第22話 ひとつの幸せを



「日向ちゃんってお菓子を作るの上手だよね」

「そうですか?」


 瑠美が見つめる先には、私が作った生クリームと桃を使ったミルクレープがある。

 綺麗に盛り付けできたし、個人的には満足のいく出来栄えなので自信作と言ってもいいだろう。


「あっという間に手際良く作ってたから驚いちゃった。見た目も綺麗で、凄く美味しそう」

「いやぁ、そんなに褒められると照れちゃいますよ」

「ふふ、きっと皆も喜んでくれるよ。私も早く食べたいな」


 倉坂の家で陽織と椿の帰りを二人で待っていたけれど、なかなか帰りが遅いのでメールで連絡してみたら、もう少し時間がかかるとのことだった。暇な時間が勿体ないので、せっかくだから食後のデザートでも作っておこうと一度自分の家に帰り、短時間でできるお菓子を作ってみたのだ。瑠美も手伝うと言ってくれたので、我が家でミルクレープをササッと作ったのだが、意外と早く終わってしまった。


「そろそろ二人とも帰ってくる頃合いですかね」

「そうだね。戻ってみようか」


 調理道具を片付けてから、作ったミルクレープを持って隣のお宅へお邪魔する。

 玄関の扉に鍵がかかっていたので、まだ椿たちは帰ってきていないようだった。


「それにしても遅いよね、あの2人」


 合鍵を使って家の中に入り、瑠美が時計を見ながら心配そうに呟いた。

 そう言われるとメールで連絡を取り合ってからもう1時間は経っている気がする。


「2人で買い物なんて久しぶりみたいだから、ゆっくり見て周ってるのかな」

「そうかもしれませんね」


 あの2人が仲良く買い物している姿を想像してみると、微笑ましくてつい口が緩んでしまう。まだ夕食には早い時間だし、のんびり気長に待つことにしよう。

 私は瑠美に許可をもらって冷蔵庫にミルクレープを置き、居間に戻ってソファに座った。少し遅れて瑠美が私の正面に座る。そして、何故かじーっと私のほうを見つめてくる。……う、うん? なんだろう?


「私の顔に何かついてます?」


 ミルクレープを作ってる時に生クリームとか顔につけたのかもしれないと思って手で拭ってみる。結構力を込めて掻き混ぜたりするから飛ばしちゃうことが多いんだよね。


「あ、違うの。えーと、ただ、なんていうか、その、可愛い顔してるなーって思って」

「はぁ」


 そういうことを言われても、どう返せばいいのかわからなくて返事に困ってしまう。ありがとうございますぅ!って言ったら肯定してるみたいだし、そんなことないですぅ!って言ったら嫌味に聞こえるかもしれない。

 でも可愛いと言われて嬉しくない女の子はいない。もちろん私だって可愛いと言われれば嬉しい。……妹に言われるのは少し複雑だけど。


「そ、それより! 今日は椿ちゃんが日向ちゃんを夕食に誘ったの?」

「ああ、はい。家族に見捨てられた私を優しい椿が夕食に招いてくれたんですよ」

「そ、そう」


 お刺身万歳!と叫んでいた家族を思い出しながら俯き気味に笑うと、瑠美は若干引きつった笑みを浮かべた。

 きっと今頃、母と妹は回らないお寿司や姿盛りのお刺身などを食べて笑っているに違いない。

 生魚は苦手だから、別に連れてってもらえなくて悔しいとか思ったりしないよ?


「……ねえ、日向ちゃんって付き合ってる人とかいないの?」


 はい、脈絡のない質問がきました。女の人ってこういう話題好きだよね。いや、自分も青春真っ盛りの女の子ですけどね。見た目は。


「いませんよ。今はまだ友達と騒いでる方が楽しいって思います。それに恋とか、よく解りませんから」

「ふーん、そっかぁ」

「瑠美さんは、付き合ってる人はいないんですか?」


 こんなに綺麗に成長した彼女だ。

 付き合ったことがない、なんてことはないだろう。


「いないよ」

「うんうん、瑠美さんみたいな美人を放って置くわけないよねー……っていないの!? うそぉ!?」

「残念ながらね」

「でも、今まで誰かと付き合ったことぐらい…」

「ないよ」

「う そ だ ー!」

「ほ、本当だってば」


 なんだなんだ。この町の人間は見る目がないのか? それとも瑠美の理想が高いのか? まさか私と同じで恋愛にあまり興味がないとか!?

 驚いて挙動不審になっている私を見て瑠美はクスクスと笑っている。いや、笑ってる場合じゃないってば。


「昔は夢を叶えることで頭がいっぱいだったし、今は仕事で忙しいから恋愛してる暇はないの」

「そ、そんなこと言ってると婚期逃しちゃうんだからねっ!?」

「うーん、それは両親からそれとなく言われてる」


 でも特に興味ないからねぇなんて能天気に言っている彼女。ああ、やっぱりこういうところ、似ちゃったのかなぁ……。私がどうこう言える立場じゃないけど、ちょっと…いやかなり心配だ。


「そうだ。瑠美さん、手のひらを見せて下さい」

「え、いいけど…」


 彼女は不思議な顔をしながらも手のひらを見せてくれたので、穴があくような勢いで凝視する。


「……何してるの?」

「手相を見てるんです。昔ちょっと占い師に憧れて勉強した事があるので」

「へぇ、すごいね!」


 瞳を輝かせて私を見ている瑠美には申し訳ないけど、嘘っぱちです。


「どれどれ。お、瑠美さんはドジっ子だと手相が言っています」

「手相でそんなこと解るの?」

「現代の手相解読術は進化しているんですよ」

「えぇ?」


 どうやら信じていないようで、胡散臭そうな顔をしている。やっぱり苦しい言い訳だったかなぁ。私だってあんなこと言われても信じないし。まあ、それならそれで、別に構わない。実際、嘘なんだから。


「瑠美さんの好きな色はオレンジです」

「あ、すごい! 当たってる!!」

「誕生日は冬頃で、血液型はA型、好きな動物はネコ」

「うわぁ、手相占いってすごい……全部当たってる」


 本当にそんな占いがあったら恐いなぁ。プライバシーが漏れまくりで。

 実際は瑠美の姉だったから全部知ってるだけなんだけど。


「ちょっと失礼」


 私は片手で彼女の手首を軽く握って、もう片方の手を手のひらの上に乗せて重ねる。

 瑠美の手より少しだけ小さい、自分の手。


「今度は何がわかるの?」

「……ん、何にも」

「…………え?」

「ただ、大きくなったんだなぁって」


 昔は小さかった手が、今は私の手より大きくて、綺麗だった。


 私は瑠美の手のひらの上で自分の指を動かし、文字を書いていく。ゆっくりゆっくり動かして、彼女に伝わるよう丁寧に。瑠美はされるがままで、真剣に手のひらの文字を読み取ろうとしている。


「終わり」


四文字書いてから、握っていた手を離す。


「………しあわせ?」

「正解」


 答えが解っても意味が解っていない彼女は、首をかしげて眉をハの字にしていた。


「瑠美さんは、今幸せですか?」

「…………」


 息を呑む音が聞こえた。少しの間考えて、彼女はたどたどしくも答えを口にする。


「どうだろう……多分、幸せ……かな」

「そうですか。ちなみに今のは昔流行ったおまじないです。幸せになれるように、ね」

「ぁ……私も……それ、知ってる」


 このおまじないは昔、私が瑠美に教えたものだ。辛い事があって泣いていた彼女に、「手のひらに願い事を書いて飲み込めば叶うんだよ」って。本当は緊張を解す時に使う『手のひらに人という字を書いて飲み込む』というおまじないを自分で勝手にアレンジしたものだけど。


「そのおまじないは最後に飲み込まないと、願い事は叶わないんです」

「…………うん」

「だから、飲み込んでください」


 飲み込むといっても、本当に飲み込むわけじゃなくて、するフリだけなんだけど。

 瑠美はずっと自分の手のひらを見つめたまま動くそぶりを見せなかった。たかがおまじないなので、たとえ飲み込んだとしても本当に願いが叶うわけじゃない。ただの、自己暗示だ。

 それでも彼女は躊躇って「幸せ」を飲み込まない。それはきっと、彼女に“幸せになりたい”という意志が欠けているからだろう。


「私は……」

「しかたないなぁ」

「日向、ちゃん?」


 私は彼女の手をとって、その手を口元へ強引に持っていき、押し当てた。


「もがっ!?」

「はい、おまじない終了! これで瑠美さんはもっと幸せになれますよ」


呆然としている瑠美に、微笑む。


「……………」

「たくさん、幸せになってくださいね」


 人一倍泣き虫で、甘えん坊だった瑠美。きっと私が死んだ事がきっかけで、甘える事や弱い自分を隠して生きてきたんだろう。甘えないで一人で立っていることは立派なことかもしれないけど、それだけじゃダメだよ。遠慮しないで、もっと誰かに甘えるといい。もっと欲張っていいんだよ。いっぱい頑張ったんだから、いっぱい幸せになんないとダメだ。自分で自分の幸せを望まないと、幸せだって思うことが出来ない。


「……っ」


 しばらく呆けていた瑠美は、表情はそのままで、ポロポロと目元から雫を溢していた。涙を拭う事もせず、目を逸らすことなく、私のほうを向いたまま静かに泣いている。彼女が泣き止むまで、何もいわず綺麗な涙を見つめていた。


「大丈夫ですか?」


 しばらくして、彼女は俯いていた顔をあげる。


「うん……ごめん、ありがとう。なんか、すっきりしちゃった」


 流れていた涙を拭ってから清々しい顔で彼女は笑ったので、私もつられて笑う。何か吹っ切れたようで、表情はとても晴れやかだった。


「いやぁ、私って占い師の才能あるんですかね?」


 おどけた調子で言うと、瑠美は予想に反して真面目な顔でこくりと頷いた。


「すごく才能あると思うよ。日向ちゃんなら沢山の人を幸せにしてあげられるかもしれないね」

「あはは、そんなことないですよ。まあ、占い師も将来の選択肢のひとつに入れときます」


 正直、占い師の才能なんて私には全くないと思う。あえて言うならインチキ占い師の才能の方があるんじゃないだろうか。それに、私には沢山の人に幸せを与える力なんてない。周りの人間を幸せにする力さえも持っていないのに。


「日向ちゃんは、もう進路は決めてるの?」

「いや、特には。まだ何も考えてないです」


 前世で高校生だった時に配られた進路調査表には、叶えたい夢がなかったので近所にある大学の名前を書いて提出した覚えがある。そして今の自分も、将来のことを真面目に考えたことがなかった。


「まだ高校生になったばかりだもんね。まだ決まってないか」

「はい」

「まだ先のことだけど、今のうちからしっかり考えておいた方がいいかもしれないよ? 将来のことは特にね」


 穏やかだけど真剣な声色で、諭すように言う。


「おー、先生っぽい発言ですね」

「これでも一応先生だから」


 尊敬の眼差しを送る私を見て、困ったように笑う。


「うーん」


 瑠美が言うように今のうちから先のことを考えてみたほうがいいのかもしれない。“私”の人生は、一度きりでやり直しはきかないのだから。でも自分がやりたい職業か……無難にOLとか? 可能性としては一番高そうだけど。


「パティシエとかは? 日向ちゃん、お菓子好きだし作るのも上手だし」

「ん、それはただの趣味ですから」

「趣味を仕事にするのも素敵だと思うよ。もちろん、苦労する事も多いだろうけど」

「考えておきます」


 私には、まだまだ未来が残っている。赤口椿としての人生は終わってしまったけれど、早瀬日向としての人生はこれからも沢山あるはずだ。時間は有限だけど、まだまだ余裕があるからもう少しじっくり考える事にした。

 ……それにしても、こうして未来を語ることが出来るのは、とても幸せな事だよね。


「ふふ……」

「な、何ですか。人の顔をジロジロ見たあげくに笑うとか酷いです」

「ごめんね。日向ちゃんって姉さんにそっくりだから、つい」

「えっ」

「見た目はそんなに似てないけど、色々な所が似てるの。性格とか好きなものとか仕草とか」

「…………」


 バレないと思って高を括ってたけど、流石に昔の側面を出しすぎたかな。もう、いっそこのまま『実は貴女の姉の生まれ変わりなんです』って言ってしまおうか。どういう反応をするか見てみたい気もするけど……やっぱり言えない、かな。これ以上私のせいで彼女達の人生が翻弄されてしまうのは嫌だから。

 陽織も椿も瑠美もみんな自分の足で前を歩いているのに、『私』がしがみついて邪魔しちゃいけない。こうしてこっそり見守って、時々背中を押してあげるくらいでちょうどいいんだ。少し寂しいけれど、これでいい。あれからもう16年。みんなそれぞれの人生を歩き始めているから。


「それにしても、帰ってくるの遅いね」

「ですねぇ」


 まだ夕飯には早い時間だけど、別れてから随分と時間が経つ。ここまで遅いとさすがに心配になってきた。


「キャッチセールスに引っかかってるとか? もしかしてスカウトとかナンパされてたり……」

「いやいやいや」


 確かに陽織は綺麗で椿は可愛いから周りの目を引くし、声をかけられることも多いだろう。椿だけならまぁ納得いくけど、陽織の場合は声をかけられても総無視が基本スタイルだ。

 そういえば昔、陽織と2人で商店街を歩いていた時も彼女は声をかけられていて、やっぱり無視を貫いていた。それでもしつこく声をかけてくる男に凄んで「邪魔」と言った時の恐さといったらもう。大の大人でも気圧される睨みだったね、アレは。そんな彼女が、簡単に捕まることはないだろう。


「んー、何かあったのかな」

「連絡してみましょうか」

「そうね、お願い」


 私は携帯を取り出して椿のアドレスを呼び出し電話をかけてみる。しかし、電源が切れているのか電話会社のアナウンスが流れてしまう。


「あれ、繋がらない」

「充電が切れたのか、電波の届かない場所に居るのかな?」


 陽織の携帯にも電話をかけてみるが、こちらもやはり繋がらなかった。もしかしたら電波の届かない場所にいるのかもしれない。


「きっともうすぐ帰ってくるよ」

「そうですね」


 ま、陽織がついてるんだから大丈夫だろう。

 私達はのんびりした時間を過ごしながら、彼女達が帰ってくるのを待つことにした。

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