魔術分析士・キス・ディオール

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第一幕

001

 ぐつぐつと、鍋底を叩くように液を煮る。

 だんだんと粘性を伴ってきた紫の色水は、齢十歳のストアの手にはひどく重たく感じた。

 湯気が顔に無遠慮にぶつかり暑い。かき混ぜ棒を握る手も汗ばんで、そろそろ辛くなってきたころ、師匠の枯れた声がストアの名を呼んだ。

「はい、お師匠さま」

 返事はしっかりするように。それだけで賢く見えると、工房に来た初日に教えられた。

 それから二年が経った今、『はい』『いいえ』を最初につけること、質問に対して他に言いたいことがあったとしてもまずは答えを返すこと、返事は相手の目を見てすること、なども守ればより褒められることに気づいた。

 魔術のスキルよりも、返事をするスキルのほうがより高まっていくのを感じている。

「紹介したいものがいる。少し休みなさい」

 白髭をたっぷりと蓄えた師匠が指を一振りすると、煮立っていた鍋はぴたりと動きを止めた。ぶくりと盛り上がっていた気泡や、弾けたばかりの水滴、ぐにゃりと捻られたような白い湯気たちが、時を留めて彫刻のように見える。

 隣で同じように鍋の面倒を見ていた兄弟子がぽかんと口を開けて、ストアの鍋を見つめていた。

「これ、手を止めてはならんぞ」

 通り際についでのように兄弟子を叱ってから、師匠はストアの肩を持ち広間のほうへ歩く。

 師の動きは緩慢に見えるのに、歩幅が大きいのか進むスピードが速い。ストアはつまずかないように気をつけながら、師匠の顔を仰ぎ見た。

「あの、紹介って?」

「キス、という青年だ。少し難しい言葉を喋るが、君ならきっと大丈夫だろう」

 まただ。

 ストアは他の子よりも魔力の器が大きいらしく、そのために師匠は彼を様々な大人に会わせたがる。会って、少し話をするだけで、特に害も利もなにもないのだが、大人たちは満足して帰っていく。

 そんなに僕に期待してくれているなら続きをさせてくれればいいのに、と思いながら、ストアはちらりと鍋のほうを振り返った。自分の鍋の周囲だけ、膜を張られたように空気が違う。時を止める魔法も早く習得してみたくなった。

「ほら、彼だよ」

 とん、と首を再び叩かれて視線を戻す。と、そこには確かに青年が立っていた。

 ――奇妙なひと。

 ストアが、キスに対して感じた第一印象はそれだけだった。

 黄色や赤、青や紫の布が継ぎ接ぎで出来た、パッチワークのような派手な服。反して真っ黒なシルクハットに、恐らく化粧をしている白い顔。素顔はきっと美しいのだろうが、なんとなくピエロのように見えた。

「初めまして、ストアです」

 どんなに不思議なひとが相手でも、まず挨拶から始めること。これも、この工房に来てから学んだマナーの一つだ。

 そして次は、自分の話よりも相手の話を先に始めてもらう。これはマナーというよりも、自分で話すのが苦手なので相手により多く語らせようという処世術に他ならない。

「キスさんは、どんな魔術を使われるんですか?」

「ストア、彼は魔術士ではない。分析士だ」

 分析士、と口のなかで反芻した。初めて聞く職業だ。

 おやおやおや、と、奇妙な青年――キスは、そこで初めて、口を開いた。声は中低音で、想像よりも美しく響く。

「君が――稀代の天才、非凡で異色の大穎才、桁外れの天賦の鬼才、アインシュタインの生まれ変わり――と、呼ばれる、ストア君?」

「待って。アインシュタイン?」

 突然きこえた魔術のような言葉に眉をひそめる。

「ああ、すまない。すまない。この世界に彼はいなかったんだったね。失敬した、慮外で不埒な発言だった。なんて申し訳ないことを」

 慇懃無礼――という単語がなんとなく脳内を駆け巡るのを感じながら、ストアはキスを仰ぎ見る。

 どことなく魔力を感じるような気がした。素質がある。とはいえ大人にしては力の練成が完成していない。三ヶ月ぐらい中途半端に修行を積んで、すぐやめた、というぐらいの粗略さを感じた。

「元は魔術士だったんですか?」

「元、というほど『魔術士』だった経験もないがね。だがしかしまあ、志したことが一瞬でもあったのは確かだ。とはいえ魔術を行うよりも、その形式や流動について分析することのほうが楽しくなってしまってね」

 それで分析士、というわけだ。

「あなたの他に、分析士はいるの?」

「私は会ったことがないな。だが世界は広大で遠大で不思議に満ちている。分析士の一人や二人、何処にいたって可笑しくない」

 いないんだ。

「ひょっとすると君も未来は分析士かもしれない」

 ばーん、と、指の拳銃でこめかみを狙われた。

 薄くとも魔力を纏う指先を向けられるのはやはり不快だ。

「それで、分析士さんが……僕に何の用事なんですか?」

 今まで訪問してきたのは皆、名のある『魔術士』たちだった。

 ストアに会いに、というよりは、大魔術士である師匠に会いにきたついでに、その愛弟子にも、という形だったが。

「何の用事、って。決まっているだろう。君の魔術を分析したい」

 キスはなんでもないことのようにそう言った。分析?

「具体的には、何をするんですか?」

「そうだな。君の隣にずっといる。寝食を共にし、常に御前を離れず、伴侶のように寄り添い、君の一挙一動すべてを見逃さぬよう『集計』そして『分析』するのさ」

「……」

 気持ち悪いな、という感想しかなかったが、まさかそれをそのまま口にするわけにもいかず黙り込んだ。

「まあまあ。不安にさせるのはやめなさい」

 老人は白髭を揺らしながら、ストアを守るようにキスとの間に割って入る。

「立ち上がるのが遅いファイアウォールだね。僕なら『常に御前を離れず』の時点で、既に僕をぶっ飛ばしているよ」

「相変わらず減らず口だな、キス・ディオール。――で、どうするかいストア。具体的には、キスが君の魔術――例えば鍋による薬の練成もそうだな。そういったものを見て、データ化し、分析してくれるのだ。もちろん、分析結果として今後の改善点なども教えてくれる。キスの趣味に付き合うだけというわけではない。君のためにもなることなのだよ」

「はい、なるほど」

 分析。魔術が、分析できるものだとは知らなかった。データ化するというのはどういうことだろう? どんな形で可視化されるのだろう。――気になる。

「興味があります。ぜひ、お願いします」

 そう答えると、キスは満足したように腕組みして、そして芝居がかりの大げさな動作でストアを見下ろした。

「大喝采。歓声とスタンディングオベーション。素晴らしい!」

 彼は優しげに微笑みながらそう言ったかと思うと、大きな手のひらを打ち鳴らし、低く響く声でプロローグを告げる。

「合理的な賢者、もしくは探求する公務員とも呼べるかな。主知的な俐発さ、知己要らずの強烈な探究心、怜悧で瑞々しい狡猾さ、そしてIQで例えるならメンサ入り確実の凄烈な魔力を、君は併せ備えている。――どうぞ宜しく。先ほど語りがあったとおり、我が名はキス・ディオール。お察しの通り、この世でたった一人の魔術分析士だ」

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