第二章 okaeri

第20話 本日は晴天です



「いい天気だなぁ」


 玄関から出て空を見上げると、清々しい青空が広がっていた。

 空だけでなく、私の心も晴れ渡っているのでとても気分がいい。

 昨日は陽織と椿の関係も良好になったことだし、肩の荷が下りたというかなんとやら。

 大きく背伸びをして、新鮮な空気を吸い込み吐き出した。


「明日も晴れるといいな」


 明日はついに高校の入学式だ。

 一度高校を経験しているとはいえ、新しい出会いや新しい教室、そして新しい青春の日々……今からとても楽しみだった。

 そういえば前世での高校の入学式のときは校長の話が長かったからうっかり居眠りして、前の席にいた人の背中に頭突きしてちょっとした騒ぎになったっけ。今回は気を引き締めて寝ないようにしないと。


「日向さんっ」

「やっほー」


 隣の家の玄関が開く音がしたと思ったら椿が中からひょっこり顔を出して、すぐに私に気づいた。私が手をひらひらと振ると、嬉しそうに目を輝かせ小走りにやってくる。うーむ、犬みたいで可愛い。ふさふさ尻尾の幻が見えるよ。


「こんにちは、日向さん!」

「こんにちは」


 天使のような笑顔で元気よく挨拶をしてくれた。

 なんというか、幸せいっぱいです!って感じで私も幸せな気分になってくる。

 それにやっぱり椿は笑っている時が一番可愛いと思う。最高だと思う。いや、世界一だわ。


「日向さんはこれからお出かけですか?」

「うん、渡す物があって椿の家に行くつもりだった」

「えっ」


 呆気にとられている彼女に持っていたモノを手渡した。

 彼女の手には先日私が借りたお菓子のレシピ本が数冊ある。


「貸してくれてありがとう。すっごく勉強になったし、読んでて楽しかった」

「もう、いいんですか?」

「うん。気になったレシピはメモらせてもらったし、一度読んでしまったらもう十分だから」

「そうですか。喜んで貰えたのなら嬉しいです」

「あと、これも」


 可愛いキャラクターが描かれた小袋を椿に渡す。


「これは?」

「新作のメイプルクッキー。借りた本のレシピを参考に自分でアレンジして作ってみました。本のお礼…と見せかけて試食してもらおうと思って」


 にやりと意地悪な笑みを浮かべると、彼女は可笑しそうに笑う。


「ありがとうございます。日向さんが作るお菓子は美味しいので楽しみです」

「ふふーん、今回はハズレかもしれないよ?」


 何しろ試作品なんだし。でも味見はちゃんとしたし、母と妹にも食べてもらってGOサインを貰ってるので大丈夫とは思う。


「いいんです。日向さんが作ってくれたものなら、どんなものでも嬉しいですから」


 そんな嬉しいことをとんでもない笑顔で言ってくれたせいか自然と顔が熱くなる。

 くぅ…!! これは照れるなっていう方が無理でしょう!

 照れ臭くて恥ずかしから顔を背けたいのに、何故か彼女の顔から目を逸らすことが出来ない。それに、心なしか椿も顔が上気しているような気がした。


「ま、まあ、気に入ってくれると、嬉しいかな? あ、あはは」


 この妙な空気を脱するべく奮闘した結果、なんとか言葉を発することができた。嫌いじゃないけど、慣れていないというか経験がないというか、こういう空気は苦手かもしれない。


「日向さんは、お母さんにお菓子作りを教えてもらったんですか?」

「うん。お母さんと一緒に初めて作ったんだ」」


 最初は前世でお母さんにクッキーの作り方を教えてもらったんだっけ。あの子に美味しいと言わせたくて本を読んだり自分でいっぱい練習したりして、結局それが趣味になってしまって。

 そういえば生まれ変わって今の母が教えてくれた初めてのお菓子作りは、バームクーヘンだった。あの時はまだ8歳ぐらいだったのに、なんでいきなりレベル高いものを作らせようとしたんだあの人。どうせ自分が食べたかったとかいうオチだろう。結局、難易度高くて失敗に終わったけど。


「あの、昨日の話なんですが。お母さんの幼馴染みの人の話を覚えていますか?」

「えっ……うん。大体は」


 予想外の話題に驚いて心臓が跳ね上がった。

 動揺を悟られないように気をつけながら、息を飲み込んで次の言葉を待つ。


「お母さんにその人の事を少し教えて貰ったんですけど、その人もお菓子作りが大好きだったそうなんです」

「へ、へぇ~そうなんだ~?」

「聞けば聞くほどなんとなく日向さんと少し似てるなって思いました。よく寝てるとか、優しいところとか」

「え~、そうかなぁ?」

「お母さんも、雰囲気が似てるって言ってました」


 楽しそうに話している椿とは逆に内心冷や汗をかきながら聞く私。

 バレないとは思うけど、居心地が悪いので逃げ出したい気分だ。


「その人のおかげで、私は今こうして生きているんです。……お母さんも」

「………………」

「私が生まれてくることを望んでくれて守ってくれた、私にとっても大切な人。

生きていたら、いっぱいありがとうって伝えたかったです」


 その言葉を聞いて、じわじわと心が温かいもので満たされる。


「きっと、伝わってるよ」

「……そうでしょうか?」

「うん。いつでも見守ってると思うよ」


 これから訪れる様々な日々を、君の隣で見届けるから。

 嬉しいことも辛いことも楽しいことも悲しいことも、君と共に。

 それを幸せといわず何と言えばいいのだろう。

 もしもこの世に神様がいるのだとしたら……もう一度彼女に会わせてくれたこと、そしてこの子に出会わせてくれたことを心から感謝したい。


「日向さん」

「うん?」

「明日は入学式ですね」

「だね。もうすぐ朝早く起きて登校しなきゃいけない日々が始まるね。とても辛い」


 大げさにうんざりして言うと、彼女は困った顔で曖昧に笑った。


「大丈夫です。遅刻しないよう私が毎日迎えに来ますから」


 な、なんて甲斐甲斐しい子なんでしょう……。

 でも正直に言うと、私はギリギリまで寝ていたいよ。


「…頑張って…早く起きなきゃいけないねぇ」


 わざわざ迎えに来てもらうのに待たせるようなことは絶対にしたくない。

 それに椿も遅刻に巻き込んでしまう可能性も出てきてしまうわけで。


「早起き頑張ってくださいね」

「はい、頑張ります」


 うん、頑張ろう!

 ……そして学校でこっそり寝よう!


「一緒のクラスになれたら、いいですね」

「そうだね」


 それから2人で明日のことや学校のことを話していたら、突然何処からか電子音が鳴った。どうやら鳴ったのは椿の携帯のようで、慌てて取り出して操作している。ふむ、メールみたいだ。しばらく画面を眺めていたのかと思うと、嬉しそうに微笑んで素早く返事をうち、携帯を仕舞った。


「友達から、メール?」

「いえ、お母さんからでした。今日は早めに仕事が終わりそうだから一緒に晩御飯を食べようだそうです」

「そっかぁ」

「はいっ」


 親子の関係が良好のようで、安心した。

 今まで過ごせなかった幸せな家族の時間を、これからゆっくりと取り戻していくんだろう。


「あの、良かったら…うちで晩御飯一緒に食べませんか?」

「えっ!? いやいや、いいよ、お邪魔するのも悪いし」


 せっかく仲を修復できたんだから、家族水入らずで過ごしてもらいたい。

 そこに自分が混じるのは無粋ってものだろう。


「遠慮しないで下さい。母も、お礼がしたいって言っていましたから」

「いや、私は……」

「お言葉に甘えたらどう~?」

「!?」


 空気の読めないうちの母が現れた!

 どうやら勝手に私たちの話を盗み聞きしていたらしい。


「あのね、そんな図々しい真似できるわけないでしょうに」

「実はお母さんと小姫ちゃんは、フルコースなディナーに行ってくるのです」

「……はぁ!?」

「スーパーの福引で当たっちゃったのよぉ、和食レストランのペアお食事券!…で、2名だけだから私と小姫で行ってくるね!」

「ひどい! 私だけ除け者とか酷すぎて泣けてくる!」

「海鮮メインのコースなのよ。あんた、生魚が苦手でほとんど食べれないじゃないの」

「うっ!!!」


 だからといって私だけひとり寂しくお留守番はないと思うんだけど。

 生は苦手だけど煮れば食べれるんだし。


「だから、椿ちゃんさえ良かったらうちの日向のことお願いしていいかしら?」

「ちょ、勝手に」

「わかりました。気にしないでお出かけして下さって大丈夫です! 任せてください」

「ありがとぉ椿ちゃん! 日向、ご迷惑をかけるんじゃないわよ」


2人は笑いあってニコニコと話している。

なんだか勝手に話が進んでるみたいだけど…。


「はぁ」


別に椿の家の晩御飯を食べたくないわけじゃない。ただ、色々と心中が複雑で行き辛いだけ。

遠慮しないでいいとは言われても、心苦しいし。気まずいし。


「き、気合を入れて作りますから! お口に合わないかもしれないですけど、その、一生懸命作ります!!」


 椿の瞳が凄く輝いてて、やる気に満ちている。うう、そんな一生懸命に言われてしまうと、断るなんて非道なことは出来ない。……まあ、本当は椿の手料理を食べたいと思っていたから、もう開き直ってしまおう。


「じゃあ、今晩お世話になります」

「ごめんなさいね椿ちゃん。今度はうちに食べに来てね」

「はい、ありがとうございます」


 話がまとまると、母親はご機嫌な様子で家の中に退散していった。

 まったく、ほんとマイペースな人なんだから。


「えへへ」


 椿の顔を伺うと、心底嬉しそうな顔をしていた。

 そういえば彼女は今までずっとひとりで食事をとっていたんだよね…。


「椿、私も御飯作るの手伝っていい?」

「でも日向さんはお客様ですし、そんなことして頂くわけには」

「あ、もしかして私の腕を疑っている?これでも料理には自信があるんだけどなー?」

「そっ、そんなつもりはないです! 日向さんがお菓子作り得意なの知ってますし」

「ならいいよね? 1人で作るより2人で作ったほうが楽しいよ、きっと」

「日向さん………はい」


 ようやく納得してくれたのか、彼女は優しい表情で私を見つめる。

 初春の爽やかな風が、彼女の長く綺麗な髪を揺らしていた。


「えと、時間があるなら一緒に晩御飯の買出しに行こうか?」

「!? は、はいっ! あ、私、すぐ準備してくるので待っててください!」

「ゆっくりいいよ。私も準備してくるから……ってもう行っちゃった」


 慌てて家に戻っていく椿が子供のように可愛くて、つい頬が緩んでしまう。

 彼女が戻ってくる前に準備を整えようと、私も自分の家に戻って支度をする。


 出かける準備を終えて、椿と一緒に買い物に出かけることにした。



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