第450話石仏の話(65)
神や仏を何により表すのか、あるいは何で示すのか。
言葉などの音声。
経文などの文字。
寺院装飾、絵画あるいは彫刻など。
奇跡というものもあるかもしれないけれど、そんなに頻繁に発生するものではない。
偶像崇拝を認めない宗教は、言葉による説法が中心だった。
聖書などを文字化することについても、当初は異論が続出したとか。
ただし、人間の記憶力には限りがあるし、結局は文書化の方法を採用した。
その結果として、他部族、そして他民族への布教が可能となった。
しかし、他民族への布教が可能となったとしても、全ての人間が文字を読めるわけではない。
やはり手っ取り早く布教するには、言葉もあるけれど、声もそれほど遠くに届くわけではなく、それでは伝わる範囲に限りがある。
結果的に、簡単に多くの人が認識できる絵画、神像(仏像)、教会(寺院)を作った場合の装飾などで、神や仏を表すことが、有力な手段となった。
いろいろな形態があるけれど、言葉を発した途端消えてしまう音声や、火事で焼けてしまう経文や教会(寺院)では、残りづらいということも事実。
そうなると、石仏が、一番簡単で、強いのかも知れない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます