第516話維摩VS魔王、そして天女(3)

持世菩薩は話を続ける。

「そうしたら、魔王は、ますます慌てます」

「そして維摩さんに言うんです」

『維摩、あなたはこの女たちを捨てるべきだ、あなたは菩薩だろう』

『菩薩というなら、どんなものでも、他者に施すのが当たり前ではないか』


「呆れた話です、最初は自分が他人に渡しておいて、今度は菩薩なんだから返すのが当たり前なんて、魔王は何と我がまま勝手なことか」

「しかし、維摩さんは、あっさりと切り返します」

『いや、もともと、私の所有ではないよ、自由にさせているし』

『どうしても魔王が必要なら、連れ帰ればいい』


「そうしたら、今度は天女が驚きます」

「せっかく、維摩さんと、心の平安の中、暮らせると思っていたのに」

「もう、肉欲の苦しみの魔界に戻りたくないと思っていたのに」

「それなので、今度は天女たちが、維摩さんに教えを求めます」


『私たちの気持としては、もう魔界には戻れません』

『どうしたらいいのでしょうか』


「この質問に対して、維摩さんが答えました」

『あなたたちは、すでに、仏の教えを受けて、心の平安の素晴らしさを知っている』

『だから、魔界に戻っても心配はない』

『魔界に戻って、他にも肉欲に苦しんでいる天女に、心の平安の教えを伝えなさい』

「そして、天女たちは、魔王と一緒に魔界に戻ったのです」



人間世界で言えば、歓楽街にいるから、悪い人間であるとか、救いがない、救いを受ける資格がないと批判する、あるいは当人がそう思ってしまう。

しかし、維摩は、それを否定する。

どんな場所でも、人は仏の心を持ち、平安で、救われるべき。

それを否定しては、仏法ではないと言う。

それと、戒律だからと言って、天女たちの受け取りそのものを拒絶した持世菩薩も、実に狭量、何故、菩薩なら維摩のように、天女の苦しみ救い、心の平安を与えるべき努力をしなかったのか。

そもそも、苦しむ人を救うのが、仏法者に課せられた使命ではないのか。


「罪のない者が、最初に石を投げよ」

イエスは、その言葉で、罪あるにも関わらず、それを自覚することなく他人の罪を責めた傲慢な人間を諭し、また姦淫の苦しみに沈む売春婦を救った。


芸能人の不倫などで、直接自分には関係ない人を、集団でバッシングする風潮が目立つ。

そんな人たちは、今まで何の罪も犯したことがないのだろうか。


不倫の身になった人は、どんなに意地を張っているように見えても、心にやましさと苦しみを持つ。

そのような人たちに対しても、無責任に否定し、批判することなく、心を広くして、誠心誠意、接すること。


それが、苦しんでいる人たちの、やがての心の平安、状態の改善につながる第一歩になるのではないだろうか。





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