第46話 長い冬
本格的な冷え込みが過ぎると、蒼天の山脈に積もっていた雪は春を前にして溶け始めた。火山活動が活発化しだして、マグマが流れ始めたのである。
それによって俺たちは瘴気の森から山脈の麓周りまでを探索するようになっていた。
すでにランクは48になっている。
「マグマが噴き出して来たら死んじゃうわよね」
クレアが流れるマグマを横目に見ながら言った。さっき自分に変身したドッペルゲンガーを倒してきたところなのに、そんな調子だった。
「まあな。それにしても慣れたよな。最初の頃はギャーギャー喚いていたのにさ」
「今だって嫌よ。だけどみんなが強くなるためだと思うことにしたの。それに、あれは私じゃないのよ。ただのモンスターだわ」
「その装備が壊れる前に、ユニークボスを倒しておかないとな」
蒼天の山脈の中腹辺りを回っているが、ハーピーやらグリフィンばかりでボスは見つかっていない。この翼の生えたモンスターは恐ろしいほどの勢いで集まって来て、数の暴力によって俺たちを取り囲むから引かざるを得なくなる。
上に行くほど集まる数が増えるので、どうしても中腹辺りで引き返すことになってしまっていた。
「ドラゴンは頂上」
今のところ、そこまで行けるのはリカだけである。リカだけでは、行ったところでなにが出来るわけでもない。
「本当に抜け道はないのか。どう考えても俺たちだけじゃ、あの数のモンスターは相手にできないぜ。抜け道くらい用意されてるはずだと思うんだよな」
「どこにもない。だけど頂上はドラゴンがいるから他のモンスターも近寄らない」
「ドラゴンは特別なモンスターでしょ。いつでも倒せるわけじゃないのかもしれないわよ」
確かにアイリの意見にも一理ある。王都で倒したドラゴンはとてつもないアイテムをドロップしたから、あんなものを常日頃から狙えるとなれば、ゲームのバランスを壊す可能性がある。
しかしリカの話だと、山頂付近にいるのはレッサードラゴンやスモールドラゴンが多くて、明らかに狩りの対象にできそうな雰囲気なのだ。
「リカに敵を引き付けてもらって、どうにかするしかないな」
「あれだけの数がいたら無理なんじゃないかしらね」
クレアは気安い調子でそんなことを言っているが、俺が一番心配しているのは彼女の装備である。すでに体に引っ付いているのが不思議なくらい歪んだり裂けたりしている。
「どこかに引っ張って行けるわけじゃないから無理」
「いや、忍者にはそれくらいできるよ。その場にとどまって敵の気を引き続ければいいだけだろ。だけどリカはプレイヤースキルが低いから、それが問題なんだよな」
「謎の上から目線」
「いやいや、俺が忍者だったらそれくらいなんでもないよ」
「ただ剣を振り回してるだけなのに」
「確かに魔剣士は技術的に難しいことがないな。リカ向きの職業だよ」
「ムカッ」
その後はリカが敵を引き付ける練習に付き合ったが、あまりに上手く行かなくて、ついにはリカが拗ねてしまった。感情が表に出てこないから、俺が言いすぎてしまったせいもある。
このゲームは盗賊と忍者だけやたら難しくできている。他の職業と違って移動速度とジャンプ力がステータスによって変わるので、体を動かす感覚自体が変わってしまうからだ。
他の職業であれば、体の感覚自体はそれほど変わらない。唯一、クレアが腕力馬鹿になっていて力加減を間違えるくらいである。
それだって、もともとは非力な少女だったのだから責めてもしょうがないと、最近になって思うようになった。
今でも手足はゴボウのように細くて、栄養失調寸前くらいの見た目なのだ。
「なにジロジロ見てるのよ。変なこと考えてるんじゃないでしょうね」
クレアは右腕を振りかぶって俺のことを威嚇した。腕力を笠に着て人様を脅すのはいただけないが、それも形だけのことである。本当に暴力を振るってきたことはない。
「暇だな」
「まあ、そうねって、私の質問に答えてないじゃない」
今もハーピーとグリフィンが俺たちにも襲い掛かっているのだが、クレアがたまに攻撃を受けて、あとはアイリとモーレットが相手をしている。
ワカナはたまにクレアを回復して、気が向けば攻撃魔法も使うといったところだ。
なので俺はリカに伝心の石で話しながら、敵を引き付ける練習にアドバイスをしている。
「自分の動きに集中した方がいいんじゃないか。さっきから敵の動きに気を取られ過ぎだぞ」
「うるさい」
「だけどさ、そこを直さないといつまでも良くならないからさ」
「じゃあ自分でやって」
「そんな聞き分けのないことを言うなよ。お前の苦労はわかるけどさ、敵の動きを気にしすぎて足元がおろそかになってるんだよ。それでさっきから良くなってないんだ。第三者から見たアドバイスは必要じゃないか」
「必要ない。黙って」
完全にコミュニケーションを拒否した態度である。どうしたものかとワカナに視線を向けると、何故か彼女は笑っていた。
「どうしたらいい」
「リカがそんな風に感情を見せるのは珍しいことだよ。仲良くなった証拠だね」
「いやいや、ケンカになってるんだから仲は悪いだろ。それよりも、どうしたらこいつが機嫌を直してくれるのか教えてくれよ」
「ワカナは余計なこと言わないで」
まるでワカナの声が聞こえているかのように、リカの鋭い声が俺の耳に響いた。しかしリカの言葉はワカナに聞こえていないし、同じくワカナの言葉もリカには聞こえていない。
「耳元で叫ぶなよ」
「私は本気で怒ってるって、ワカナに言って」
「本気で怒ってるってなんだよ。俺はアドバイスをしていただけなんだぞ。そんなのおかしいじゃないか。大人げないにもほどがあるぞ」
「コシロは、口が悪い」
「そんなに悪くねえよ。どちらかと言えば、真っすぐな言葉が出てくる方だよ、俺は」
「たしかにコシロに腹を立てた私が悪かったかも」
「ちょっとまった。その言い方にはトゲがあるな。本気で俺の相手をする奴は馬鹿みたいな言いぐさじゃないか。俺は真面目な話をしてるんだぞ」
「そうやって、なんにでも言い返してくるからムカつくの」
足元の火山岩がかなりの熱を放っていて、あがってくる熱気は息苦しいほどだ。そして山脈の尾根からは、残っている雪から刺すように冷たい風が吹き下りてくる。
そのうえリカの暴言に晒されていては、こっちもイライラしてくるというものだ。
「あんなもの俺なら一瞬で出来るようになるのにな」
「どうかしらね。暇そうで羨ましいわ」
リカだけでなく、アイリまで嫌味を言ってきた。自分だけ働かされているのが納得できないのだろう。しかし足場の悪いここで剣を振りまわし、バランスを崩してとがった岩に腰をぶつけているから、座りのいい石におろした腰を上げようなんて気は間違っても起こらない。
雪から跳ね返った光が目に刺さり、その眩しさに空を見上げると、息を飲むほどに美しい青空が広がっていた。
気持ちを落ち着かせて、もう一度リカに柔らかい言葉だけ選んで話しかけた。
だけど根本的にリカは視界が広くて、周りのことがよく見えているゆえに移動だけに集中できない。すぐにバランスを崩して敵に捕まってしまう。
一度はワカナのヒール範囲に戻って来られずにロストしかけた。
そこで時間もちょうど日が沈みかけていたので、俺たちはギルドハウスに戻った。
食事の時間になっても、リカは話しかけないでオーラを出している。
「職業が変えられたら便利だよね」
「そういうゲームもあるんだけどな。このゲームは無理みたいだ」
「でもユウサクが忍者をうまく扱えるかどうかはわからないじゃない」
まだ俺の実力をわかっていないクレアがそんなことを口にする。
「そうよ。リカのことを言ってるけど、ユウサクにだって出来るかどうかはわからないわよ」
アイリまでクレアに賛同した。
「理解力のない奴らだな。俺なら一瞬で出来るようになるよ。それを証明する方法はないけどな」
「でも、山頂は諦めた方がいいんじゃないのかな。このまま続けてもできるとは限らないよ。ねえ」
ワカナの言葉にリカが静かに頷いた。
確かに今回ばかりはどうにかなりそうな気配がない。これはもう次を探したほうがいいだろう。
「次の候補を探してみるか。だけどドラゴン系の装備がどうしても欲しいんだよな。それ以上強い装備はなさそうだしさ」
「方法ならある」
「どんな方法だよ」
「コシロには絶対に教えない」
「あるわけないだろ、そんなもの。装備は諦めて砂漠のダンジョンでコツコツやるしかないか。あそこなら、まだ経験値も入ってくるしさ」
「あんなところ絶対に嫌よ。ものすごく怖い幽霊が出るじゃない」
「はは、クレアは怖がりだな」
モーレットがクレアを指さして笑った。あそこが平気なのはモーレットとアイリくらいである。俺だってあんなのは嫌だ。
「あそこでやるなら長くなりそうね」
アイリがため息をついた。
「確かにそうだよね。私はもうあの幽霊に会うのは嫌だよ」
「ワカナ、話がある」
リカが突然立ち上がって言った。そのままワカナを連れて外に出て言ってしまい、二人はみんなが食事を終えるまで帰ってこなかった。
二人でいれば心配もないだろうと、俺は特に気にもせずに部屋に引きこもった。
そしてまた、深夜ごろになってリカが俺の部屋を訪ねてきた。
ノックだけで部屋に入って来て、ベッドの上に座った俺の前に立ったので、俺はすぐに前かがみになって太ももの上をカバーする。
俺は下着姿だというのに、リカはそんなことに怯みもしない。
「どうした」
「下着くらい履いたらどうなの」
「えっ」
下着は履いていたはずだと思って、手探りで確認をすると、その隙をついてリカが俺の太ももの上に飛び乗った。
「キャーーーーーーー!! 痛い! マジ痛い! 恨みを晴らしに来たのかよ! あー、もうすべての気力が失われた。何もする気が起きない。太ももが肉離れなんだよ! こんなことして絶対に許さないからな! だけど今は仕返しする気も起きないや。今日だけは勘弁してやるから、どこへでも行けよ」
ベッドに身を投げ出して、俺はすべての気力が失われたのを感じた。
「山頂に行く方法がある」
「あるわけないだろ。俺にはもうそんな話に付き合う気力も残ってないんだよ! せめてゆっくり座れよ。それならまだ冗談で済ます余地も残ってるだろうが。飛び乗られたらもうシャレにならないんだよ。あまりの痛みで怒りも湧いてこねえよ!」
「山頂に行く方法を教える前に、私の言うことをなんでも三つだけ絶対に聞いてくれると約束して」
「めちゃくちゃだな。俺の話を聞いてるのか」
「どうなの」
「三つの願い事を言ってみろよ」
リカはあまり冗談を言うタイプでもないので、俺は話を聞いてみる気になった。だけど願い事の一つは秘密だというので、簡単に頷けるような話ではなかった。
「訳のわからないお願いだな。それに、なんで俺だけお前の言うことを聞かなきゃならないんだ。山頂に行きたいのは俺だけじゃないだろ」
「コシロが一番このゲームをクリアしたがってる」
「そりゃな。ゲームってのはクリアするためにやるもんだろ。俺以外はそれがわかってないんだ」
「無茶なお願いはしない」
「まあいいだろ。それで方法ってのは」
リカは紐のようなアイテムを取り出して俺に寄こした。さっそく鑑定してみると、そこには書かれた文面が本当なら山頂まで行けるようになることが書かれていた。
「いくらしたんだ。金はどこから出した」
「ワカナの貯金から」
「よく使わせてくれたな」
「みんなのために必要なアイテムだったから」
「相当高かっただろ。いくらしたんだよ」
「聞かないほうがいい」
一体どこの誰がどんなモンスターから出したのか知らないが、リカに手渡されたロープには、『アバター・エクスチェンジャー(3日)―――端と端を持った者の魂を入れ替えるロープ』というふざけたジョークとしか思えないことが書かれていた。
「絶対に私の体にいやらしいことはしないで。それと私の体を悪用しないで」
「なるほどな。それで、そんなお願いだったんだな」
つまり、俺とリカの職業を入れ替えようというのだ。もちろん体ごと入れ替えることになる。
アイテムの内容よりも、リカがこんなことを提案するほど俺を信用しているのかと、そっちの方が驚いた。
ドッペルゲンガーのこともあり、すでにこいつの裸など見飽きるほど見てるし、今更隠す部分もないという事だろうか。
思い切った提案に、リカよりもむしろ俺の方が動揺してしまって、ロープを片手に固まったまま、なかなか返事が出来なかった。
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