第30話 あなたがいる世界
「もしもし、お母さん?」
『あ、日向!』
携帯の通話ボタンを押すと、いつも通り無駄に明るい母の声が聞こえてきた。声が大きくて耳が痛いので少しだけ携帯を耳から離す。
『久しぶりね。元気にしてた? 身体は大丈夫? 無理してない? もーお母さん心配で心配で』
「うん、久しぶりーって……家を出たのは昨日なんだけど!?」
なんで上京した娘を心配する母親みたいになってんの。別に家を出て一人立ちしたわけじゃないし、来週にはちゃんと家に戻ってきますよ?
『ところで、陽織さんにご迷惑かけてないでしょうね?』
「それはもちろん」
迷惑なんてかけてませんとも。いや、むしろ迷惑かけられてると言ってもいいくらいだ。昨日は家を出発してから今日に至るまで色々な苦労があったので、思い出すと溜め息がでてしまう。途中で椿が迷子になったり、陽織が駄々をこねたり、なぜか椿が3人一緒にベットで寝ようと言い出したり、それはもう色々と。それはそれで楽しかったけれど、正直疲れた。
『あら、なんか元気ない? もしかしてホームシック? お母さんと離れて寂しくなっちゃった? やだもう、日向ったら可愛いとこあるんだからぁ♪』
「ちがう!!」
『ふふ、照れちゃっても~』
「うああああっ、もう!」
どうしてこの人はいつもいつも私の言うことをまともに聞いてくれないんだろう。お願いだからもうちょっとストレートに言葉を受け取って欲しい。
『おーい、もしもしお姉ちゃん? ホームシックなんだって? …ぷっ、ダサッ』
「えっ、小姫?」
聞こえてきたのは母の声ではなく、妹のものだった。どうやら“ホームシックで元気がない”と誤解した母が、寂しさを紛らわせようと小姫に電話を渡したらしい。ええいまた要らん気遣いを…。だいたいホームシックじゃないってずっと言ってるのに。
『ね、頼んでたお土産買ってくれた?』
「うん買ったよ。小姫が欲しいって言ってた木刀」
『そんなもの今すぐへし折って捨ててこい』
うおおぉ、恐い恐い。ちょっとした冗談くらい付き合ってくれてもいいのにマジ切れですよ。お土産の定番といったらご当地の木刀だと思うんだけどなぁ。あ、それは修学旅行の土産ネタか。
「冗談だって。ちゃんともう買ってあるよ、小姫が言ってた地域限定のストラップ」
『もう、ふざけないでよねー。ま、買ってあるならいいや』
「もちろん木刀も買ってあるよ。小姫に似合いそうだったから」
『……帰ってきたらその木刀で遊んであげる』
あらやだ、めっちゃ恐い。
よ、余計なものを買っちゃったかなぁ。小姫は変な輩にモテるから後々必要になるかもしれないと思って買ったんだけど。ははは、お姉ちゃんは今から帰るのが恐いです。
『それより聞いてよぉ!あの人今ウチに来てて超ウザいんですけど! って、あぁっ!電話取られるっ』
「あの人? ああ、もしかして」
『もしもし、日向ちゃん?』
ぎゃーぎゃーとウルサイ妹に変わって聞こえる落ち着いた声は、瑠美のものだった。最近彼女は成績の芳しくない小姫の為に、空いた時間を利用して勉強を教えてくれている。私が教えればいいんだけど、小姫が言うには私は『教えるのが超下手』らしくて、仕方なく瑠美にお願いしているわけだ。ただでさえ仕事で忙しいのに、わざわざあの子を指導してくれているので頭が上がらない。しかし小姫は瑠美と気が合わないらしく、会うたびに突っ掛かっている。嫌ってるようには見えないから、もう少し仲良くしてくれればいいんだけど。
「いつもごめんなさい」
まず愚妹の無礼を謝った。いつもの事ながら申し訳ない。
『ふふ、いいよ別に。それよりそっちはどう?』
「うん。今ちょうど目的地にいるよ」
『そっか』
瑠美の穏やかな声が、耳に心地いい。
あー、なんだか癒されるわぁ。
「ちゃんとお土産買ってくるから、期待しててね」
『うん。あ、でも木刀はいらないからね』
あらま、聞こえてたんだ。残念。
「傍に椿が居るけど、代わろうか?」
『ううん、そろそろ休憩やめて勉強を再開しようと思ってるから』
スピーカーの向こうから『げぇっ!』という小姫の小さな声が聞こえてきた。勉強だけじゃなく礼儀や言葉遣いも教えてくれるといいんだけど。できれば母も一緒に。
「ん。先生、うちの妹を宜しくお願いします」
『ふふ、任せて下さい。それじゃ、気をつけてね』
「うん、それじゃ」
そのまま通話を終えようとしたけれど、母の声が聞こえてきたので再び携帯を耳にあてる。
『あ、日向? 今度お父さんが帰ってくるって』
「ほんと? でも、帰国の予定ってもっと先じゃなかったっけ?」
『この間お父さんと話したときに“日向が最近モテモテで大変”とかなんとか色々報告したら帰国早めるって』
「なに虚偽報告してんのぉおおおおっ!?」
いつ誰がモテモテで大変だって!? モテたことなんて生まれて死んで生まれて一度もありませんよ!? ああああお父さんきっと誤解してるよ。あの人親バカだから誤解解くの大変なんだよね。まあ、でも。お父さんが帰ってくるのは嬉しいし、楽しみかも。
『それじゃあ日向、気をつけてね。陽織さんと椿ちゃんに宜しく』
「はーい」
通話を終えて携帯をポケットにしまう。視線を感じたので隣を見ると、椿がニコニコと機嫌よく私のほうを見ていた。なんとなく照れくさくて、ふいっと視線を逸す。
「恵美子さんからですか?」
「うん、元気にしてる? って。…陽織と椿によろしくってさ」
「ふふふ」
「? ……え、なに?」
「なんでもないです」
「???」
やけに機嫌がいい彼女が気になったけれど、まあ、なんだか楽しそうだし、別にいいか。
「お母さん、遅いですね」
「そうだね」
私と陽織と椿の3人は、連休を利用して旅行に来ている。
旅行というけれど、本当の目的はお墓参りだ。
――そう、今日は陽織のお母さんの命日だから。
お墓の場所を調べてみたら実家の方にあるということがわかったので、私たちの住んでる町からかなり離れてる遠いこの地にやって来た。さっきまで私と椿も陽織と一緒に参っていたけど、今は陽織ひとりが墓地にいる。……きっと今まで伝えられなかったことを伝えているんだろう。陽織は一生母親のことを許すことはないと言っていたけれど、今、彼女はようやく母親と向き合っている。長い長い時間を経て、ようやく。もう二度と彼女は母親と会うことは出来ないし、話し合うことも出来ない。それでも今日、陽織と椿と一緒にこの場所を訪れて良かったと思う。
「日向さん、ちょっとあっちの方見てきていいですか? 綺麗な花が咲いていたので、気になってて」
「うん。私はここで陽織を待ってるから、行っておいで」
「はいっ」
嬉しそうに駆けて行く椿の後姿を見送る。
歳相応にはしゃいでいる彼女が微笑ましくて、思わず頬が緩んでしまう。
「……何ニヤニヤしてるのよ」
「おわっ、陽織」
いつの間にか後ろに腕を組んで不機嫌そうにしている陽織がいた。
あの、全然気配を感じなかったんですけど…。
「ちょうど今、椿が花壇を見るためにあっちに行っちゃった。タイミング悪かったね」
「すぐ戻ってくるわよ。ここで待ってましょう」
「はいはい。で、どうだった?」
「……とりあえず言いたいことは全部言ってきた」
「そっか」
今はそれで、十分だろう。彼女の顔は無表情に見えるけれど、何かに開放されたようにすっきりしているのだから。あと気になってるのは失踪したという陽織の父親だけど、こればかりは消息がつかめずにどうにもできなかった。
「別にもうどうでもいいわ、両親のことなんて」
本当は気になってるくせに相変わらず素直じゃないなぁ。
あまりにも陽織らしくて、堪えきれず苦笑がもれてしまう。
「親、ね」
不意に彼女が呟いた。
陽織は長く綺麗な黒髪をなびかせて、澄んだ空を見上げる。
「私も、馬鹿な親だわ。自分のことしか考えてなくて、あの子を長い間傷つけて、寂しい思いをさせて」
「…………」
今までの自分を悔いるように、沈痛な面持ちで呟く。
「貴方が命を賭けて守ってくれたのに……私は、駄目な母親だわ。本当に、ごめんなさい」
「その言葉は私じゃなくて、椿に言うべきだと思うけど……椿もそんな言葉はいらないんじゃないかな」
「そう、かしら」
「うん」
椿が欲しいのは、謝罪の言葉なんかじゃなくて、もっと別の言葉だと思う。
それを考えて伝えるのは、陽織自身だ。頑張れ、お母さん。
「…いまさら、あの子を守って愛していくなんて……私にそんな資格、あるのかしら」
「確かに遅いかもしれないけど、でも陽織は気付けた。だから、これからだよ。
これから今までの分を取り返すように椿のことをたくさん愛してあげればいいんだよ」
生きている限り、やり直すことはできるはずだから。
「…………そうね。まだまだ、時間はあるもの」
いつかは必ず別れが訪れるけれど、それはずっとずっと先のことだと信じている。
私たちはまだ生きている。
大切な人と共に、これからを生きてく。
「それじゃあ今までの分、たくさん想いを伝えなきゃいけないわね」
陽織は私の耳に自分の口を近づけて、囁くように言った。
その言葉と温かな吐息がくすぐったくて、全身が震える。
「……は?」
「覚悟しなさい」
「え? あれ? 椿のことだよね?」
「ふふっ」
彼女は笑う。
本当に、嬉しそうに。
心から、幸せそうに。
そこに影なんてなくて、晴れ渡った、眩しいほどの笑顔。
初めて見る、彼女の本当の笑み。
それは私がずっと願っていたこと。
だから、嬉しくて、嬉しくて……涙が零れそうだった。
けれど彼女は笑っているから、ここで泣くわけにはいかない。
私は溢れそうになるものを堪えながら、精一杯の笑みを浮かべる。
幸せだ。
私は今、すごく幸せだよ、陽織。
こんなに幸せでいいのかと思うほど、今、とっても幸せだよ。
傍にいてくれる大切な家族が居る。
見守ってくれる大切な人達が居る。
愛してくれるかけがえのない人が居る。
そんな人達と共にこれからを生きていけるなんて、幸せ以外の何でもない。
「お母さんっ! 日向さんっ!」
弾んだ声が聞こえたので後ろを振り返ると、椿が一生懸命走ってこちらにやってくるのが見えた。私と陽織は、そんな彼女が微笑ましくて、愛しくて、お互い顔を見合わせて笑う。
「いこう、陽織」
「ええ」
手を繋ぐ。
もう二度と離さないように、強く。
さぁ今度こそ、行こう。
みんなで一緒に、幸せな未来に。
ああ、私は―――
再び生まれてこれて、本当に良かった。
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