第6話 他人保険
ここはとあるスナック。仕事帰りの男がひとりカウンターに座っている。隣の席にはタイトなスカートをはいた女性がその細い足を組んでいる。
男はバーボンを喉に流し込むと、女の方を振り向いた。
「僕は保険には興味がないのですよ」
「ええ、分かってますわ」
「でも君が手に持っているのは、保険のパンフレットだろう?」
「ええ、確かにその通りよ」
女は少しの微笑みを忘れない。
「それに、ご覧のように僕はきわめて健康そのものだし・・・」
「はい、それも分かっていますわ。失礼ですが、高田様のことは事前に調べさせていただいております」
女は少し乾いた表情になり、男の目を見つめる。
「ですからこそ、この保険をお勧め致しているのでございますわ」
「君のいっている意味が僕にはわからないな・・・」
男は再びバーボンをあおった。
女はニッコリと微笑むと、静かに語りかける。
「簡単なことですわ。あなたはただ、保険を掛けるだけ。ただし、それは自分自身にではなく、まったく見ず知らずの他人に対してですの」
「他人に対して保険を掛ける?」
男は酔いも手伝っているのであろうか、ますます何がなんだか分からないというような顔をする。
女は続ける。
「あなたの場合、ご自分の健康にはかなり自信を持っていらっしゃる」
「その通りだ・・・」
「ですから、ご自分に保険を掛けても無駄というもの」
「まあ、そうかもしれない・・・」
「そこで、他人に保険を掛けるのでございます」
女は、理路整然と説明をする。
男は、未だ狐につままれたような顔をしている。
「あなたが他の人に保険を賭けたといたします。その保険を賭けられた方が一定期間、怪我などをしなければあなたには保険額に対する配当金が支払われるというものなのです」
「他人が怪我をしなければ、保険金がもらえる?」
男の顔が急に赤らみ始める。
「もし、僕が保険を掛けた他人が怪我をしたり、死んだりしたらどうなるのかね?」
「その時は、残念ながら保険金は戻ってきません。でも、もしそうなってもあなたが怪我をするわけでも死んでしまうわけでもありませんわ」
「なるほど・・・」
男は、妙な納得の仕方をする自分に少し戸惑いながらも、その女の話に少しずつ興味を持ち始めていた。
女は、焦げ茶色のカバンから別のファイルを取り出す。
「ご覧下さい、こちらが被保険者のリストでございます」
「被保険者?」
男はその女が広げたファイルを喰いるように覗き込む。
「この方なんか如何ですか? 健康状態はきわめて良好。ちょっとやそっとでは怪我などしそうにありませんわ」
そこには筋骨粒々の若者の顔写真が載っていた。
「まあ、その分配当金の割合も少ないのですけれど・・・」
写真の男の下には、元金+5%と記されている。つまり、一万円の保険料を支払っても、元金とその5%、つまりは月々五百円しか配当金は支払われないということのようだ。
それでも、この男が元気ならば多少の配当金が戻ってくるというシステムなのだ。
男は、ファイルに目を移す。
「この、+150%というのは?」
男は少し興奮気味に尋ねた。
女はなおも冷静に答える。
「その方は、重度の糖尿病を患っておいでです。いつ病院に入院するか分かりません」
「しかし、来月まで元気なら保険金額の150%を配当金として受け取れるというわけですか?」
「その通りでございます」
元金の一万円に加えて、プラス一万五千円。悪くない小遣い銭稼ぎである。
男の目は、もうファイルに釘付けである。
「えーと、この男は肥満体質、いつポックリいくかわからい。こちらの女性はベジタリアン、栄養が偏っているかもしれない。こちらの男性は・・・」
男はファイルに並ぶひとり一人のデータを読み上げては、自分がこれから保険を賭けるに値する他人を見定めている。
隣で女は、いつの間にか注文をしていたコニャックのグラスを傾けている。
男はフーっとため息をひとつ付くと、晴れ晴れした顔を女に向けた。
「この人にします。この女性に決めました」
そこには、その女の顔写真と配当金の割合が記されている。
『高田敦子 四十二歳 配当率10%』
「実はこれ、うちの女房なんですよ。彼女なら殺したって死にそうにない。そのうえ、毎月お小遣いが少しずつでも増えるなら、まさに御の字だよ・・・」
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