第15話 迷子といっしょ


「日向―――っ! はやく、はやくきてぇぇぇ!!」


 突然母の大きな声が聞こえてきたので、思わず読んでいた本を落とした。

 あんな大声を出したらご近所さんに丸聞こえだと思うんだけど。恥ずかしい上に迷惑だ。私のことを呼んでいるみたいだけど、嫌な予感がするのですっごく行きたくない。寝てるふりをしてやり過ごそうかと思ったが、行動に移す前に母が部屋にやってきた。


「日向!! どうしてこないの!? 呼んでるのにぃ」

「ノックぐらいしてよねお母さん。で、何かあったの?」

「大変なの!いちごジャムの蓋が開かなくって! 開けて!」


あまりにもどうでもいい事だったので、脱力した。母にとっては大事なのだろう。


「……しかたないなぁ」


 母が差し出したジャムの瓶を受け取って蓋をあけようと試みたけれど、固くてなかなか開きそうもなかった。今度はもっと力を込めて、引っ張るようにまわしてみる。


「ふんぬっ!!」


 パカッ! っと軽い音がして蓋が開いた。


「きゃー!さすが日向っ、馬鹿力ねぇ!」


 それって褒めてるのかな、お母さん。

 あんまり嬉しくないよ、お母さん。


 強く握ったせいで痛くなった手を擦りながら、喜んでいる母をジト目で睨んでやる。しかし母は瓶を覗き込んでいたので、こっちにぜんぜん気付いてなかった。なんか悔しい。


「んー、大丈夫かしらコレ」


 なぜか瓶の中の匂いを嗅いでいる。

 この人はいったい何をやっているんだ。


「消費期限が五ヶ月前にきれてるジャムなのよね~。あ、日向、ちょっと舐めてみてくれる?」

「捨てて! 今すぐ捨てて!!」


 娘に毒見させる気ですかお母様。

 流石に消費期限はシャレにならないと思う。しかも五ヶ月とか限度を越えてる。


 勿体ないと反論する母を、私が新しいジャムを買ってくることで黙らせた。

 買いに行くのは面倒だけど、お腹を壊して苦しむよりずっとマシだ。


「あ、ついでにチョコ買ってきてくれる? イチゴのやつ」

「了解」


 私は座っていたベットから立ち上がって財布を掴み、お遣いに出掛けることにした。





 早々と頼まれた物を買ってからスーパーを出る。

 これといった用事もないし、まっすぐ家に帰って昼寝でもしよう。春休みはあっという間に終わってしまうので、計画的にだらだらしたい。休みなので気が済むまでずっと寝ていたいけど、時間をかけてお菓子作りをしたい気持ちもある。夏休みみたいにもっと休みが長いといいんだけどね。


「ひぐ、えっぐ、ううう……」

「?」


 残された春休みの過ごし方を考えながら歩いていると、子供の泣き声がどこからか聞こえてきた。気になって辺りを見渡してみると、すぐ近くで泣いている女の子を見つけた。五、六歳くらいだろうか……女の子は小さな手で溢れる涙をゴシゴシと拭きながら大きな声で泣いている。通行人の人達は心配そうな顔で女の子を見ていたけれど、それだけで声をかけようとしない。放って置けないので、私はゆっくりと女の子に近づいた。


「ひっく、お、おかーさん…っ、ど、どこぉ………」

「おかーさんとはぐれちゃったの?」


 目線の高さを女の子と同じにする為にしゃがんでから、恐がらせないように優しく話しかける。


「う、うんっ、いつのまにか、いな、いないのっ」

「そっかぁ。じゃあお姉ちゃんと一緒におかーさんを探そうか」

「ほ、ほんと?」


 泣いて真っ赤になった大きな瞳が私のほうを覗く。


「うん。あ、そうだ、チョコレート食べる?」


 母から頼まれていたイチゴチョコを袋から取り出して、涙目の女の子に渡してあげる。


「貰って、いいの?」

「いいよ」


 安心させようと思い、出来るだけ優しく笑う。

 すると悲しい顔をしていた女の子はみるみる顔を明るくしていった。


「ありがとうお姉ちゃんっ!」


 ……うん、喜んでくれたようで良かった。女の子は美味しそうにチョコを食べている。母に頼まれたチョコだけど、また後で買えばいいので問題ないだろう。

 さて、これからこの子の母親を探さなければいけない。そうはいっても女の子の母親がどんな人なのか知らないし、どこにいったのか見当もつかないので地道に探すしかないようだ。


 よし、とにかくこの辺りを歩き回ってみよう。


「ね、だっことおんぶ、どっちが好き?」

「んー……だっこー」

「オッケー、だっこね。よいしょっと」


 私は女の子が母親を見つけやすいように、母親がこの子を見つけやすいに抱き上げて歩くことにした。お母さんがどんな髪で、どんな服を着ているかなど色々と特徴を聞いてからそれらしき人物を探す。

 ……昨日は小姫と椿を探しまわって、今日は迷子の母親を探すことになるとは思わなかったな。こっちに引っ越してきてからというもの、何かと慌しい。


「おかーさんいないね?」

「うん……」


 歩きながら2人でキョロキョロと周りを探すけれど、それらしき人物は見当たらない。

 聞いた特徴と同じ姿の人がいたので話しかけてみたら別人だったり、いくつかお店の人に尋ねてみても空振りだった。


「あ、そうだ」


 こういう時は交番に行けばいいのだという事に今更ながら気づいた。もしかしたら女の子の母親も娘がいなくなったことに気付いて交番に立ち寄っているかもしれない。そうと決まれば善は急げだ。私はここから一番近い交番へと向かうことにした。



「……え、ここにあった交番なくなったんですか?」

「そうね、確か7年ほど前に取り壊されて、隣の地区の交番と合併しちゃったのよ」

「そ、そうですか」


 交番があったはずの場所に美容室が建っていたので、まさかと思いお店の人に尋ねると、どうやら大分前に移動してしまったらしい。移動先の交番の場所を聞くと、ここから結構距離があるみたいだった。

 うわー、これからどうしよう。

 女の子が不安そうに私のほうを覗きこんだので、大丈夫だと伝えるためににっこりと笑う。

 ここに居ても仕方がないし、来た道を戻って元の場所に一旦帰ることにした。


「疲れてない?喉とか渇いてない?」

「うん、だいじょーぶ」

「よしよし、いい子だね」

「えへへ」


 片手で身体を抱っこして、もう片方で女の子の頭を優しく撫でてあげる。

 気持ち良さそうに目を細めるこの子を見て、早く母親のもとに返してあげたいと思った。


「日向さん」

「えっ?」


 名前を呼ばれて振り返ると、そこにいたのは椿だった。

 買い物袋を下げているから買い物に来たのだろう。


「お買い物?」

「はい。……あの、日向さんが抱っこしている女の子はお知り合いの方ですか?」


 椿は私が抱えている子供を見て不思議な顔をしていた。


「ううん、迷子みたいだから一緒に母親を探してたところ。ねー?」

「ねー♪」


 女の子と向かい合って笑う。最初は少し警戒されていたけれど、時間が経つにつれて段々と打ち解けたのだ。そんな私たちを椿は微笑ましそうに穏やかな目で見つめていた。


「交番に行こうと思ったんだけど、別の場所に移動しててこれからどうしようか考えてたの」

「そうですね。交番はここから距離があるので……あっ、地区の公民館がすぐ近くにありますから、そこに行ってみたらいいと思います」

「ほんと!? じゃあそこの場所を教えて貰えると助かるんだけど」

「じゃあ、私が案内しますね」

「え、でも、いいの?買い物の途中だったんじゃ」

「買い物は終わりましたし、時間もあるので気にしないで下さい」


 彼女は女の子の頭を優しく撫でながら、私の顔を見てにっこりと微笑んだ。

 ……ほんと、いい子だよなぁ。


「それじゃあ、申し訳ないけど…宜しくお願いします」

「はい」


 道案内をしてくれる彼女の隣を歩く。前を歩いている椿の綺麗で整った横顔をこっそり伺った。そういえばこの町に来てから、毎日のように彼女に会っているような気がする。まあ、お隣さんなんだから会う確率が高いのは当然なんだけど。それにしても、だ。


「……えっと、なんですか?」


 私がずっと見つめていたことに気づいた彼女が、恥ずかしそうな顔でこっちを見た。

 ほんのりと頬が染まっているようだけど、照れ屋さんなのかな?


「なんでもないよ。ただ、椿と偶然会うことが多いなーと思って。」

「そういえば、そうですね」

「……なんかこう、運命的なものを感じるよね」

「えっ、えええっ!?」

「そんな驚かなくても」


 薄っすらと赤く染まっていた頬が、さっきよりも濃くなっているような気がする。

 そんなに驚くとは思わなかったので申し訳ない気持ちになった。


「えと、馬鹿なこと言ってごめんね。ちょっとした冗談だったんだけど」

「……は、はい」


 彼女は俯き加減でしばらく複雑そうな表情をしていた。

 ……うーん、そんなに気に障ってしまったのだろうか。反省。


「あ」

「日向さん?」

「寝ちゃってる……」


 私の腕の中にいる女の子は疲れたのか、可愛い寝息をたてながら目を閉じてぐっすりと眠っていた。寝顔がとっても可愛らしい。


「疲れちゃったんですね」

「そうみたい。悪いけど、この子を起こさないようにゆっくりペースで歩いていい?」

「はい」


 女の子が揺れで目が覚めないようにペースを落として歩くことにした。自然と会話も無くなってしまったので、何も喋らずただ前に進む。女の子が寝てしまったので母親を見つけるのは難しいけど、それっぽい人を探しながら歩く。


「日向さん、着きました」

「ここ?」

「はい」


 公民館と書かれた表札と案内所と書かれた貼り紙が付いている建物の前で足を止める。さっそく入ってみようと動いた途端、肩を掴まれた。


「癒美ちゃん!!!」

「……っ、ゆみ、ちゃん?」


 後ろを振り返ると、慌てて余裕のかけらもないご婦人がすごい形相でそこにいた。ちょっと……いや、かなり吃驚した。表面上は冷静を装っているけれど、心臓がバクバクと鳴ってる。ご婦人は私ではなく抱っこしている女の子の方を見ているので、おそらくこの人が母親なんだろう。この子、癒美ちゃんっていうんだ。そういえば名前聞いてなかったなぁ。


「この子のお母さんですか?」

「はい、そうです!ちょっと目を離した隙に居なくなっていてずっと探していたんですが見つからなくて……あの、もしかして、この子のこと保護して下さったんでしょうか?」

「まあ、一応そんなとこです。…癒美ちゃん、おかーさんだよ?」


 寝ているのを起こすのは可哀想だったけれど、母親が見つかったので優しく揺すって起こしてあげる。相当疲れていたのだろう、なかなか起きる気配がなかったものの何度か揺すってあげたらようやく眠たげな目を開いてくれた。そして半開きの目を母親のほうを向けると、一気に大きく目を開いた。


「おかーさんっ」

「癒美!!」


 抱えていた女の子をゆっくりと母親に預けると、女の子は必死に母親に抱きついた。

 母親も愛しそうに自分の娘を抱きしめ返す。


「感動の再会だ」

「……無事に見つかって良かったですね」


 親子の感動の再会を邪魔しないように黙って見守る私と椿。

 それにしても、母親が無事に見つかって本当に良かった。


「あの、大変ご迷惑をおかけしました! 私がちゃんとこの子を見ていなかったばかりに」


 申し訳なさそうにご婦人が頭を下げたので、慌てて首を横に振る。なかなか頭を上げてくれなかったが、数分かかった説得の末ようやく頭を上げてくれた。何度も何度もお礼を言われて困ってしまったけど、まあ悪い気はしない。自分が誰かの役に立つのは嬉しいし、そして感謝されるのは幸せなことだ。


「本当にありがとうございました」

「バイバイ、おねーちゃん」

「うん、じゃあね」


 笑顔の女の子と手を振ってお別れする。

 母親は軽く会釈した後、女の子と手を繋いで仲良く帰っていった。


「やれやれ、これにて一件落着。さてと、私も帰ろうかな」

「そうですね。…一緒に帰っても、いいですか?」

「もちろん」


 家がお隣同士なんだから帰り道は同じだし、断る理由もない。

 1人より2人で帰った方が楽しいしね。

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