第三章 ittekimasu

第31話 再び始まる私の日々



 つんつん、と何かに頭を突かれて目が覚める。

 けれど意識はまだ眠気に捕らわれたままで、完全に起きているわけではない。ぼんやりとした頭を稼働させて起きようと試みるも、心地よい睡魔にはなかなか勝てず、そのまま動くことが出来なかった。


「起きて下さい、日向さん」


 再び沈んでいく意識を強引に引き上げてくれたのは、私を呼ぶ声。その丁寧な口調と呼び方に、すぐさま反応してしまう。そういう風に呼ぶのは彼女だけだ。なら、早く起きて返事をしなきゃいけない。二度寝の誘惑を跳ね除けて瞼を開けようとして――

 

「起きてくれないと……キス、しちゃいますよ」

「!?」


 は、はあ!? な、ななななに言ってるの!? ちょ、え、キスってあれ? おはようのチューってやつですか? どうしたんですか椿さん私が寝てるからってそんな大胆なこと言っちゃってどうしよう私は一体どうしたらいいんでしょうかそのまま寝てるフリしたら本当にされちゃうんだろうかそれはちょっとだけ興味があるのでこのまま寝てようかなぁなんて思ったりしていやほんとどうしよう!?


「って駄目に決まってるわ! そういうのは真面目にお付き合いしている人にするものだからぁあああ!」

「あ、起きた」

「ぎゃあああぁ! 椿じゃない!?」


 目の前にいたのは椿ではなく、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべたクラスメイトの少女だった。だ、騙された!


「ひなたんを騙せるほどだから上出来かな。倉坂さんの真似、結構似てた?」

「うん。口調と呼び方だけでなく声まで似せてたのが微妙に腹立たしい」

「やったぜ」


 何が嬉しいのか、ご満悦のクラスメイトはガッツポーズをして喜びを表現している。こっちは精神的に酷い起こし方をされて寝覚めが悪いのにもう。

 抗議の視線を向けてやると、クラスメイトは苦笑して時計を指さした。あ、いつの間にか午前中の授業が終わって、もうお昼休みになってる。


「起こしてあげた優しい私に感謝してお礼にキッスをくれてもいいのだよ?」

「わ、もうお昼なんだ。起こしてくれてありがとう。今度、お礼にお菓子作ってくるよ」

「えーキッスは無視っすか。まあひなたんのお菓子好きだからいいけどね。んん、あれは……先生発見! というわけでさらば!」


 クラスメイトは私たちの担任の姿を見つけると、目を輝かせて彼女の元へ走っていき、流れるように鮮やかな動きで先生のスカートを捲り上げた。男子小学生か。


「き、きゃああああ!?」

「わーい白だぁ」

「――っ!? ――っ!?」


 顔を真っ赤にして震えている先生に、クラスメイトの少女は連れて行かれてしまった。また反省文を書かされてしまうのだろうが、自業自得なので同情の余地はない。

 それよりもお昼ごはんだ。天気がいい日はいつも校庭で椿と食べるように約束しているので、弁当を掴んでから急いで彼女の元へと向かう。



「お待たせ、椿」

「日向さん」


 待ち合わせの場所には、すでに椿の姿があった。校庭の隅にある木陰のベンチに座っていた彼女は、手にしていた文庫本を閉じ、ふわりと柔らかな笑みを向けてくれる。


「ごめんね、遅くなっちゃった」

「大丈夫ですよ。私もさっき来たところですから」


 そんなこと言って、随分と待っていてくれたんだろう。先に食べてもいいのに、律儀に私が来るのを待ってくれているから申し訳ない気持ちでいっぱいになる。私の寝坊癖は死んでも治らないほど頑固なもので、これでも一応起きれるように努力はしているのだが結果はあまり芳しくはない。


「あーあ、一緒のクラスだったら良かったのにね」

「そうですね」


 椿と一緒のクラスになりたかったけれど、残念ながら私達は別々のクラスになってしまった。

クラスは違うけれど家はすぐ隣だし、朝は一緒に登校する約束をしているし、お昼は一緒にご飯をたべるようにしているので、話す機会はいっぱいあるから寂しくない。

担任の先生は気が弱そうだけど真面目で優しい先生だし、クラスメイトも明るくて気さくな人たちばかりだ。

まあとにかく、そんなこんなで私は充実した学校生活を大いに満喫していた。


 暖かな木漏れ日を浴びながら、太腿の上に置いたお弁当をつまむ。美味しいお弁当を作ってくれた母に感謝しながらもぐもぐと食事を楽しんでいると、ふと隣の椿のお弁当が視界に入った。彩鮮やかで美味しそうな品々がたくさん詰まっているそのお弁当は、冷凍食品を一切使わず全て自分で作っているというのだから驚きだ。私には到底真似できそうもない。特に、早起きするという最初の時点で無理だと思う。


「椿はいいお嫁さんになるよね」

「えっ!?」


 料理上手で気配りも出来る優しい子なのだ。そしてこんなに可愛い。今でもこんなに可憐な美少女なのにあと数年もすれば陽織のように綺麗な女性へと成長するだろう。きっと周囲の人々は、そんな彼女を放っておけないはずだ。それはとても誇らしいことだけど、なんだか寂しい気持ちにもなる。


「うん。まあ、結婚とかはまだまだ先の話だしね。うんうん」

「……えっと」


 頬を赤く染めて縮こまっている椿はやはり可愛くて、見ていてとても癒される。こんな子を独占しようという輩が現れる日がいつか来るのだと思うと寂しいが、彼女の幸せを心から祝福できる自分で在りたいなと思う。まあ、どこぞの馬の骨には簡単には渡せませんけどね。


「学校は楽しい? 何か困ったこととかない?」


 未来のことも大事だが、優先すべきは今だ。子供との会話に困った親のような言葉が口から出てしまったけれど、気になっていることだから聞いておきたい。


「そうですね。クラスの人達はみんないい人で、話せる友達もできました。先生はちょっと怖いけれど、誠実そうな方です。毎日が凄く楽しいですよ」

「そっか。なら良かった」

「クラスは違いますけど、ひ、日向さんも一緒の学校だから、その、こうして一緒にお昼を過ごせて嬉しいです」

「…………」


 は? なにこの天使。なんでこんなに良い子に育っちゃったの? 嬉しいけどこの先悪い人に騙されたりしそうで私はとっても心配だよ。過保護と言われようが、全力でこの子を甘やかし……いや、大事に守っていきたい。

 あまりにも可愛すぎて身悶えていたら椿に具合が悪いのかと心配されてしまった。心配しなければいけないのは私の頭だよね。ごめんなさい。


「私のことではないんですが、ちょっと気になることがあるんです」

「ん? 何かあった?」


 弁当を食べ終えたので横に置き、椿の話に耳を傾ける。

 彼女はちょっと困った顔をして、その気になることを話し始めた。


「瑠美さんの様子が、おかしい気がするんです」

「え、瑠美?」

「はい。なんだか落ち着きがなくて、話しかけても上の空というか。先日あった時も、疲れている様子でした」

「なるほど。何か悩みでもあるのかな」

「心配になって聞いてみましたけど、何でもないよって言われたんです」


 それは確かに気になる。しかし付き合いの長い椿に話さなかったことを、出会ってまだ僅かしか経っていない私に話すだろうか。瑠美はまだ私が赤口椿の生まれ変わりである事を知らないのだ。秘密を明かすことに躊躇いはないと言えば嘘になる。信じていないわけじゃないけど、私のことを受け入れてくれない可能性だってあるから不安だった。もちろん、大事な妹の為になるのなら、私はなんだってやる覚悟だ。

 椿にそう告げると、彼女はふふっと小さく微笑んで、優しい瞳で私を見る。


「日向さんなら、きっと瑠美さんの力になれると思います。貴女が過去に誰であったとしても、今の貴女の人柄に瑠美さんは惹かれてますから。その、もちろん私も」


 目の前に女神がいる。こう、正気を保っていないとあまりの神々しさに拝みたくなるわ。


「ちょっと抱きしめていい?」

「えっ!?」


 正気は保てても理性は保てませんでした。照れながらも消え入りそうな声でどうぞと言ってくれたので、遠慮なくぎゅっと抱きしめた。ふわー、柔らかくてなんかいい匂いするし落ち着く。ずっと抱きしめていたいくらいだったけれど、困らせたくはないので腕の中の可愛い少女を解放してあげた。顔が凄く真っ赤になっていたけど、強く抱きしめ過ぎたかな。ごめんね、苦しかったよね。


「そ、それに、瑠美さんは多分、日向さんにお姉さんの面影を重ねてると思います」

「そういえば似てるとか言われた」


 外見は違えど精神は引き継いでいるから、傍に居れば違和感を感じるのも時間の問題だろう。常識的に考えて生まれ変わりとか信じられないだろうし、違和感に気付いても「凄く似てるね」で終わる。流石に気付かれることはないとは思うけど、気をつけておこう。


「とにかく、瑠美に会って様子を見てみるね」

「ありがとうございます」


 血は繋がっていなくても、あの子が私を姉と知らなくても、私にとってあの子は今も昔も大切な妹だと思っている。私にできることがあれば、できることがなくなるまでやりたい。

 それと場合によっては陽織とも話しておこう。きっと力になってくれるはずだ。


「ふわあ、なんだか眠くなってきた」

「あっ駄目ですよ。もう少しで午後の授業が始まりますから」

「だよね」


 暖かなこの場所はお昼寝をするのに最適だから、気を抜くとついつい眠ってしまうのだ。椿の前で不良行為をして嫌われたら立ち直れないので、眠気を散らすために背伸びをする。

 さて、午後の授業もがんばりますか。次は体育だから居眠りせずに済むだろう。


「じゃあ教室に戻るね。また放課後に」

「はい。次は体育ですよね、頑張ってください」

「ありがとう」


 まだ昼休みの時間は残っていたけど、椿は授業の予習をする為、私は体操服に着替える為に、少し早めにそれぞれの教室に戻ることにした。


「あれ?」


 椿と別れて教室に戻る途中、ぜいぜいと息を切らしている担任の先生と出会った。え、な、何事。


「どうしたの先生」

「あ、早瀬さん……ちょっと、探してる、子が、いて……」


 ああ、なるほど。私を起こしてくれたあの悪戯好きのクラスメイトに逃げられて探してるんですね。ご苦労様です。探すのを手伝いたい気持ちで一杯なんですが、次の授業まで時間がないんですごめんなさい。しかし先生も生徒に振り回されたりして大変だなぁ。瑠美も教師だから、仕事絡みの悩みをいくつか抱え込んでるのかもしれない。

 息を整えた先生は苦笑して、再び探し人を求めて走っていった。大人しそうに見えて、生徒には全力でぶつかる人だから、皆からは揶揄われつつも頼りにされているのだ。


 面白いクラスメイトや信頼できる先生に恵まれて、私の新たな高校生活はとても順調だ。楽しくて楽しくてしかたがない。二度目の高校生活とはいえ、何もかもが新鮮で毎日が輝いている。


「……さ、早く行かなきゃ」


 今日は確かバレーだったかな。

 思いっきり身体を動かして、授業を楽しもう。

 

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