に……)
意を決して、素早く歩を進める。
2階から上が、客室。
(できるだけ高い階のほうがいい。でも、あまり時間はかけられない……)
迷っている時間が惜しい。
階段に足をかけようとしたそのとき……
「盗みなら、やめた方がいいぞ」
「うぎゃあっ!?」
悲鳴を上げるロビンの背後。のそのそと、レストランの奥の扉から男が現れた。
色あせた、なめし革の上着。旅人だろうか。ほこりっぽい服装とは不釣り合いな、白い鞘に収めた剣を腰に下げていた。鞘は妙に幅広で、凧かと見間違うほどだ。剣の柄に収められた赤い宝石が、暗がりでもはっきりわかるほどの輝きを放っていた。
そして、木の皿を抱え、あきらかに調理用の大きなスプーンで中身をぐるぐるかき回している。
「な、何してんだよ、こんなところでっ!」
幽霊のように現れた男に向き直り、ロビンが大声を上げる。こっそり忍び込むつもりだったのに、台無しだ。
「飯だよ。丸一日、何も食べてなかったんだ」
男がスプーンで皿の中身……リゾット……をすくい上げて、口に運ぶ。
「うげ、生煮えだ。逃げるなら、ちゃんと最後まで作ってからにしろよな」
不満を漏らしながらも、男は速いペースでスプーンを口に運んでいく。
「こんな状況で、よく食ってられるな」
しかも火が通っていないリゾットを。
芯が通ったままの米の食感を想像して、ロビンのうなじが粒立った。
「腹ごしらえ。それより、火事場泥棒はやめた方がいい」
「あんた、状況がわかってないのか? 町から逃げて、その後どうやって生きていけばいいんだよ。ここも竜に壊される! ちょっとぐらい、カネになるものをもらっていったってかまわないだろ!」
激高するロビンに対して、男は冷静だ。皿を傾けて、残り汁をすすった後にこう告げた。
「いや、竜はここを壊さない」
「竜が建物を選んで壊すなんてことがあるかよ!」
ただでさえ切羽詰まってるのに、この世のものとは思えないのんきな男につきあわされて、ロビンの怒りは限界寸前だ。
こうしている今でも、竜の地響きが迫ってきている。腹の底に響くような、自分の小ささを実感させられるような、巨大な地響き。
「そんなことは言ってない」
男はなぜか奥まった一席まで歩み寄ると、そこに皿とスプーンを下ろして、それから口元についたままの米粒をぬぐった。
そして、そのまま出口へと向かっていく。
「あ、おい、どこに行くんだよ!」
悠然と歩く男は、そのままホテルの出口を体で押し開ける。
ロビンはしばし迷ったが、もう客室に忍び込んでいる時間はなさそうだ。舌打ちして、男の背中を追う。
通りは悲鳴であふれていた。数十ルーメットも離れていない距離に、竜は迫っていた。
「い、っ……!」
初めて見た時よりもずっと近くで、ロビンは竜と対面した。
前脚よりも後ろ脚のほうが長いらしく、前傾した体勢。
頭蓋骨よりも二回りも大きな巨大な下あごから、金属がこすれあうような嫌な音が響く。生理的な不快感を催す、異様な音だ。
ショベルのように頭を振れば、周囲の家々がなぎ倒され、積み木のおもちゃのように放り投げられていく。
「鉛巌竜プルブルドゥム……」
大通りの中央に立ち、竜を待ちかまえるように立つ男がつぶやく。
「な、何? あの竜のこと、知ってんの?」
「いま知った。……まずいな。バーンに気づいた」
男の見据える先。竜の巨大な頭部に比べれば小さすぎるようにも思える眼が、見つめ貸すように男を見ていた。
「わけわかんないこと言ってないで、早く逃げないと!」
恐怖を必死に押し殺し、ロビンは大通りのど真ん中に立っている男の裾をつかむ。
「さっきは泥棒だったのに、今度は俺を心配してくれるのか?」
男が、面白がるように笑みを浮かべる。暗いホテルの中ではなく、夕日に照らされる精悍な顔立ち。くっきりとした眉は、男の秘めた強い意志を表しているかのようだった。
「そ、そりゃ、目の前で死なれちゃ、だれだってイヤだろ……」
なんとなく気圧されて、ロビンの口調は弱弱しい。
「ははっ、ありがとう。でも、俺は逃げない」
そういって、男は剣を鞘ごと外し、まっすぐに構えた。
その剣が向き合う先は、むろん、巨大な竜。大通りの横幅いっぱいの巨体が、足を振り下ろす旅地面を陥没させながら迫ってくる。
「馬鹿! 竜を殺せるのは
「そうだ、だからここに来た」
男の持つ剣。その柄にはめ込まれた赤い宝石が、炎のように揺らめく光を放った。
「な、何言って……」
妙な気分だった。
竜と相対する、気が触れたとしか思えないこの男のそばにいて、ロビンはなぜか、安心するような、離れがたいような、そんな気持ちを覚えていた。
「って、あいつ、こっちを狙ってる!」
竜の顎が立てる不気味な金切り音が、ますます高まっていく。
もたげた
「あああっ、も、もうダメだ! お、おいっ! あんた、名前、なんていうんだ?」
我ながら妙なことを口走ってるな、と思った。
でも、最期に一緒にいた相手の名前ぐらい、知っておきたかったのだ。
「ソール。君の名前は、あとで聞かせてくれ」
そして、男は……ソールは、剣が刺さったままの鞘を掲げ、深く腰を落とす。
いや、ロビンは直感した。剣が刺さったままのそれが、彼と、そして自分を守ろうとしている。鞘ではなく……
「盾……?」
そのつぶやきは、竜の咆哮にかき消された。
怪物のあぎとが大きく開かれているのが見えた。暗闇が広がるようなその奥底。不自然に膨らんだ喉から、猛烈な勢いで銀色の液体が噴出する。
無軌道な噴出が周囲の建物に飛び散り、あろうことか液体が木製の壁を打ち砕いた。
鉛巌竜。ソールのつぶやきが思い出された。鉛だ。この竜は溶けた鉛を吐いている。
そして、その鉛の奔流がソールとロビンが立つ一点へと迫っていた。
「う、わああああああっ!」
ロビンは死を覚悟して強く瞼をつぶった。
(くそっ、まだ何もしてないのに! こんなところで終わりなんて!)
短い人生が、頭の中で思い起こされる。幼いころからの、鉄と油まみれの思い出。
(これから、一人で生きていこうって時に。どうして竜なんかが……)
涙がにじみ、頬を伝うのが分かった。
「自分のことも、何にも知らないのに! いやだ、死にたくない、いやだーっ!」
「落ち着けよ」
気づけば、声に出ていたらしい。ふと、前から聞こえてきた声に気づいて、そっと目を開けた。
目の前には、自分よりずっと広い背中。
ソールの盾が爛々と光を放っていた。そしてあろうことか、その光がふたりの前に壁を作り、竜の吐く鉛を防いだらしい。
らしい、というのは、噴出はすでに止まっていて、彼らの左右の地面が鉛にまみれていたからだ。
「ソール……が、守ってくれたの?」
「守ったのは俺じゃない。バーンだ」
「そ、そのバーンっていったい……」
「下がってろ! 次は本気で来る!」
竜が歯ぎしりするように、顎を大きく鳴らした。まるで、怒りの咆哮のように。
「わ……わかった!」
とにかく、彼に従うべきだ。直感に従って、ロビンは駆け出した。
その背後。ソールが盾から剣を引き抜いた。
あかがね色の刀身が、夕日を浴びて真っ赤に輝いていた。
「来い、バーン!
竜の地響きの中ですら、街中に響き渡るほどの希望の布告。
そして、輝きの中から巨大な『力』が顕れた。
■
「それ」を表す言葉は数多くある。
竜を屠るもの。
守護者。
神から人への最後の賜物。
ロビンが「それ」を初めて見たとき、どこかで巨大な歯車がかみ合い、運命が駆動する音を聞いた気がした。
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