庶民的パラドックス回避法

世鍔 黒葉@万年遅筆

庶民的パラドックス回避法

 知らないやつからの着信というのは、少々心臓に悪い。もしかしたらその相手はヤクザのあんちゃんで、身に覚えのない因縁でケジメを強要してくるかもしれない。警官なら身に覚えのない令状を振りかざしてくるかもしれない。警察が被疑者にメールを送るというのもおかしな話だが、ようは心構えの問題だ、そう納得して欲しい。

 つまり、このバイブレーションは、それらを含んだ無限の可能性を持っているってことだ。

 たった今僕の携帯端末を鳴らした相手は、「くろき」とかいうLINEの名前で、こう文章を送ってきた。

――突然済まないが、私は未来の君、黒木芥だ。

――現在の日付は2016年8月3日であっているだろうか。

――間違っていたら速やかに訂正を願いたい。

 先ほど、携帯端末のバイブレーションは無限の可能性を持っていると言ったが、訂正しよう。可能性は有限である。流石に未来人からの着信はない。間違いなくイタズラだ、無視するのがセオリーだろう。

 だが、この時、僕の六百六十六柱の脳内会議要員の一人が、(他の要員に盛大に賄賂をばらまきながら)こう言ったのだ。

 実ニ面白イ案件ダ、遊ベ、と。

 後出し設定が格好悪いというのは重々承知だが、この要員六六六は汚職職権乱用独裁と実に封建的な脳内会議支配者であり、大抵の場合、彼の案はストレートで採用される。要するに、僕はこういったイタズラに対してイタズラし返すのが大好きな人間だってことだ。

 想像してみて欲しい。典型的な振り込め詐欺をしかけてきた相手にとって、ボイスチェンジャーを使った僕は田舎に住む腰の曲がったお婆さんだ。当然、相手は慢心全開。ふざけた命令をかましてくる。その時々に証拠写真、音声、文章を保存し、リストアップしていく快感! そしてなにより、そのコレクションの一部を切り取って相手に送りつけ、通報すると脅した時の優越感ときたら!

 そんな風に味を占めた人間が、近隣の大学に入学した程度のことで嗜好が変化するわけもなく、その「くろき」とかいう相手に、僕はこう返事をした。

――時刻はあってるけど。

――未来の黒木芥ってなんだよ。

――未来人とかばかばかしいんだけど。

 至極真っ当な反論である。しかし、だからこそこれは悪手、沈黙は金、雄弁は銀である。相手は続けてこう打ち込んだ。

――君がそう思うのも無理はない。

――望めば一週間後の新聞の内容でも書き込もう。

 タイムトラベルモノとしては、実にベタな展開だ。僕は次の文章を座して待つ。

――だが、先に君に伝えなければならないことがある。

――その後なら証拠でも何でも出そう。

 まあ、そうなるよね、と僕は思った。証拠の前に、相手を惑わす論を出す。詐欺の常套手段だ。

――端的に言おう。君は明日、俗に言う「運命の相手に会う」。

 にやり、と僕は口角を上げた。こいつは完全に黒だ。きっと付き合った結果高い宝石か何かを買わせたり、弱みを握ったりする類の。そして、相手は自分の名前を知っている。恐らくそれなりの準備をしているのだろう。僕は少々気を引き締めて、聞いているというアピールを書き込む。

――それで?

 続きは速やかに書き込まれた。

――君は明日の12時10分にその人物に会う。

――大学の食堂でだ。

――だが、その人物の名を教えることはできない。

――君に先入観を持たせてはいけないからだ。

 なるほど、そう来るか。確かにこの言い方なら、人によってその相手とやらに思いを馳せるきっかけになりそうだ。

 僕はもっとカモを演じるべく、一見反抗的な言葉を並べた。

――先入観ってなんだよ。

 重ねて言うが、こういった詐欺まがいのメールやLINEには沈黙は金、雄弁は銀だ。こちらが反論するほど、相手が発言する機会は増えていく。

――その人物が、君のよく知る人物だからだ。

――今教えられるのはここまでだ、次は証拠を見せよう。

 なるほど、これは多分、有名なタレントか何かのそっくりさんを「釣り」に使う類か。カンと経験が足りていないやつならば、その人物に会ったときの驚きで正常な判断能力を失うだろう。

 相手はこちらが質問するまでもなく続きを書き込んでくる。

――まずは来週の朝刊でも、と言いたいところだが。

――それは速効性のある証拠にはならないだろう。

――だから、証拠は君が言ったものにしよう。

――まだ書き込まないでくれ。

 ニヤニヤしながらお題を書き込もうとした俺の指は、一度止められる。俺は何事かと続きを待った。

――証拠をもう少し強いものにしたいので、君が提示して欲しい証拠を紙に書いてくれ。

――書くものは何でもいい。

 何のつもりだろうか。これはまさかメンタリスト的な技法を使って内容を当てる類のものだろうか。面と向かっていないので使えるかどうかはわからないが。

 疑問に思いながらも、とりあえずさっき浮かんだお題をノートの切れ端に書き込む。

――なるほど、次に墜ちる飛行機の名前か。

――自分のことだが、改めて見ると性格が悪いな。

 驚くべきことに、その書き込みはほぼノータイムで表示された。続けてその飛行機の名前が画像付きで表示され、僕は押し黙る。続けて、「くろき」とやらは畳みかけてきた。

――時間旅行者が最も恐れるものはパラドックスだ。

――別に世界が崩壊するわけではないが、

――矛盾が起きた瞬間、私の人格が完全に破壊される可能性がある。

――観測者がいることが問題ということらしくてな。

――故に、時間を飛ばなくても過去の出来事を知る技術が必要だ。

――私には君が今、ノートの切れ端に0.5ミリのシャープペンシルで次に墜落する飛行機と書いたことがわかるし、

――驚きでずれたメガネのポジションを直しているのも見える。

――そのくらいの情報がなければ、確実に過去の自分と接触する危険を回避できないからだ。

 僕は唐突に、自分が呼吸を忘れていたことを思い出す。強く息を吐いて、無理矢理思考を動かした。

 こういうのは、気圧されたら負けだ。思考停止は知性の手抜きだ。詐欺師というのは、人間の「手抜き」につけ込んで来る。

 大方、部屋のどこかに監視カメラでも仕掛けられたのだろう。それか、スマートフォンにスパイウェアを仕掛けられたか。相手はそれほどの準備をしている。これはまた、大層な相手が釣れたものだ。もし証拠が見つかれば、なかなか愉快なことになりそうだ。後で探知機とセキュリティーを見直そう。

 そう考えながら、自分が書き込みを見ているアピールとして返事を入力する。

――なら、どうしてLINEに書き込めるんだよ。

――それも立派なパラドックスだろ。

 これも、返事は速やかだった。

――だからこそだ。

――君は私に直接会っているのではなく、

――ただ別の端末から送られてきたメッセージを読んでいるに過ぎない。

――先ほど矛盾が起きると人格が崩壊すると言ったが。

――それが起きるのは稀だ。

――もし君が私に会ったとしても、

――君は私が未来の自分だと認識することはできないだろう。

――同じように、私も君を過去の自分だと認識することはできない。

――その点、このツールは実に優れている。

――相手の顔が見えないからな。

 なるほど、どうやら相手はある程度タイムトラベル物の作品を知っており、ちゃんと考察もできるタチらしい。ロジックに矛盾がない。人によってはその見事な説明にコロっと騙されるだろう。それを詭弁というのだが。

――これ以上書いても蛇足だろう。

――これまでの文章をよく読んでくれると助かる。

――質問はいつでも受け付けている。

 「くろき」とかいう相手が送ってきた文章は、ここまでだった。どっと疲れた気がして体を椅子の背もたれに預ける。

 さて、ここからが僕のターンだ。盗聴器具や監視カメラの有無、同じ手口の詐欺の被害にあった人物が他にもいるかどうか等々、やるべきことは山ほどある。さあ、その手口、見極めさせてもらおう。





 結論から言うと、相手の用いたトリックを明らかにすることはできなかった。いざという時の為に買っておいた盗聴器具探知機(外部への通信の有無で見分けるタイプ)は無反応だったし、スマートフォンの中に不審なプログラムはナシ。

 関係のある情報といえば、恋愛詐欺に会った人物からの掲示板への書き込みで、某売れっ子アイドルに劇似の女に騙されたという嘆きくらいだった。

 果たして、監視器具も無しに離れた相手の書いた文字を当てることなど可能なのだろうか。それも、ほとんどノータイムに。

 いかん、いかんぞ。このままでは、僕は犯人の手のひらの上で踊らされるだけの人間になってしまう。黒木芥という男が相手に操られるなど、あってはならないことだ。

 その時、ラインの書き込みを告げるバイブレーションが響き、僕は反射的に端末の画面をのぞき込んだ。

――追伸、君がこれから回す1000円払って無料で10回せるガチャでは、SSRひとりぼっちペンギンが出るぞ。試してみるがいい。

 僕は言われた通りにソーシャルゲームの合法賭博に手を染め、その結果に泡を吹いて倒れた。





 今日は八月四日である。昨日の出来事は突然の発熱による幻覚症状かと思われたが、LINEの履歴にはしっかりとやりとりが残っていたし、ソーシャルゲームのレアキャラは光臨したままだった。

 あれから「くろき」とやらは書き込んできていない。こちらに考える時間を与えてやるということだろうか。確かに、あまり多くの情報を流してもかえって信憑性が薄れるというのも道理だ。

 ぼんやりとした頭で大学の講義を受けながら、僕は時間と空間の不可分について思いを馳せる。あの「くろき」とやらは、未来の自分に出会ってもそれが自分だと認識することはできないと言った。だとしたら、例えLINEでコンタクトを取ったとしても、それを未来の自分だとは認識できないのではないだろうか。それはつまり、僕が「くろき」を詐欺師か何かだと思ったのは、そういう強制力による結果なのではないだろうか。笑止、黒木芥が強制力に屈する謂われ無し。その可能性に思い至ること事態が、僕がその支配から脱却していることを意味している。

 きっと未来の自分は、今の僕を信じているに違いない。数多くの詐欺師どもを恫喝してきた黒木芥なら、「そうでない人間」を暴くことができるのだということを。これは貴重なメッセージだ、得難いアドバンテージだ。

「どうせならこれも教えてくれればよかったのにな」

 僕は目の前に展開されるシュレディンガー波動方程式の解き方について、未来からのヒントがないことを恨めしく思った。





 さて、現在時刻は十二時十分である。僕は「くろき」の予言の通り食堂にやってきたわけだが、いつも通りのぼっちメシである。おかしい、予言の通りなら僕の前の席に、僕が運命を感じるべき女性が現れるらしいが、僕の周りには名状しがたいデッドスペースが構成されていた。

 ラインの着信が来たのは、その時だった。

――後ろだ。

 それは「くろき」からのメッセージであった。僕はたっぷり三秒間瞑目してから、ゆっくりと振り返った。

 そこにいた人物を認めたときに噴出した感情を、どう表現すべきだろうか。

 彼女は高校時代からの知り合いだ。名を黒沢加奈という。そして、女子大生という概念をどこかに取り落としてきてしまったかのような人物であった。

 ヘヴィが付くほどのネットゲーム愛好家であり、一時期完全に昼夜逆転していたせいか目の下の隈が癖になってしまい、自重している今でも目元の陰が特徴となってしまっている。そんな生活をしていたやつがまともな成長を遂げる訳がなく、今でも近所の男子中学生と間違われる体格である。

 そしてなにより、彼女は数少ない「詐欺師殺し」の同僚であった。ボイスチェンジャーが無くても全く疑う余地のない老婆ボイスを演じることができ、彼女が引っかけてきた詐欺師を僕が処理するのが高校時代の常であった。自分がおびき寄せた相手が恐怖を覚える様子に、暗い喜びを覚えるそうな。

 そんな知り合いを散文的に表すならばこう言うべきだろう、「腐れ縁」であると。

「おや、芥じゃないか」

「おう」

「まったく波動方程式というのは、どうしてああも前提条件が多いのだろうね。前提で話す者は嫌われてしまうよ。きっと物理学者は友達が少ないに違いない」

 仰々しいしゃべり方だが、別に良家の子女というわけではない。自分を偽らないと、面と向かって話せないだけだ。喋る人によってはタカラズカ的な雰囲気を出せるのだろうが、残念ながらコンパクトな見た目である。

 噴出した感情は、今や天を突きそうな勢いであった。いや、しかし、これは、一体……。

 逃げ道を求めて瞳を泳がせていた僕は、ふと、黒沢加奈が手に持つスマートフォンを認識した。

 その時僕の頭の中に発生した電圧は、恐らく大木を一つ焼き尽くすくらいはあったに違いない。僕は何も言わずに彼女の腕を掴んで立ち上がらせ、外へと引っ張っていくことにした。

 建物の裏で、僕は黒沢加奈を壁に押しつける。

 その時の彼女の表情ときたら! いつもの暗い愉悦に歪んだ笑みではなく、クリスマスプレゼントを貰った少年の笑顔であった。

 僕は表情を消した。

「な、なにかな?」

 彼女が先ほどとは全く違うか細い声で言った瞬間、僕はそのスマートフォンをひったくった。アプリの中からLINEを選択し、その内容を見て、僕は慟哭せずにはいられなかった。

「やっぱりおまえかーーッ!」

 それはまさしく、風呂の栓のようであった。

「そうだよなあ! お前なら僕が飛行機が墜落するとか言うのも分かるよなあッ! くそぉ! おまえはッ、人の手の平の上で転がされる気持ちがわからないか! 少しでもときめいた僕の気持ちは! わからないかッ! わからないかよぉぉぉ!」

 怒りのまま彼女の肩を揺さぶり、その行為の無為さに膝を突く。

「何でぇ、どうしてこんなことをするんだッ!」

 僕を見下ろす形になった黒沢加奈は、人から怒鳴られるという極めて不得手な体験をして、ほとんど涙目であった。

「だ、だって! 文系学部のやつらのカップルって、な、なんかキラキラしてたんだもん! 人生勝ち組って感じだったもん! こんなの、こんなのって、ないって思ったからぁ!」

 甲高い声で出た言い訳は、極めて悲しいものであった。僕はそこに含まれる不幸成分により、少々自我を取り戻す。

「そ……そうか。おまえはその目的の為に、最大限努力してしまったんだな……」

 これは、彼女が謀り、僕がハマってしまっただけのことである。やはり僕も修行が足りないということなのだろう。そう考えれば、許すこともできなくはない。

「しかし、あんな設定をよく思いついたな。実際に未来の自分に出会っても、自分だと認識できないとか、なかなかによく出来ていた」

 彼女は首を傾げた。

「え、あたし、そんなこと書いてないよ?」

 僕は思わず聞き返した。

「えっ」

 彼女も聞き返した。

「えっ……」

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