第338話歎異抄 経釈をよみ学せざるともがら

(原文)

経釈をよみ学せざるともがら、往生不定のよしのこと。この 条、すこぶる不足言の義といひつべし。

 他力真実のむねをあかせるもろもろの正教は、本願を信じ念仏を 申さば仏に成る、そのほかなにの学問かは往生の要なるべきや。

ま ことに、このことわりに迷へらんひとは、いかにもいかにも学問し て、本願のむねをしるべきなり。

(意訳)

「経典や注釈書を読み、学ばない人間は、往生することが困難になる」という言い分は、全くもって、とんでも無い誤解です。

阿弥陀仏の御誓願に基づく救済を説明する諸々の経典は、阿弥陀仏の本願を信じて念仏を申せば、仏になれると書いてあります。

この教え以外に、どのような「学問」が浄土に生まれるために、必要なのでしょうか。

この道理を理解できない人は、是非、学問をして、本願の意図をしるべきであります。


「阿弥陀仏を信じ、名を唱えれば、必ず救われる、往生できる、仏にしていただける」

学問の多寡は、条件にはない。

阿弥陀仏は、自分の名を呼ぶ、全ての人を救うと誓ったのだから。


それにしても、学問の多寡で、往生するかしないかを主張するなど、ゴウマンにして無慈悲ではないだろうか。

そういう仏僧がいたのだろう。

今の世では、あまり聞かない。

「お布施の金額」で、往生の程度が違うという僧侶は、残っている。

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