第七篇 空軍派閥抗争

 その日も、合州国戦略空軍総司令官のご機嫌は優れなかった。

 空軍大将の責任に比例した大きさを誇る机の上には機密指定された論文が広げられ、凝視する大将閣下の眉間には深い谷が刻まれ、歯も砕けよとばかりに顎には力が漲り、鼻息は論文を吹き飛ばさんばかりだった。

「気に喰わん!」

 一頻り論文を読み切った総司令は、革張りの椅子の背凭れを思い切り鳴らし、葉巻を吸って気を落ち着けようとしたが、どうにも憤りは収まりそうになかった。

「気に喰わん」

 机の上のブザーボタンを鳴らして副官を呼び、秘書にコーヒーを淹れるよう命じて、再び論文を手にする。

「お呼びでしょうか、閣下」

 隣室から現れた副官に向かって、手の中の論文を放りつける。

「気に喰わん」

 少佐の階級章を付けた副官は眉を微妙に下げて、賛同し難いが表立って反対もできないという微妙な感情を表明していたが、将軍は気にしなかった。

「またティクレティウスの論文ですか?」

「ふん!」

 鼻から紫煙を吹き出し、大将はぐるりと椅子を回し背を向ける。

 副官は慣れたもので、簡易製本されただけの論文をめくる。

「『潜水艦発射弾道ミサイルによる核報復能力の担保について』……?」

「奴は一体何を考えているのだ。空軍だぞ、空軍士官がだぞ、よりにもよって海軍に核弾道ミサイルを運用させようなどと言い出す! 言語道断だ!」

 秘書がコーヒーを持ってきたタイミングで再び椅子を回して机に向かう。

「しかしその……提案そのものはとても魅力的であると感じます」

 素早く論文に目を通した副官は、論旨の有用性を主張する。

「原子力を動力とする潜水艦に核弾道ミサイルを搭載し、大洋に潜伏させる……。いわば動く弾道ミサイル基地です。深海の秘匿性は高く、報復能力の担保にとってはこの上ないアイデアではないかと……」

「わかっておる!」

 だからこそ、忌々しいのだ。

「戦略空軍は我が空軍の根幹だぞ! 核攻撃力、核報復力は我が戦略空軍に一任されるべきだ!」

 将軍は、空の男であった。

 まだ航空機が木の骨組みに布を張ったものであった頃から将来の戦争は空が主戦場になると信じ、志を同じくする者達と共に陸軍航空隊に入り、決して小さくない年月を空軍のために費やしてきた。航空派閥〝ボマー・マフィア〟を結成し、未来の戦争は空からの爆撃によって決するのだと主張し続けた。

 道は決して平坦ではなかった。当初の飛行機はやっとこさ人を一人二人乗せるのが精一杯。爆弾を積んで空から落とすなど、夢物語も良いところだった。しかし彼らは焦らなかった。科学・技術の進歩は必ずや航空機を空の要塞たらしめる日が来ると確信し、その時時にできることを研究し、提案し、一歩一歩実現してきたのだ。

 そんな彼らにとって、大戦は待ち望んだ実証の場であった。

 史上初の世界大戦、人類が初めて経験する総力戦の中で、莫大なヒト・モノ・カネが兵器開発に投入され、航空機もまた長足の進歩を遂げるに至った。〝ボマー・マフィア〟が待ちに待った時代が遂にやってきたのだ。

 当時まだ佐官であった将軍は、合州国参戦と同時に旧大陸に渡り、自ら先頭を切って爆撃機に乗り込んで、率先垂範、対空砲火の嵐を突いて敵の頭上に爆弾を落として回ったのだ。大戦終盤、陸軍航空隊はその広大な戦場にエアカバーをもたらし、地べたを這い回る兵士たちから天使の如き崇敬を集めたものだ。都市への戦略爆撃は敵の士気を挫き、物流網への打撃は継戦能力を奪った。果ては〝新型爆弾〟による帝国東部軍の粉砕はまさに快挙、爆撃のみによって敵地上軍を壊滅させ得ることを証しだてた。

 数々の壮挙は遂に空軍独立の夢を実現し、将官となっていた〝ボマー・マフィア〟たちは喝采を叫んだ。

 しかし、空軍独立は終わりではなく、始まりだったのだ。

 陸海軍と同格の空軍となったからには、指揮命令系統や兵站の独立だけではなく、独自の教育機関も整備された。航空教育訓練軍団という大枠に、兵・下士官を育てるブートキャンプと、士官・将校を育てる士官学校。特に後者には力を入れた。

 海事を手本に国際法が整備された関係で、航空機の指揮官は士官であることが求められ、必然的に単座の軍用機ではパイロットが士官である必要が生じたのだ。海軍の軍艦であれば多くの士官で分担できることも、単座の軍用機の中では一人でこなさねばならない。操縦者としての技能と戦闘者としての闘志、指揮官としての判断力を兼ね揃える必要があるのだ。

 畢竟、空軍士官に求められる質は三軍で最も高くなる。

 その要求に応えられる者を輩出すべく、空軍士官学校の整備にはかなりの力を注いだのだ。士官学校校長には大将がてられ、望むべく最高の人材が惜し気もなく投入された。

 結果として校長が毎年のように病臥する程の激務となった空軍士官学校だが、その成果は数年の後に結実する。

 非常に高度な知性と統合された作戦意識により、戦略目標達成のために空軍力を適切に整備編成し行使することを空軍の責務と考える新世代の誕生である。彼らは特に自らに名を付けることをしなかったが、一部では空軍士官学校第一期首席の名を冠して「ティクレティウス派」などと呼ばれた。別にその首席が派閥を作ったわけでも率いたわけでもないのだが、彼女の影響力の大きさが、そう呼ばせたものであった。

「ティクレティウスめ、また面倒な論文を書きおって」

 苛々と将軍は葉巻を吹かす。

 機密指定のためこれを閲覧できる者は今のところ空軍軍人に限られるが、大統領が目にすれば海軍に回送しかねない危うさがあった。ただでさえ、ティクレティウスは大統領官邸や国防総省の上層部といった軍政連中に受けが良い。中央情報局カンパニーとの繫がりも噂される。

「せめて弾道ミサイルを搭載した原子力潜水艦の運用は戦略空軍に任せるべき、とでも書けば良いものを」

 副官は丁重にその暴論を聞き流すことにした。

 将軍が苛立ちを隠せないのは、ティクレティウスの知性自体には全くケチを付ける余地がないからだった。士官学校在学中から冴え渡るその頭脳は、空軍のみならず、軍全体、引いては国防政策全般に影響を与え続けており、合州国全体としては非常に大きな恩恵を被っていた。

 問題は、空軍、または空軍内の派閥にとっては必ずしも良いことばかりではなかったことだ。将軍たちの〝ボマー・マフィア〟にとっては超音速長距離戦略爆撃機に対する疑問や二四時間空中待機による核パトロールの明確な否定、将来的な弾道ミサイルシフトは目障り極まりない見解であったし、制空戦闘至上主義者にとっても地上軍に対する航空支援を重視し、純粋な戦闘機から将来的な多目的機への転換など癪に障る論考も多かった。一方で情報通信技術や兵站輸送任務について空軍の果たす役割の大きさを訴え、早期警戒機や人工衛星を駆使した防空網の構築、戦略・戦術輸送機による空輸網構築の必要性を説き、空軍は大きく変貌することになった。

 彼女は恐らく間違ってはいない。それが分かってしまうだけに、既存の空軍派閥に属する者達にとっては、ティクレティウスは役に立つだけに目障りな存在となりつつあった。

 栄えある空軍士官学校第一期首席として、本当なら奴を戦略空軍に迎え入れ、空軍百年の安泰を図る筈だったのに、どうしてこうなったのか。

 彼女が頭でっかちな単なる研究者だというのならば、研究部門にでも配属して後は忘れていられただろう。だが、そのような人物が士官学校で首席を張れるわけもない。彼女はその成績に相応しい高度に完成された将校だった。

 彼女が提言したFAC前線航空管制をやらせれば水際立った手腕を見せ、陸軍との連携を密にし、CAS近接航空支援の精度を一変させた。誤爆の心配なくCASを要請できるようになったと陸軍諸部隊から感謝の言葉が届き、砲兵隊からは砲爆分担が円滑になり目標の重複が減ったと喜ばれた。

 その後はCSAR戦闘捜索救難の立ち上げに携わり、敵地上空で撃墜され、脱出した搭乗員の強行救出法を確立した。曰く「搭乗員は航空機において最も高価な部品であります。これを使い捨てにしては、税金の無駄遣いも甚だしい」。反対するところなど何一つない正論であり、出来上がった部隊が陸軍の空挺レインジャーをも上回る猛者集団になったこと以外は納得のいくものだった。

 現場の空軍将兵エアマンからの彼女に対する信望は大変あつく、航空救難団などは一時期彼女の私兵呼ばわりされたことすらあった。

 彼女が空軍に奇妙な影響を与えていることを危惧し、一度は空軍から政府のNACA航空諮問委員会へ出向させることに成功したが、逆にそこでティクレティウスは実権なき諮問委員会から実働組織たるNASA航空宇宙局への改組を影から主導し、合州国の宇宙開発と航空宇宙産業に決定的な影響力を持ちそうになったのだ。出向期間が満了し、政府が空軍の下に彼女を返却してきた時には、彼女を歓迎する勢力と一生出先に居ればよかったのにとぼやく勢力に空軍は別れてしまっていた。

 将軍がどちらの立場なのかは、敢えて言うまでもないだろう。

「奴には空軍に対する愛が足りなさ過ぎる!」

 どちらかと言えばこの将軍にあり余り過ぎているのではないかと副官は思わないでもなかったが、主題を避けて反論してみた。

「しかしティクレティウスのお陰で、空軍は大変な発展を遂げているのも事実では?」

「陸軍も海軍も発展を遂げているではないか!」

 セクショナリズムの垣根を超えた活動こそがティクレティウスの真骨頂とも言える。彼女の知性は軍種の壁を歯牙にもかけない。それが故に、彼女は国防総省といった上層部から目をかけられているのだろうと副官は思うのだ。空軍軍人としては空軍こそが大事だが、国家の立場では軍事力全体が等しく重要だろう。

 この論文とて、海軍を利するようにも見えるが、実際には合州国の核戦略全体に大きな利益を齎すものだろう。空軍内部で秘匿していて良いものとは思えない。

 最近では海兵隊などから、空軍で持て余すようならウチで引き受ける、といった打診もあったと聞く。小所帯ながら陸海空に跨る活動域を誇る海兵隊にとっては、欲しくてたまらない人材だろう。

「軍全体に利益を齎すティクレティウスを空軍が擁していることは、大きなアドバンテージだと思いますが」

「それは否定せん! だが空軍の取り分はもっと多くても良い筈だ」

 強欲なことだ、と副官は内心溜息をつく。この将軍たち〝ボマー・マフィア〟は不遇の時代が長かったせいか、どうにも陸海軍への隔意が表に出過ぎる。空軍というより軍事全体を見渡すティクレティウスの視野の広さを疎む向きは強い。

「それでその……ティクレティウスですが、戦略空軍への配属を求める請願が届いておりますが」

「またか! 本人からではないのだろう?」

「はい。主に士官学校の同期、後輩などからですが、一部中級士官からも……」

 ティクレティウスの知性を戦略空軍にこそ活かすべきだ、という意見は空軍の特に下級将校に根強い。士官学校でティクレティウスと共に過ごした者にとっては、むしろティクレティウスが戦略空軍に在籍していないことに深刻な疑問を感じるのだという。

「本人から希望がないなら無視しておけ。奴は航空研究開発軍団が気に入っている様子だ」

 確かにそれは事実なのだが、現在の空軍本流である戦略空軍に一度も籍を置かないとなると、将来の出世にも影響は免れ得まい。どこに配属されても、たとえ外部へ出向となっても赫々たる成果を上げているとはいえ、その立場は傍から見れば不遇とも解されかねないところ。

 当の本人は全く意に介していない様子だと聞くが、組織としては〝空軍士官学校第一期首席〟をこのように扱っては空軍の将来に響くのではないかとの懸念もあるのだ。

 〝空軍士官学校首席〟の地位がゆくゆくは空軍参謀総長、そして果ては統合参謀本部議長に繫がる出世コースの本流にあって欲しい、という組織人としての願いは、彼女を戦略空軍に欲して已まないのだ。

 〝ボマー・マフィア〟たちが一線を退くまで、あと十年足らずの辛抱だろうが、果たしてティクレティウスが耐えてくれるだろうか。

 副官の懸念は数年後に現実のものとなる。


「退役? ティクレティウス少佐が?」

 かつて戦略空軍総司令の副官だった男は、その一報に接し深く諦念の溜息を吐いた。

「間に合わなかったか……」

 あと少し、あと数年待ってくれれば。

 戦略空軍総司令だった男は空軍参謀次長。順当に行けばあと数年で上り詰めて退役だった。そうすれば障害の多くはなくなり、憂いなくティクレティウスを戦略空軍に迎え入れることができるはずだった。

 そのための根回しも、慎重に進めていた。

 少数ながら賛同してくれる将官も出始めていたところだっただけに、無念はひとしおだ。

 聞けば参謀次長殿は大変満足気だったとか。長年疎み続けた人物がいなくなるのだから、さぞかし喜んだことだろうと想像できた。

 退役後、ティクレティウスは起業するという。

 あれだけの傑物だ。欲しがる企業は少なくなかっただろうに、独立独歩の道を歩むとは、奴らしいというべきか。

 今、彼の目の前には奇妙な試作機が並べられている。戦術輸送機の左舷側に四〇ミリ機関砲や一〇五ミリ榴弾砲を搭載した、通称〝ガンシップ〟。砲と火力を信奉してまないティクレティウス少佐の置き土産だった。

 陸軍の砲兵より速く遠くに、航空爆撃よりも長く濃密に、地上の歩兵に近接航空支援を行うにはどうしたら良いか。それを突き詰めた結果考案された空飛ぶ砲兵。絶対的な航空優勢を前提として必要とするが、合州国空軍においてそれは前提として望み得るものだ。

 その積載量に飽かせて積み込んだ砲弾を、航続力の続く限り空中を旋回しながら、雨霰の如く空から撃ち込み続ける。ありとあらゆる地上戦力を一掃する告死天使。

 その構想を論文で読んだ時には、驚くというより呆れると言った方が良い心持ちだった。

 既存の輸送機を改造して仕立てた実験機を用いた共同試験では、陸軍から大変好意的な評価を寄せられた。幾つかの改善点をも指摘されており、より実戦に即した機体となるよう、改良が進められている。制式化の暁には、砲兵と戦術爆撃機の間を埋める存在になれると期待されている。

 もっとも、プロジェクトは空軍主流派からは忌み子扱いされている。

 かの将軍などは『陸軍の下請け仕事』などと呼んだとか。

 だが、これも間違いなく空軍の果たすべき仕事なのだ。

 ティクレティウスは言う。

「いかに砲爆撃で敵陣地を粉砕しても、最後には歩兵が軍靴で踏みしだかなければ制圧はできません」

 戦争は最後は歩兵だ、と空軍士官でありながらティクレティウスは真顔でのたまうのだ。そしていつの間にか彼もそんなティクレティウスに感化されていた。

 空軍だけで勝てるとし、空軍だけで勝利を得ようとした〝ボマー・マフィア〟や制空戦闘をひたすら追い求める戦闘機派とは異なる柔軟な思考。陸海空が一体となった統合作戦において、勝利のために空軍が果たすべき役割を常に志向する。

 そんな考え方が中級士官にまで浸透してきたのは、まさしくティクレティウスの影響だろう。

 それ故に、余りにも惜しいティクレティウスの退役だった。

 だが悲嘆に暮れている暇はない。時計の針は止まらないのだ。ティクレティウス無き空軍で、彼女の遺したものを守り育てていかねばならない。

 たとえ忌み子と呼ばれようとも、彼は計画を完遂するつもりだった。欧州正面に展開する推定二万輛超とされるルーシー連邦の機甲戦力に対抗できるだけの対地攻撃力を、彼らは備えねばならない。

 ティクレティウスが残したスケッチには、三〇ミリガトリング砲を機首に搭載した、対地攻撃専用の怪物がまだ残っている……。


 彼女の退役と起業の影に、中央情報局カンパニーの影がちらつくと耳に挾み、皮肉な気分になった。なるほど、空軍よりも連中の方が余程彼女を高く買っているらしい、と。

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