第8話 回想3
ただがむしゃらにカチャカチャと音を立てて、四角いおもちゃを動かす。なかなか思うように色が揃わなくて、ついに私はそれを放り投げた。
「無理! 難しくて私にはできない!」
彼女は芝生に転がったルービックキューブを拾い上げて、呆れたような顔をした。
「諦めが早いわね。もっと努力しなさいよ」
「頭を使うのって苦手だもん」
「そうだったわね」
ふふっと彼女は可笑しそうに笑って、手元のキューブをじっと見つめる。キューブを回しながら何度か動かして、私に向けて差し出した。
「え、全部の色が揃ってる!?」
「適当にやったら揃っちゃったわ」
涼しい顔で、そんな事を言った。
嘘だ、この人絶対考えて動かしてたよ。
「不公平だー!」
「そんなこといわれても」
私の八つ当たりに彼女は少し困った顔をする。そんな表情をする彼女は珍しくて、罪悪感を感じつつもちょっぴり嬉しかった。
「練習すれば、きっとすぐに出来るようになるわよ」
「そうかなぁ」
「お菓子作りだって、あっという間に上達したじゃない」
まだ彼女の口から「美味しい」という言葉を聞いた事はないけれど、最近になって「まあまあね」と言ってくれるようになった。それからクッキーだけじゃなく、ケーキやワッフル等いろいろなお菓子を作り始めて、いつの間にか楽しくなっていた。
「うーん、お菓子作りは趣味だから」
興味のないことにはあまりやる気が湧かない。それでも彼女がやれというのなら、私はやるかもしれないけれど。
ふとポケットの中の携帯が震えたので開いてみると、メールが一通届いていた。
「……誰から?」
「妹から。あの子、最近親に携帯を買ってもらったから、よく送ってくるんだよね」
メールの文面を見てみると『なんじにかえってくるの?(>△<)』と表示されていた。もう顔文字の使い方までマスターしているみたいで、微笑ましい。買ったばかりの頃は意味不明の数字を送ってきたので、それに比べると格段の進歩だった。
彼女が私の携帯を覗き込んできて、目を細める。
「帰ってきて欲しいみたいね」
「へへ、甘えん坊さんだからなぁ」
「家に帰ったらどう?」
「え、でも」
「いいから帰りなさい」
「はっ、はい!」
睨みつけるような目と、有無を言わせぬ言い方に思わず萎縮してしまう。
強く言われたら断れない私の性格を知っている彼女は、ずるいと思った。
「じゃ、じゃあ帰るね」
仕方なく家に帰ろうと彼女に背を向けたけれど、服の裾を引っ張られてしまったので帰る事が出来ない。
「え、なに?」
不思議に思って彼女の方を振り返ってみたが、顔を伏せていたので表情を伺うことは出来なかった。一体どうしたというのだろう。振り払うことは絶対にしたくないし、このままじゃ身動きできない。
もしかして、帰ってほしくないとか?
いやいや、まさか彼女に限ってそんなことはないか。
それに帰れといったのは彼女なんだし。
「……………」
「……………」
彼女は何も言わない。
だから、私も何も言えない。
動く事ができないからしばらくそのままでいて、その間ずっとお互いに黙っていた。
彼女は何を考えているのかよくわからない。
いつだってそうだ。
ただ、私が鈍いだけかもしれないけれど。
でも。
「ごめんなさい」
ようやく彼女が裾を離してくれたので、動けるようになった。
私を掴む小さな手は離れたのに、何故か私はその場から離れることが出来なかった。
まるで足が地面と一体化してしまったんじゃないかと思えるくらい、自分の足は動いてくれない。
「早く帰ってあげて」
「あ、うん」
彼女に背中を押されて、ようやく動けるようになった。それでも後ろ髪を引かれる思いは消えない。
振り返ると、彼女はもう背を向けて屋敷の方へ向かって歩いている。私はそれを、ただ黙って見送ることしか出来ない。彼女の後ろ姿がなんとなく儚げで、消えてしまいそうで、どうしようもなく不安だった。
だから、私は控えめに……彼女の名前を呼んだ。
その呼び掛けが奇跡的に聞こえたようで、彼女はこちらを振り返る。
「頑張るからっ!」
「え?」
「ええと、そうだ、ルービックキューブ! 練習して、早くクリアできるように頑張る!」
「…無理じゃないの?」
「酷い!」
練習すれば出来るようになるって言ったの貴女でしたよね!?
「無理じゃないよ!!」
「……………………」
「……っ絶対、早く揃えるようになるからっ!」
「頑張ってね」
彼女の顔が、ほんの少しだけ笑ったように見えた気がして。
私が呆けているうちに、彼女は屋敷に戻っていって、いつの間にか姿が見えなくなった。
……その日、絶対に彼女よりも早いタイムでキューブの全面を揃えてやるだと心に決めて、私は家に帰った。それから1週間ほど練習して全面揃える事が出来るようになったけど、どうしても彼女より早くクリアすることは出来なかった。それでも彼女は努力の成果を認めてくれたが、私はその結果に満足できなかったのだ。
結局、いつまで経っても目標を達成できなくて、ひどく悔しかった。
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