ハッピーエンドとは?

 数ヶ月前、映画専門チャンネルで『ハッピーエンドが書けるまで』と言う映画が放送されていたので、とりあえず録画だけをしました。

 …未だ、再生していません。


 ハッピーエンド…。一体どう言う意味でしょう?色々考えます。

 答えが出ません。だから、未だ映画を見る事が出来ていません。


 例えば…映画などでは、障害を乗り越えた男女が結ばれる。勇者がラストボスを倒す。…で、ハッピーエンドを迎えます。


 でも…本当にそれで終わり?


 結ばれた男女の人生は、これからも続きます。家庭を持ち子宝に恵まれ、更なるハッピーが訪れる事もあれば、離婚をしたり死別したりもするでしょう。ラストボスを倒した勇者が新たな敵と対立し、世界が再び恐怖に陥る事もあるでしょうし、若しくは世界が平和になり、勇者は用無しとなって誰にも相手されなくなり、無残な人生を送るかも知れません。

 ハリウッドでは、1度はハッピーエンドを迎えた映画が、興行収入が良かったと言う理由で続編が製作される事もあります。そうなるともう、ハッピーエンドも何もありません。


『絵に描いた餅は腐らない』と考える事も出来ますが、私は、主人公達のその後が気になって仕方ありません。原作者や脚本家なら、尚更の事そう考えると思います。人生の途中で一旦のピリオドを打ち、それを以ってエンドとするのは…余りにも軽視した考えに思えて仕方がないのです。トイストーリーと言う映画にて、捨てられた人形達に似ている感じです。


 私は、小学生の頃から物語を書く事に関心を持っていましたが、初めて作品を書き上げたのは2~3年前の事です。上で述べたような疑問に頭を悩まし、無責任な事は出来ないと筆を進める事が出来ませんでした。


『旅を終えた主人公は、それからも幸せにくらしたとさ…。めでたし、めでたし。』


 …ありえません。



 韓国の、ソテジと名の歌手がラストアルバムを出した時、タイトルに『エンド』と言う名前を付けました。しかし彼はクレジットの中で、『エンドはアンド。終わりじゃない』と記述しました。つまり、歌手ソテジとしての活動は終わるが、自分の人生はまだまだ続くと述べたのです。これまでの活動を糧に、これからも人生は続くと語った気がします。これならまだ理解出来ます。




 リアルな人生においても、描かれた人生においても、ハッピーエンドは滅多に存在しません。私はそう考えます。

 本当のハッピーエンドは、死ぬ瞬間に訪れる事でしょう。寿命を迎えて、若しくは病に負けたとしても、過去を振り返って後悔なし!と思えれば、それはきっとハッピーエンドです。北斗の拳の、ラオウの死に様ですよね。(ただ…あれだけの人を殺しておいて、「一片の悔いなし!」はどうかと思いますが…。)

 死ぬ瞬間にそれを感じる事が出来なければ、ハッピーエンドは無かった事になります。希望の会社に就職した。彼女が出来た。結婚した。子宝に恵まれた…。そこでハッピーエンドを感じたとしても、いやむしろ、そこでハッピーエンドを感じて浮かれている人は、ハッピーを感じる事は出来ても、ハッピーエンドを迎えられない気がします。



 P.S.


 説教染みた事を言いますが、人生は終わりの直前まで試練と精進、克服と成長の繰り返しなのです。

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