第161話十牛図(2)見跡
(2)見跡
それでも、何か思い出したような、「これかな」と思う兆しはある。
しかしあくまでも「兆し」に過ぎない。
「兆し」を本物とするべく、いろんな本を読み、偉い先生の話を聞く。
本や先生は様々なありがたいことを言う。
例えば、「一切のものが自分であり、全てのものは本来は同一」と言う。
しかし、単語の羅列として耳に入るだけ、頭に記録するだけ。
その言葉は、意味もわからず眠りこけ、何も動かない。
「考えねば」「感じねば」
と、ようやく見えた「本来の自分」の「兆し」を必死につかもうとする。
例えば、本当に幸せだった頃の自分と周囲の世界を思い出す。
「それが何故、幸せだったのか」を必死に考え、感じようとする。
少しだけ、心にやさしく懐かしい風が吹いてきたような段階なのか。
しかし、それも危うい。
風が吹けば、雲散霧消、雨が降れば足跡も消える。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます