第2話 チュートリアル②

 次の日はやかましい起床ラッパに起こされた。もう少し寝ていたかったが、あのやかましさの中で寝るなんて芸当は、到底不可能だろうと思われる。殺意さえ芽生えたほどだ。窓が割れるんじゃないかっていうぐらいの音量で、砦全体がびりびりと震えていた。


 食堂で朝飯を済ませると、この日は砦の上に出ての見張りを言い渡された。クリストファと共に、埃風の吹き荒れる中で立ち番を命じられる。

 俺は適当な椅子を拾ってきて、解説書を読みふけっていた。クリストファも俺に倣って、どこかから持ってきた椅子に腰かけている。


「昨日はずいぶんと遅くまで隊長室にいたそうじゃないか。そんなにあの赤毛が気に入ったのかい。赤毛はいいよね。僕の家にも赤毛のメイドが一人いるよ」

「誤解だよ。こいつを貰って、ついでに椅子を借りて読んでただけだ」

「そんなに面白いことが書いてあったかな。退屈なことしか書かれていなかったような気がするけど」

「ここに書かれていることは重要なことだ。ところで、この世界で最強と言える奴はいると思うか」


「どうだろう。そんな人いないんじゃないのかな。ランクが20も低い人に負けることもある世界だからね。きっと、どんな強い人にも苦手な職業はあるだろうし、だれにも負けないなんてあるのかな。もしかしたら、特殊な称号を持つ人の中には、そういう人もいるのかもしれないけど」


 確かに称号についても解説書の中に少しだけ書かれているが、例として出されている物の中ではこれといったものがない。この解説書を読んで俺が感じる不満は、今クリストファが言ったことに集約されている。カッチカチに作り込まれたこの世界では、単騎で最強というのは無理がありそうだということだった。


 つまり、最強を目指そうと思えば、チームを作らなければならない。

 なぜ最強を目指すかといえば、より多くの金を稼いで好き放題するためである。それが一人で出来ないとなった今、どうすればよいのだろうか。

 カードゲームの達人は、きっと配られたカードの中で勝負をするだろう。チームを作るなんてめんどくさいことこの上ないが、見切りは重要だ。そう考えた俺は、チームとして最強を目指すことも視野に入れて解説書を読み始めた。


「なあ、ここに出てくる気絶状態ってのは、どういう状態なんだ」

「どんな攻撃を受けても、元気な状態から一撃で死ぬことはないんだ。必ず気絶状態という身動きの取れない状態を挟むんだよ。その時に攻撃を受けることでロストが──」


 その時、けたたましいラッパの音が鳴り響いた。ラッパの音以外、何も聞こえなくなるほどの音量で、交代の時間であることを知らせていた。

 俺はクリストファとうなずき合って、下に降りるための階段へと向かった。階段の踊り場で交代の兵士がやってくるのを待ち、交代を済ませてから食堂に向かう。

 食堂で同じ隊の奴らと飯を食っていたら、アンがやってきて俺たちの隣に座った。


「勉強は進んでるか、ユウサク」

 飯を食いながら解説書を読んでいた俺にアンが尋ねた。

「ぼちぼちですね」

「そうか、頑張れよ。それとクリストファ、私は貴族に対しても特別扱いはしないぞ。あまりサボってると、帰還の許可は与えないからな。そのつもりでいろよ」

「そ、そんな、僕は真面目にやってますよ。それよりも見張りの次は何をやらされるんですか」

「そろそろ奴らがやってくる頃合いだ。空いてる部屋を見つけて待機しろ。呼び出しがあれば、門前に待機して私を待て」


 それだけ言うと、アンはさっさと飯を済ませて、どこかへと行ってしまった。

 そろそろと言うのは、きっと敵の襲撃でも迫っているのだろう。昨日の森の巡回などは慣らしだったにすぎないのだ。壁の外側にある森の魔物など、退治が必要とも思えない。本命の敵がやってくる前の練習と考えればつじつまがあう。


 食事を済ませた俺たちは空いてる部屋へと移動して、そこに積み上げられていた木箱を床に並べて腰を下ろした。俺は窓際の木箱の上を陣取ると、解説書を抱えて各職業の特徴を頭に叩き込む作業に入った。まずは身近なアンの職業から確認してみようと思う。


 聖騎士という職業はRPGで言うところのタンク職の一つであり、デバインプロテクションのスキルにより、パーティーメンバーのダメージを割合で引き受けることができる。味方が受けたダメージは、最初にダメージを受けた味方の防御力や魔法抵抗による減算を受け、さらに肩代わりしたダメージ自体も、聖騎士の防御力や魔法抵抗値の減算を受ける。そのため、ダメージの軽減割合は大きい。


 このスキルの加護は作用範囲にも優れているので、味方はかなりの広範囲を自由に動き回って戦うことができる。このことから後衛職との相性がいいだろう。さらにはスキルの作用人数分に応じたHPの上昇バフが聖騎士にかかる。しかし、ダメージが分散しやすい分だけ、回復職にかかる負担は増えてしまうだろう。


 逆にもう一つのタンク職である騎士は、近接職を助けることに特化していて、敵のフォーカスを自分に集めることでタンクとしての役割を果たす。ダメージが一点に集まるため、回復のしやすさでは騎士の方に軍配が上がる。それに敵がばらけてしまわないため、戦況の把握が容易だ。しかし、多くの敵が群がれば騎士自体がつぶされてしまう。それに、後衛職が受ける攻撃への関与はほとんどない。


 結局のところ一長一短であり、どちらが優れているというものでもない。このゲームは全てにおいてこうなのだ。よく作り込まれていて、他よりもアドバンテージが得られるような穴は見つかりそうにない。

 では強さを決めるのは何かといえば、強いてあげると職業の組み合わせと、集団としての強さを求めたステータス配分にあると俺は見ていた。


 最初の職業である冒険者は、装備品と魔法には制限がないものの、ランクを上げるための経験値が取得できないとも書いてあった。だから昨日は敵を倒したのにランクアップしなかったのだ。

 最初に16ある職業から一つを選ぶと、その時にボーナスステータスが与えられるということである。ランクアップによるステータスの追加は少ないので、最初に振るステータスの配分が全てを決めるといっていい。


 ステータスは再分配が行えず、そこで失敗したら終わりというかなりのクソゲー仕様だ。

 そこまで考えて、俺はある疑問が頭に浮かんだ。このゲームを作ったのは、いったい誰なんだろうか。このゲーム、もといこの世界を作った奴の意図のようなものはあらゆる部分において感じられる。装備一つとってもそうだ。


 アンなどの、この砦にいるちゃんとした職業についている正規兵でも、誰ひとりとして頭部に装備を付けていない。これは視界が悪くなっては戦いにくいだろうという配慮もあるだろうが、公平なゲーム性を担保するための措置のようにも感じられる。ゲーム的な世界だからこそ許される設定だろうし、だからこそ必要になるシステムだとも言えた。


 窓から差し込む日差しが気持ちよくて、俺は抱えた剣にもたれかかって意識にもやがかかり始めた。昨日、遅くまで起きていたから満腹感も手伝って、この気持ちよさにはあらがえない。完全に意識が途切れる頃、敵襲と叫んでいる見張り兵の声が聞こえた。俺は抱えていた剣をつかんで飛び上がった。


「門の前に集合だ。行こう」


 先に走り出したクリストファを追いかけるようにして、俺も部屋から飛び出し、廊下を走った。階段を飛び降りるようにして一階までたどり着くと、既にぶ厚い門扉が開かれるところだった。すぐにアンが一人の女の手を引いてやってくる。名前は『僧侶 エイミー・アルダーソン』と表示されていた。称号に僧侶とあるから職業は聖職者だ。


「今回はエイミーを連れていく、クルーグは次に来る隊に入れ。エイミーは回復役だ。何としてもお前たちで守るんだぞ」


 エイミーがおどおどした感じでよろしくお願いしますと言った。挨拶はそれだけで、俺たちはすぐにパーティーを組んだ。パーティを組み終わると、アンのデバインプロテクションがかかったのが視界の端にアイコンとして表示される。解説書によればアイコンとして表示されるスキルはバフかデバフだけだと書いてあった。つまり、このスキルは味方へのバフとして扱われるらしい。


「行くぞ! 遅れずについて来い! 離れすぎるなよ。もし置いて行かれそうになったら叫ぶんだ。いいな!」


 俺たちはアンの言葉に返事をする余裕もない。すでに視界の中には、レッサーサイクロプスと表示された一つ目巨人の姿がある。三メートルはあろうかという体躯に、腕の先には槍の穂先のような硬質の物体が付いている。たどり着くまでの三十秒くらいが本当に長く感じられた。俺たちよりも先に出撃した隊は、既に左右で戦いを繰り広げていた。


 最初にアンが持っていた剣で先制攻撃を入れたので、俺も剣を引き抜いて一緒にサイクロプスへと飛びかかった。どう戦えとは指示されていないので、別に魔法でちまちまやる必要はないはずだ。俺はとにかくゲームの仕様を確かめておきたかった。解説書が正しいのなら、聖騎士の加護がある限り、よほどのことがなければ死んだりしないはずである。


 ならば、アンとパーティーを組んでいるうちに試しておきたいことが山ほどある。

 サイクロプスに最初に当たった俺の攻撃は、アンが最初に攻撃した時と違って、ヒットエフェクトのようなものが現れなかった。何が悪いのだろうと、次はサイクロプスの腹をめがけて思い切り振り下ろす。そしたら今度は攻撃の当たった手応えがあった。


 どうやらかなり本気で振らないとダメージ判定が起こらないようである。最初の攻撃は飛び込みながらだったこともあり半身になっていた。もしかしたら両足がちゃんと地面についていなかったからかもしれないと思ってもう一度攻撃してみる。今度はそれほど力を込めなくてもヒットエフェクトが現れた。しかし、ある程度本気で振らないと、やはり判定が起こらない。


 サイクロプスは狂ったように、両腕の先にある槍の穂先のようなそれをアンに向かって突き続けている。しかし、全身金属鎧に包まれて盾まで構えているアンは、平気な様子でその攻撃を受けていた。盾で受けてもアンのHPは削れているが、大した量ではない。しかし、盾で受けきれない攻撃が鎧に当たると、アンのHPバーが一割ほど赤から白に変わった。


 その途端、アンの周りにキラキラしたエフェクトがかかり、HPバーが完全に復活する。エイミーが回復魔法を使ったのだろう。

 クリストファたちによる魔法で、サイクロプスの上半身は炎に包まれたようになっている。その数の力もあってか、最初のサイクロプスは五分もしないうちに地面に倒れて光の粒子へと変わった。


 しかし、剣を振るというのは意外にも重労働だ。運動不足の俺は、既にぜーぜーと肩で息をしながら、口の中には鉄の味が広がっている。

 ランクが低いうちに剣で戦えばそうなるさと言ってアンは笑ったが、その言葉には救われた。ランクさえ上がれば改善されるという情報はありがたい。しかし、転職はどこでやればいいのだろうか。冒険者のままではランクを上げることができない。


 俺が息を整えていると、アンが来るぞと叫んだ。そして、目の前の地面に円状の黒い霧が渦巻いて死神ののような形をしたモンスターが現れる。黒いローブに身を包んだ骸骨で、手には大きな草刈り鎌を持っている。そのモンスターにはレッサーグリムリーパーと表示されている。すでにランク1で戦う敵とは思えないが、レッサーが付いてるってことは何とかなるのだろう。


 グリムリーパーは沢山のコウモリを従えて、こちらに、すっと音もなく近づいてくる。アンは恐れるそぶりもなく斬りかかった。俺もそれに続いた。しかし、さっきの敵とは勝手が違う。今度の敵は、手にした獲物を横なぎに振るってきたのだ。ブンッという音と共に目に見えないほどの速度で振るわれた鎌は、俺のがら空きの胴体を切り裂いた。


 俺は吹き飛ばされて、胸当ての下に着ていたダウンジャケットから白い羽毛が舞い上がった。腹に痛みが走り血の流れる感触がする。急いでHPを確認すると三割ほど削られていた。もし、デバインプロテクションに守られていなかったらどうなっていたかわからない。

 傷を確認すると腹に赤い筋が走っていた。それなのに胸当てを止めるための革ひもは無傷である。


 もしかしたら元の世界の服は、このゲームのルールに守られていないのかもしれない。せっかく卒業祝いを前借してまで買ってもらったダウンジャケットだというのに、もう使い物になりそうにない。軽くて動きやすくて暖かい、最高のお気に入りだった。

 俺は目の前の敵が無性に憎くなった。そんなことを考えていたらエイミーのヒールが飛んでくる。アンのHPを確認すると一割ほど削れただけだったので、俺の方を優先してくれたらしい。


 腹の傷はもうなくなっていた。しかし、どうやって戦ったものだろうか。サイクロプスはアンだけをターゲットとして認識しているように見えた。それはたぶん、ゲームにはよくある最初に攻撃したものを最優先に狙ってくる思考回路だろう。しかし、今回の敵は範囲攻撃持ちである。

 俺は敵の横をすり抜けるようにして後ろ側に回った。


 こうすれば敵の攻撃を受けることはない。俺は意気揚々と敵の背中に斬りかかる。ザゴンという敵を取り巻くコウモリごと斬った手応えがあって、敵の背中にヒットエフェクトが現れる。そしたら今度はコウモリが俺に狙いを定めてきた。ものすごいスピードで攻撃してくるコウモリの体当たりに、俺は体勢を崩してたたらを踏んだ。


 そこに追い打ちをかけてくるコウモリが二匹。剣はかなり本気で振らなければならない制約のため、素早く両方撃ち落とすのは不可能だ。俺は片方にアイスダガーを放ち、その後ろからやってきたのを剣で斬り捨てた。その後は、グリムリーパーを倒しきるまで剣を振り続けた。


 その次に相手したのは、サイクロプス二体である。アンは周りで戦っていた隊に声をかけたが、どこも手がふさがっていて、二体を同時に相手しなくてはならなかった。一体なら盾で攻撃を防げたが、二体となると盾など意味をなさなくなってくる。ものすごい勢いで削れ始めたアンのHPバーに俺は青ざめた。


 エイミーによるヒールで耐えているが、いつまで続くかわからない。早く倒さなければならないのに、後ろで魔法を撃ってる連中は、フォーカスを絞ることすらできずに、好き勝手な方を攻撃している。


「左だ! 左にいる奴に攻撃を集めろ!」


 俺は後ろにいた仲間たちにそう叫んで、敵の背後に回り込んだ。俺は味方の魔法攻撃が集まっているサイクロプスに剣を振り下ろした。モンスターも剣で切られれば血を流す。サイクロプスの水風船のような体皮に付けた傷から、噴水のように血が飛び出してきた。返り血で真っ赤に染まりながら、俺はがむしゃらに剣を振り回す。そして一体目を倒すと、俺の体を汚していた血と共にサイクロプスは光の粒子になった。


 返り血まで消えてくれたことと、敵が一体になったことに安堵しながら、俺は残ったサイクロプスに剣を向ける。しばらくして残りの一体も倒し終えた。


「いい指示だった。お前は見どころがある」


 指示も出さずに戦っていたアンに、アンタはこの先大丈夫なのかと不安になるが、俺は何も言わずに小さくうなずいておいた。それからも敵は出続けて、俺は次第に剣が重くなり始めてきた。

 必死で振り回しているが、休憩もなしにこんな鉄の塊を振り回し続けるのは不可能である。そろそろ限界かというところで敵の数が増え始めた。


 砦からラッパが鳴り響き、アンが撤退を俺たちに告げた。しかし、アンは既にサイクロプス一体を抱えていたところで、もう二体のサイクロプスがこちらに向かってきている。さすがに体躯が三メートルもあるだけあって、その移動速度はかなり早い。そして、とどめとばかりにグリムリーパーまですぐ近くに現れた。


 アンがグリムリーパーのファーストアタックをとったので、俺はこちらにやってきたサイクロプスの一体にアイスダガーを放ちターゲットを奪った。そのまま敵の攻撃をかわしながら俺たちは砦を目指す。しかし、そう簡単に攻撃を避けられるわけもなく、俺たちは攻撃を食らってしまう。特にアンは三体を引き受けているので、HPの減り方がやばい。


 俺はアンを狙うサイクロプス一体の股の間に剣を通して、敵をすっ転ばせた。攻撃判定は起こらないが、少しは楽になるだろう。

 敵が多くなれば多くなるほど攻撃は避けずらくなるし、攻撃に意識がいって走るスピードも落ちる。俺は敵の攻撃をなんとか避けながら、魔法を放った。クリストファたちも魔法で攻撃しているが、敵はそのくらいの攻撃でひるみもしなかった。


 重たい鉄の鎧を着こんでいるアンは、走る速度が出ていない。俺はアンの手を引きながら全力で走って、もう後ろを確認することすらやめた。酸欠で視界がブラックアウトする寸前に、なんとか砦までたどり着いた。

 砦にたどり着くと、砦の上から魔導士たちの魔法が降ってきた。すさまじい轟音と共に俺たちの後ろで魔法のエフェクトが炸裂した。俺たちを追っていたモンスターたちは一瞬で蒸発するように消えていった。


 しかし、魔法を逃れた一匹のサイクロプスが俺に向かって突撃してくる。俺のHPは三割を切っている。この状態で俺がサイクロプスの攻撃を受けて生き残る可能性はあまりないように思えた。周りを見回しても、アンは地面に倒れていて動ける状態にない。


 俺はサイクロプスの攻撃をなんとか剣で受けようとしたが、攻撃をはじくことができずに槍状の突起で右胸の肩の付け根あたりを貫かれた。その衝撃で後ろに転がり、さらなる追撃を、横に転がってなんとか避ける。しかし悲鳴が上がって嫌な光景を目にする事になった。


 俺を狙った攻撃がエイミーの足に深々と突き刺さったのだ。そのまま足が切り離されて宙を舞う。エイミーの太ももから先は、サイクロプスの足元に転がった。


「立て! 門の中まで走るんだ!」


 アンとクリストファが、エイミーの体を担ぎ上げると門に向かって走り始める。俺はサイクロプスの攻撃を破れかぶれの前転でかわし、エイミーの左足を掴んで門に向かった。途中でクリストファに肩を貸してもらいながら、なんとか門の中まで転がりついた。そこで砦から出てきた魔導士が敵を焼き払ってくれた。


 そのまま俺とエイミーは、砦にある一室に運び込まれた。エイミーは台の上に寝かされる。生きているのか、体はピクリとも動かない。横たえられたエイミーと俺に肩を貸しているクリストファだけが残されて、治療をしてくれそうな人間は見当たらなかった。

 そんなことに不安になっていたら、すぐにアンが老婆の聖職者を連れてきた。俺はその婆さんにエイミーの足を渡そうとした。しかし、そこで見たものに動揺を隠せない。


 足を渡すにあたって傷口に砂でもついていたらまずいと、切れた足の断面をのぞき込んだのだ。そしたら、そこには骨も筋肉も血管すらもなかった。まるでポリゴンのように均一な赤色があるのみである。動揺しながらも俺が持っていた足を婆さんに渡すと、婆さんはためらいも見せずにエイミーのスカートをまくり上げた。


 下着が見えたことで、俺は慌てて視線をそらした。

 そこで俺は自分の負傷に気付く。右胸からの出血がひどくて、すぐにでも止血しないとまずい状態だった。人間はどれだけの血を流したら死ぬのだったろうか。二リットルだったか三リットルだったか、どちらにしても猶予はそれほどないように思われた。


 俺の胸からは、いまだ湧き水のごとく血が出ている。俺はクリストファによってベッドに横たえられた。止血はとにかく圧迫止血だと聞いたことがある。傷口を強く押して止血するのだ。


「おい、俺の傷口を思い切り押してくれないか」

 俺はクリストファにそう頼んだ。クリストファはすぐに俺の要望に応えてくれる。

「こうかい? これでいいのかい?」

「もっと強くだ」


 これで多少は延命されただろうか。聖職者の婆さんはまだ俺の方にやって来ない。魔法をかけるだけだろうが、一体何をやってやがるんだと婆さんの方を見たら、下着まで婆さんに剥ぎ取られたエイミーの茂みが見えて、俺は驚いて視線を外した。


 さっきの傷口を見る限り、エイミーはNPCという扱いだと思われる。だとすればNPCの命が優先されて、生身の俺が死ぬというのはどんなものなんだと考えてしまう。しばらくして婆さんは治療を終えたようであった。


「いやあよかった。欠損もなく無事に元通りになったよ。ちょっとショックで気を失ってるみたいだから、そのうち目を覚ますだろ。私はマナがなくなって、そっちの坊やは直せないからもう行くよ」


 老婆はアンにそんなことを言っている。

 おいババア、せめて止血だけでもしやがれとの思いで俺が顔を上げると、いまだエイミーのスカートはめくられたままで、俺は急いで頭を元に戻した。そのくらい戻していけやババア。

 死の恐怖とエイミーの茂みとさっきまでの狂騒とが頭の中で渦となり、俺は発狂しそうなほど混乱していた。

 そしたらアンがやってきて俺の顔を覗き込んだ。


「何してるんだ、お前はそんなところで寝込むほど重症ではないだろ」

「いや……、血が止まらなくて……」

「そりゃすぐには止まらないさ。だけどもう止まってる頃合いだ。クリストファ、手をどけろ」


 アンに言われて、クリストファが手をどけると確かに血は止まっていた。

 手で触るとダウンジャケットに穴は開いているが、体に傷はなかった。

 そうだ、ここはゲームの世界なのだ。HPを確認すると、攻撃を受けたときはミリしか残っていなかった赤い線は、もうすでに二割ほどまで回復していた。


 俺は慎重に体を起こしてみた。幸いなことにエイミーのスカートは戻っている。きっとアンが直してくれたのだろう。体を動かしてみると、特に不調もなく右腕でさえ普通に動かすことができた。


「大体、ランク1のお前はロストしても失うものなど何もないだろうに。もしかして経験がなかったから怖かったのか」

「ロストってのは何です」

 俺の言葉に、アンはおろかクリストファまで驚愕の顔をしている。


「HPが0になると戦闘不能状態になる、そこまでは知っているだろう。そこでとどめの一撃をもらうと起こるのがロストだ。身に着けていた装備やアイテムをすべて落とし、経験値がランクに応じて失われる。そして、体は教会にある神殿の前に転送されるんだ。それをロストと呼ぶ。まさか、本当に知らなかったというのか」


「ふっざけやがって。死なねーのかよ」

「当り前じゃないか。何を言ってるんだ」


 アンどころかクリストファまでが、心配そうな様子で俺の顔を覗き込んでくる。そのクリストファの態度が俺を苛立たせた。だいたい、どうしてお前は、言われたとおりに俺の傷口なんか押さえていたのだ。そんなこと必要ないってわかっていたのではないのか。俺に言われたことを、何の疑問も差しはさまずにやっていたのか、と悪態が頭の中に湧いてくる。

 放心して動かなくなった俺に気を使ったのか、アンが口を開いた。


「だけど、エイミーを救ったのと、足を拾ってきたのは大手柄だぞ。お前は大物になる。初めての戦場であれほどの活躍を見せたやつはいない」

「でも、救わなくたって生きてたんでしょ」

 俺は半ば投げやりになって、そう言った。


「それはそうだが、欠損が起きてしまえば話は別だ。あのまま回復して足が失われてしまうと、一度はロストしない限り元に戻らなくなる。彼女がロストしてランクが下がらずに済んだのは、お前の働きのおかげなんだ。お前の動きを見ていたら、一騎当千の文字が頭の中に浮かんできたぞ。剣で敵を転ばせるなんて、私は想像したこともなかった」


「そすか……」

「確かにすごい活躍だったと思うよ」

「そか……」


 いくら何でも、そういう重要なことは最初に説明しておいてもらいたい。呆けている俺の反応に興味を失ったのか、二人はどこかへと行ってしまった。俺はベッドの上で横になって、戦いの過程を一から思い出していた。失敗しても死なない戦場で、何をあそこまで熱くなっていたのだという感慨に襲われる。こともあろうに新人の分際で、場を仕切るような発言までしていた。


「はぁぁぁ、恥ずかしいぃぃぃ」

 しかし俺は、この発言がロストを甘く見ていたものだと、のちのち思い知らされることになる。

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