「とある恋娘の話02」
この喫茶店の利用者は主に町の住人だ。見慣れた警官や近所のおばさんたちがお昼を食べにやってくる。
大体お昼が一番忙しい時間帯で、長期休暇中となれば同級生や後輩たちもお店に来るものだから大変だ。それだけこの喫茶店は町の人たちから愛されているのだろう。
「伊澄、おつかれ」
「わっ! もうお兄ちゃん冷たいよー」
くたくたになっていると頭に冷たいものが押し付けられて驚き飛び起きる。そこにはいつもの青のワイシャツにエプロンをつけた兄の姿があって、私に押し付けてきたもの――缶のサイダーを私の目の前に置く。
兄は本来、この喫茶店ではなく別の場所で働いているのだが、そちらが暇な時はこうしてお店の仕事を手伝いに来てくれる。そして兄ともう一人。私の、憧れの人。
「湊さんは?」
「今厨房。俺らの昼作ってるんだとさ」
兄と茜さんの幼馴染の湊さんは料理の腕前がすごくて、厨房の手伝いをしてくれることが多い。
「そういやあの花、お前が見繕ってきたんだって? 茜に聞いたよ」
「うん、どんなのがいいのか分からなくて適当に選んできちゃったけど、皆気に入ってくれて良かった」
「ああ、今時の女の子らしい良いセンスしてる」
「ちょっとそれは遠回しに私のセンスが古いって言いたいのかしらねえ?」
兄の首に腕を回しながら茜さんがニッと笑う。茜さんは兄が私の向かいに座った時から後ろにいたのだけれど、兄は全然気付かなかったみたい。大丈夫なのだろうか。
「おい茜、痛いから離せ」
「いいじゃないちょっとくらい。あんたお客さんと話してただけでそんな疲れてないでしょ」
「別にただ話してただけじゃねえよ」
「まーあんた奥様方に人気だからしょうがないわよねえ」
いつもながらに二人は仲が良い。だから付き合っているのかと言えばそうではない。まるで姉弟のようだなあとそのやりとりをぼんやり眺めていると、厨房から顔を出した湊さんが呆れたような顔をしていたかと思えば腕を振りかぶり、何かを投げた。
「いってぇ!?」
「お前らうるさい」
「だって茜が」
「言い訳無用」
もう一発と言いながら湊さんが手にしているのは空のフルーツ缶だ。確かにあれが当たると痛い。兄には少し同情するものの、湊さんも手加減しているのだし、元はと言えば兄の方が悪いような……気もする。
「茜、使いかけのフルーツ缶とあと、ホットケーキミックスもらった」
「お、ありがとね。あんたがいるとほんと助かるわ。
「俺接客出来ないし」
淡々と答えながら運んできた四つの皿を私達の座るテーブルに並べる。言ってくれれば運ぶの手伝ったのに。
四つの皿にはそれぞれ厚いホットケーキとバニラアイスやヨーグルトに、さっき湊さんが言っていたミックスフルーツ、そしてチョコレートソースやベリーソースがかかっている。
通常メニューとして出しても遜色ない出来に思わず、すごいと声がもれる。
一人暮らし歴が長いせいか湊さんは料理が上手い。そして美術を専攻していたことも関係しているのか、砂糖細工であったりソースで描く装飾であったりと妙に手を加えたがる。事情があって絵はもうやらないと大学を辞めてこの町に戻ってきたみたいだけれど、そうして何かにつけて絵と結びつけたがる辺りきっと辞めたくないのだろうと、チョコレートソースで描かれた花を見ながら思う。
「あれ、この花……」
「うん、カウンターに置いてあるやつ。アイビーゼラニウムだっけか」
「えっとそこまでは……」
そういえば花の名前を聞いてくるのを忘れてしまった。すると湊さんがあの花について親切に教えてくれた。花に詳しいのは意外。
兄にも茶化され、冷めた目で睨んでいたけれどその目に嫌悪感は感じられない。
きっと私が同じことをしても湊さんは相手にもしてくれないのだろう。この時ばかりは、兄が少し羨ましかった。
「そうだ湊、今度うちの看板描いてよ」
「えー俺もう描かないし」
「私も湊さんが描いた看板見たいなあ……」
ポツリと漏れた言葉に湊さんの手が止まる。口に出すつもりはなかったのだけれど、つい声に出てしまっていたらしい。
「あ、いや、今のは……」
「……伊澄が言うなら考えてもいい」
それはどういう意味か聞く前に、湊さんは皿を持って厨房に消え、しばらくして着替えて戻ってきた。
「診療所行かなきゃならないから帰るよ」
「うん、ありがとね。今日は助かったよ」
「どういたしまして」
「それと、言ったからにはちゃんと看板描いてよねー」
「まだ考えるとしか言ってないんだけどな」
呆れたように笑いながら湊さんが帰っていく。店内が完全に静まり返った頃を見て、兄と茜さんが同時に私の顔を見た。
「な、なに……?」
「いや、新鮮だなと思って」
「はー、若いって良いわねえ」
若いって、茜さんだって十分若いのに。
「それにしても湊は伊澄ちゃん相手でデレるとはねえ」
「ああ、ちょっと意外だな」
「あ、あれってデレてたの……?」
「そうよー。私らが同じこと言っても冷たくあしらわれて終わりだもの」
そして茜さんは今まで湊さんに冷たくあしらわれたという話を始める。
確かにその話を聞く限りではさっきの湊さんの反応はデレてると言っていいみたい。でもそれはデレてるんじゃなくて、私がそこまで親しくないからなんじゃないかと思う。
「あの子は本当に親しくない相手だとあんな饒舌に喋れないよ。だからもうちょい自信持っていいよ」
「そうそう。もうちょい押せばもしかしたら落とせそうだしな」
「落と……」
「おいお前まさか、俺が気付いてないとでも思ったのか?」
「多分気付いてないのこの町で伊澄ちゃんと湊くらいじゃないかしら」
「え、嘘!」
そんなに表に出ていたのかな。私が湊さんのことが好きなの、皆気付いていたみたいで、なんだか恥ずかしくなる。
「で、お兄ちゃん的にはどうなのよ? 可愛い妹ちゃんが恋をするってのは」
「どこの誰とも分からん男を好きになられるよりは全然マシさ」
それでもどこか複雑な心境のようで、妙にふてくされたように笑っていた。
「それにしてもそうか……湊か」
兄がポツリと呟く
「兄妹揃って、似た者同士だよまったく」
わしわしと私の頭を撫でながら、兄は寂しそうな顔をしていた。どうしてそんな顔をするのか私には分からない。でもきっと、聞いちゃいけない何かがあるのだろうと思いスマホをいじり出した兄の横顔を見つめていた。
「うーん……仕事入ったみたいだから俺も戻るわ」
「そっかそっか。征久さんにも暇なら手伝いに来てーって言っておいて? あの人来るとおばさま方やら若い娘やらがいっぱい来るのよ」
征久さんというのは、兄の本来の仕事の雇い主だ。この小さな町で探偵をしていて、背も高くて顔もかっこよくて、ただ一つ少し変人である事さえ除けばほぼ完璧な人。
確か両親を亡くした湊さんの保護者をしているとかで、そういえば昔から見た目が全く変わっていない気がする。今も昔も若いお兄さんで、変わるのは髪型と眼鏡だけ。少なくとも、人間じゃない事は確かだ。
「さて、伊澄ちゃんももう上がりでしょ? 後は任せて着替えておいで」
のんびりとお昼を食べていたらいつの間にか退勤時間になっていたようだ。
私は急いでお昼を食べて着替えを済ませてお店を後にした。
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