草むらの中からコンニチワ(精神的な朦朧状態)
異界への門である大木は破壊された。問題はない。元よりあそこへ潜って知識を得ることは不可能である、という結論が出たため、百年も前に放棄した場所だった。送り込んだ者のことごとくが戻らなかったのである。
だから、あそこに魔法使いが住み着いたと聞いた時も興味を抱かなかった。彼は他の事案で忙しかったから。
それでも、監視のために数体、あの平原には魔法生物を残してある。判断力は持たない。定期的に帰還し、起きた事柄をまとめて報告するだけのもの。それを聞いた時、彼は驚愕した。あの洞に潜り込んで生きて帰った者がいるとは!!
しかも聞けば、異界より何やら知識を持ち帰ったようである。あちらで見聞きしたもの。そして、石板。どちらも大変に興味深かった。彼は知識と力を求めていたから、それらを手にするためには労を惜しまなかった。
できれば敵の詳細を知りたかったが、魔法生物どもの能力では限界がある。されど新たに使い魔を送り込めば気付かれるやもしれぬ。彼は自らの実力に自信を持っていたが、過信はしていなかった。不充分な情報に基づいた奇襲の優位性と、敵に気づかれて備えられる危険を天秤に掛けたのだ。
まあ問題ない。集団で取り囲み、捕らえればよいのだ。大魔法使いであってもその力は有限である。最悪石板があればよい。少々の事では破壊されることはあるまい。
検討を終えると、彼は準備を始めた。魔法使いの住処へ攻め込む支度を。
◇
軽やかで自由なメロディーが響きわたる。
弦楽器で奏でられているのは夜想曲。
暖炉の
「…うまいね」
上手い表現を思い付かずそんな感想を述べる野伏。ええいこの口め!もっと気の効いたことを言えないのか。
とはいえ学のない彼女の語彙力には限界があった。そもそも表現力があれば吟遊詩人でもしていただろうが。あと歌唱力と楽器を弾く技術。
しかしそうなると今この家にいないのか、と彼女は複雑な気分になった。姉妹と出会ったのは彼女が盗っ人だったからであって、仮に野伏が吟遊詩人であれば姉妹と出会うことはなかったであろう。
「楽士をしたら儲かるだろうにね」
何とかひねり出した言葉がそれだった。
「あら、いいわねそれも。外の世界に出ることがあったらそれで稼ごうかしら」
褒められて気をよくした妹。その手が抱えているのは骨で出来た弦楽器。指で弾くのだ。一方、姉が抱えているのも同じく骨の楽器だが、こちらは意匠が少々違う。
姉は、妹をたしなめた。
「やめておきなさい。魔法をそういう事に使わないの」
「えぇ?いいじゃないの姉さん」
これが、魔法?飛び出る疑問。
そんな野伏に答えたのは姉である。
「何事も極めれば魔法の域に達するわ。万物は魔法だもの。私たちは音楽の助けを借りて、魔法を奏でる。心に響かせることで、術にかけるの」
「へぇ……」
この姉妹との生活は楽しい。
それがあと10年続くのが、野伏にはうれしく思えた。
◇
草原での奇襲は草小人の得意とするところである。小柄で忍び足に優れる彼らは野戦でも力を発揮するのだ。
されど、彼らに負けず劣らず草原での戦闘を得意とする種族がいた。
物心つくとすぐに戦闘へと駆り出される彼らは、小柄な事も相まって草むらを遮蔽とするのが得手である。その優位性を理解できるだけのずるがしこさもあった。そして、草小人と比較すれば明らかに優れている点。腕力。
今、風下より魔法使いの家へと接近する
◇
厠は家の裏手にある。厠と言っても大したものではなく地面に掘ったただの穴である。用を足すと上から土をかけるのだ。穴がいっぱいになると別の場所に穴を掘る。手洗い用に小さな瓶と柄杓は置いてあった。
夜も更けた頃。
用を足し終えた野伏は、ふと前方の草むらに違和感を覚えた。何かがいたような気がしたのだ。
内心で首を傾げた彼女は、いったん家へ戻るふりをすると、視線を遮るように塔の脇を抜け、茂みに潜んだ。
そこから巧みに遮蔽を駆使して、問題の草むらへと接近していく。この辺は手慣れていた。草小人は狩猟にも優れた才能を発揮するから。
適当な石を拾い上げた彼女は、そのまま進むと、ばったり遭遇した。
折れた鼻に黄土色の肌。棍棒を片手に、獣の皮を纏った人型の怪物。
先に相手を補足しているかどうかが生死を分けた。
野伏が振り下ろした石は、
―――何でこんな場所に
ここは魔法を使うか、入り口を発見しなければ出入りできないのではなかったか。
そこで気づく。周囲を取り囲んでいる多数の気配に。
こいつ一匹ではなかった。
多数の小鬼が、家へ接近しつつあったのだ。まだ、家の誰も気づいていない。
敵は間近。されど大声で警告すれば自分はやられてしまうだろう。こいつらは今すぐにでも家へ襲い掛かるかもしれぬ。どうすればよい!?
野伏に、選択が突き付けられた。
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