No.26 人をモノだと考えたその時点で貴方はクズです?


「あたしはあんたたちを逃がしに来たのよ。ついてはいけないの......」


 その言葉にここにいた全員が口を開けて驚いてしまった。


「な、何でだよ! 俺たちはお前を連れ戻すために来たんだぞ!」

「あたしは連れ戻して欲しいなんて言ってない!」


 カッと目を見開きこれまでにない威圧感を放っている。カズも檻の鉄骨から手を離し呆然としていた。


「なぁ、サヤ姉。なんか事情があるんだろ? 話してくれないか?」


 俺は努めて優しく声をかける。サヤ姉はため息をつくと近くにあったパイプ椅子に腰かけた。


「あたしはね、元々は大企業の社長を父親に持つ裕福な娘だったの。父は曲がった事が嫌いで犯罪なんてもっての外だった」


 静かに、淡々とサヤ姉は自分の過去を語り出した。




「パパーー!」

「おぉ、サヤ。学校はもう終わったのか」

「うん! だって明日から夏休みだよ? 今日は昼までだったの」


 パパは相変わらず仕事に熱心で、あたしの学校のことに興味があるようには見えなかった。こうしてあたしがパパの仕事場に来ても怒りはしないが実際は忙しいはずだ。なんせ大手車メーカーの社長なんだから。

 娘にかまってる暇はあまり無いのだ。


「社長! 見てくださいコレ! 今月発売した新車の売り上げが他社を抜いて一位ですよ!」

「本当か! それは良かった」


 パパの社長室に勢いよく入ってきたのは副社長の麹屋こうじや金次きんじだった。入ってくるなり売り上げがグラフや表に記されたプリントをパパに見せ付けた。


「この勢いに乗ってさらに売り上げを伸ばしましょう。まずは値段を上げていこうと思います!」


 今度はもう一枚のプリントをパパの前に出した。


「値段を上げる? 麹屋くん、この値段は高すぎるだろう。こんなことをしたらお金持ちの人間しか買えないじゃないか」

「いいじゃないですか! このまま我が社を高級車メーカーにしましょうよ!」

「ダメだ!」


 突然のパパの怒号に麹屋はもちろん横で見ていたあたしもビクっとしてしまった。


「我が社の企業理念を忘れたのか? お客様の笑顔が第一だ。この値段で一部の人間にしか買えない高級車にするのは絶対に許さん」

「し、しかし! このチャンスを逃せば我が社の売り上げは横這いのままですよ!?」

「稼ぐのが第一じゃないんだ! お客様あっての商売だと何度言えば分かる?」

「どうして、どうしていつも儲け話を全て切り捨てるんですか!?」


 パパと麹屋はこんな感じでいつも喧嘩していた。喧嘩するほど仲が良いとはよく訊くが、この二人は本当に仲が悪いのだ。

 儲けを第一に考える麹屋にパパはいつもお客様の笑顔が第一という一点張り。もはやどちらかが会社を辞めたほうがお互いのためになるんじゃないかと思うぐらいだ。


「社長......、あなたの考えには私は付いていけない......」

「じゃあ会社を辞めるんだな。それか私が死んで副社長から社長に昇格するのを待つことだ」

「チッ!!」


 軽く舌打ちをして社長室を出て行った。パパはふぅと息を吐いて頭を掻く。


「仕事の出来る私の自慢の右腕なんだが、やっぱりそりが合わんなぁ」

「......きっとパパを信頼してるからあれだけ熱く話して来るんだよ!」

「そうかなぁ」


 首をかしげてまた仕事に戻るパパだった。



 次の日。

 お世辞にも友達が多いとは言えないあたしはまたパパの会社に来ていた。ママがアメリカと日本のハーフであたしはクオーターということになるらしい。そのせいで髪は金色。

 周りからは人目置かれていた。パパもそれを分かってくれていて、こうして社長室に自由に入ってきていいよと言われている。

 忙しくてあたしの事にかまっている暇がなかろうと、パパがあたしを愛してくれていることはひしひしと感じていた。

 そんなパパのことが大好きだった。

 それなのに、あたしはその気持ちを一瞬で壊されることになった。


「パパーー! お邪魔しまーす......?」


 社長室に入ってみるが誰もいない。というか、会社内にだーれもいない。

 あれ? もしかして今日はお休みの日?

 そう思ったがパパはしっかり朝から会社に行って来ると言って出て行った。


「パパ~?」

「どこにいるの~?」

「お~い、パーパー?」


 あたしはとにかく社内を歩き、パパを呼びまくった。

 その時、階段のほうから物音が聞こえてきた。


「パパ?」


 そう思って階段をチラっと覗いた。階段の踊り場にいたのは確かにパパだった。それに副社長の麹屋もいる。

 暗くて見にくいけれど目を凝らした。


「っ!!」


 そして見えたのは倒れている血だらけのパパだった。目からは精気がなく手は死んだようにだらんと垂れている。

 いや、死んでいたのだ。

 麹屋の持つ包丁からはポタポタと血が滴り落ちている。


「あぁ、パパ!」


 あたしは階段を降りてパパの元に駆け寄った。


「パパ! パパ!」


 死んでいる。

 それが分かっていてもパパをとにかく呼んだ。床に広がるパパの血も気にせず膝をついてパパの肩を揺さぶる。何度呼んでもやっぱり起きなかった。


「どうして、どうしてパパを殺したのよ!!」

「社長が悪いんだ、私の持ってきた儲け話も全部切り捨てて、もっと大きく出来るこの会社のことよりもお客様の笑顔だと抜かしているのが悪いんだ」

「だから、殺したって言うの......」

「ああ、そうだよ。社長がおっしゃっていたのを君も聞いただろう? 社長に昇格するのを待てって。でも社長が死ぬのを待っていたら私も老体になってしまうからね」


 そんな......。

 あたしは初めて人間の狂気の沙汰を感じた。怖くて震えが止まらなかった。


「これでこの会社に社長はいなくなった! 副社長であるこの私が社長となるのだ!!」


 そう言って高笑いで天を仰ぐ麹屋。が、すぐにその笑い声は止み、考え事のようにブツブツ呟き始めた。


「いや、待てよ。社長の奥さんが経理部長...。そっちを社長にしろという意見が出てもおかしくはないな。仕方ない。奥さんのほうも殺すか」

「え?ちょ、ちょっと待って、ママも殺す気なの!?」

「ああ、今から行くよ。付いてくるかい?」

「や、ヤメテよ! もうあたしの家族を殺さないでよ! ママだけは、ママだけは助けてよ!」


 あたしは階段を降りていこうとする麹屋の足にしがみつき、悲痛なる願いを言った。

 すると、麹屋はニヤリと気色悪い笑顔を浮かべた。


「ママを殺されたくないんだったらさ。サヤちゃん、私と結婚しなさい」

「...え?」

「私と結婚してくれるのならママを殺さないであげるよ」


 けっこん......。

 その言葉の意味を理解するのに時間はかからなかった。この男は小学五年生のあたしに恋愛感情を抱いているのだと。もしくは、あたしのことをただただ性的な目で見ていてここがチャンスだと思ったのか。


「ハハハ、悩んでいるようだね。時間をあげよう。また明日この会社の屋上で待っているよ。警察に話したら、分かっているね?」


 あたしはその言葉を聞いてすぐに走り出した。

 会社を出て、街を駆け抜け、行った事の無い場所にまで足を踏み入れた。着ている服のあちこちにパパの血がついていて通行人がギョッとしている。

 とにかく走り回った。

 これが夢だと信じたかった。信じ込みたかった。

 いくら自分で頬を叩いても痛い。

 夢じゃないことなど分かっていてもパパの殺された事実、ママが殺されるかもしれない事実、会社を乗っ取るためにパパを殺した麹屋があたしに条件を突きつけてきた事実。

 全てを走ったら忘れられるんじゃないかと思ったけど、


 その事実は変わらない。



 どれだけ走ったかも分からない。

 そして自分がどこにいるのかも分からない。

 裏路地に入り込んだところからもう方向感覚を失ってしまった。


「誰か、助けて......」


 その思いで頭の中はいっぱいだった。相談できる人がいない。

 どうすればいいのか分からない。

 今になって涙がこぼれだした。怖くて怖くてたまらない。

 声をあげて泣き出しそうになった時、


「ぉりょ? どうしたんやお嬢ちゃん? えらい泣いてんなぁ」


 顔を上げるとそこには成人してるかしてないかぐらいの男がいた。泣いているあたしを心配するようにあたしの前にしゃがみこんだ。


「うわっ! なんやこれ、血ぃかいな! 何があったんや? 話してみ?」


 一人で心細かったあたしにその陽気な関西弁は心地よかった。なんとなく信頼してしまったあたしは男に全てを話した。

 あたしの話を聞き終えてうーんとうなった。


「なるほどなぁ、そりゃ大変なことになったなぁ」

「うん。あたし、どうしたらいいんだろう」

「とりあえず警察に行くのが一番やろけど、どこでその男が耳に入れるか分からんしやなぁ」


 腕を組んでまた悩み始める。


「せや! えぇ事思いついたで!」

「えぇ事?」

「へへっ、ちょっと耳貸しいや」



 次の日。

 あたしは会社の屋上に行った。時間指定はされていないけれどなんとなく昨日と同じ時間帯に行くことにした。

 すると、屋上にはすでに麹屋が立っていた。

 

「あぁ、サヤちゃん。来てくれたんだね。答えは決まったかい?」

「えぇ。あたしはママを救う」

「そうかそうか。じゃあ、私と結婚してくれるんだね」


 麹屋は嬉しそうに目を細めた。


「でも、ちょっと待って欲しいの。......あたしと賭けをしましょう」

「賭け?」

「あたしはまだ結婚できる歳じゃないでしょ? だから結婚できる歳になるまでに人身売買のための人間を千人集める。それが出来なかったら結婚してあげる」

「人身売買?」

「そうよ。昨日知り合ったのよ。人身売買をする商人と」


 そう。名前を雲仙うんぜんよこしまという昨日知り合ったあの関西弁の男は人身売買をする商人、人身商人だったのだ。

 その人が言ったえぇ事とは。

 あたしがママに麹屋を社長にするように頼んで、麹屋を社長にする。社長になったら裏で人身売買の人間オークションに資金援助してもらう。

 そしてあたしはどうにかして人間オークションに出品するための人間を千人集める。千人集めることが出来たら結婚は取り消し、千人集められなかったら観念して結婚するというものだった。


「どう? あなたは社長になれるし、あたしとしてもママが殺されなくて済む。それに人身商人の雲仙さんにもメリットがある。残ったあなたとの結婚の話はこの賭けで決着をつけるの」

「なるほど、なかなか面白い。が、それは賭けというよりも契約と言った方がいいな」

「そうね。それで、あたしと契約するの?」

「もちろんだよ。はっきり言ってこんなにも私に有利な契約は初めてだよ」


 そうしてあたしと麹屋は契約を結んだのだった。




「で、あたしは契約に沿って人を雲仙に送っていたのよ」

「それでキャバ嬢を......」

「そう。酔わせてしまえばこっちのものだからね」


 サヤ姉の話したことはにわかにも信じがたいものだった。

 小学五年生、つまり十一歳のころから今までずっと契約に縛られて生きていたということになる。壮絶すぎて頭が追いつかない。


「千人、集まったのか?」

「もちろん、集まってないわよ。半分にも満たなかった」

「じゃあ、サヤさんは契約通り麹屋さんと結婚しなければならないということデスカ?」

「そういうこと。だから一緒には行けないわ」


 サヤ姉は笑って明るい顔をした。

 でも、それは引き篭もりで人付き合いが良いとは言えない俺でも分かるほど下手な演技だった。俺たちがきっぱりサヤ姉のことを忘れられるようにしたいのだろう。


「いや、一緒に行くんだ」


 カズがサヤ姉を真剣な眼差しで見つめる。


「だから、無理なのよ。契約があるから」

「契約、契約うるさい! 俺らはお前を連れ戻しに来たんだ。絶対連れて帰る」

「ダメなのよ! あんたたちだって殺されちゃうかもしれない。それにあたしは何人もの人を人身売買のため雲仙に送っていたのよ! あんたと神哉が初めてあたしの店に来たときもあんたが暴れまわらなければ、そのままオークションに出されてたかもしれない! なのに、どうしてまだあたしを信頼するのよ!」


 サヤ姉は笑顔の仮面をはずして感情的にまくしたてた。その顔には涙がこぼれ、今にも壊れてしまいそうだ。


「契約があるから、無理なのよ......」

「だ~か~ら~! 俺は契約上の建前なんて聞いてねえんだよ!」

「え?」


 カズが頭をぼりぼり掻いて声を荒げた。


「お前の心の中の本音を聞きたいんだ! 今お前はそいつと本当に結婚したいのかよ!」

「したいわけ、ないじゃない...」

「親父を殺した相手の嫁になってもいいのかよ!」

「いいわけないでしょ!!」

「だったら...、」


 そこでカズは一呼吸置いた。そして檻越しにサヤ姉の頭を撫でて言った。


「俺らにさらわれてくれよ」

「っっ!!!」


 サヤ姉は泣き顔を隠すことなくカズを見つめ、手を口に当て、余計に涙を流した。


「俺じゃ不満か? サヤ」

「不満じゃないわよ...」


 はぁーと深呼吸してサヤ姉はカズに、そして俺たちに言った。


「あたしをさらってください...」

「...任せろ」


 サヤ姉は俺たちと一緒に逃げることを選んでくれた。俺、高天原神哉も恥ずかしながら少し目が潤んでしまった。

 早くここを出てまた我が家で酒を交わしたい。そう思っているときだった。


「感動的なとこに水差すんもアレやから待っとったんやけど~。もう話終わったみたいやなぁ~?」


 あの体全身にまとわり付くような気持ちの悪い声が聞こえた。ギィとドアが開き、入ってきたのはもちろん人身商人、雲仙。


「俺はゆーたよなぁ? 自分の売った『商品』が誰かに盗まれんのが一番イヤやて」

「ああ、聞いたさ。でも悪いけど俺たちも犯罪者なんでな」

「へへっ、そーやと思ってたで。まあそれは置いといて、今の話、主はんも聞いてたんやけど、相当お怒りやで?」


 気味の悪い笑顔をしてドアを向く雲仙。そこにはいつのまにか例の社長、麹屋金次が立っていた。


「金次さん......」

「......サヤ」


 サヤ姉を見つめる麹屋の目は、恐ろしいほどに優しかった。


 次は犯罪者たちがサヤ姉さらっていくぜ!

 いつかの新人スパイも助っ人参戦...。

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