第314話歎異抄 煩悩具足のわれら
(原文)
煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなる ることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、 悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往 生の正因なり。
よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰 せ候ひき。
(意訳)
どうやっても煩悩から離れられない私たちは、どんなに修行を積んでも、迷いの世界から離脱して自由の境地に到達することはできません。
そういう私たちの苦しむ様子を憐れんで、阿弥陀仏が誓願を起こされたのです。
阿弥陀仏の本願は、こういう私たちのような苦しむ人(悪人)を成仏させることです。
ですから阿弥陀仏のお力(他力)にお願いする、私たちのような苦しむ人(悪人)こそが、正真正銘、浄土に生まれ変わり必ず仏になる種の持ち主なのです。
そういうことであるので、法然上人は
「善人でさえも往生するのです、ましてや悪人が往生することは当たり前のことなのです」と、おっしゃられたのです。
※煩悩具足とは、煩悩がついて離れない人。
煩悩、悩み、苦しみが何もなければ、聖人あるいは仏になる。
しかし、そんな人は、探したとして、どこにいるのだろうか。
ほとんど全ての人は、それなりに悩み苦しみを持つ(言い換えれば様々な因縁、要因で「状態が悪い人」なのかとも思う)
確かに、阿弥陀仏の名を唱えて、後はおまかせする。
それは、気楽になる。
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