第2話 バブル崩壊の回避
1990年、日銀の三重野康総裁がバブル解消のために高金利政策を行い
ました。政府も地価対策等を行いました。こうして、バブルつぶしが始ま
りました。
1991年2月1日、ドイツ連銀は湾岸戦争への資金提供、東独・東欧の
支援のための財政需要の増大等により、インフレ要因を多く抱えているの
で、金利を6.0%から0.5%上げて、6.5%にしました。
1991年2月2日、米国は湾岸戦争が長期化し、昨年第4四半期の実質
経済成長率は前期比マイナス2.1%と落ち込み、景気後退局面に入り、
銀行の貸し渋りも解消したいと考えて、米連邦準備銀行は公定歩合を6.
5%から0.5%引き下げて、6.0%にしました。このドイツ連銀の動
きは10日前にニューヨークで開催されたG7の共同声明とは異なり、こ
れを国際的な協調体制の崩壊の始まりと判断した投機筋は、マルク買いを
行い、円もつられて上昇し、ドル安になりました。各国の協調介入により、
国際的な協調体制が崩れることはないと示したので、為替相場は安定しま
した。2つの赤字(財政赤字と貿易赤字)を抱える米国政府は、日本やド
イツからの資金の流入が減ることにより、国内経済が停滞するような事態
を避けるために、日本政府に金利低下を暗に要求してきました。米国政府
の意を受けた日本政府は、中尾栄一通産相や宮澤喜一元副総理や渡辺美智
雄元政調会長が公定歩合の引き下げに関する発言をして、日銀の三重野康
総裁に対して暗に金利引下げを要請しました。しかし、三重野康総裁は米
国政府や日本政府の公定歩合引き下げ要請を断り、バブル解消の道筋をつ
けるために、公定歩合を下げませんでした。1991年3月には日本の公
定歩合の引き下げ懸念から円安になり、日銀がドル売り円買い介入になり
ました。1991年5月にも同じように、米国が公定歩合を更に0.5%
下げて5.5%にすると、日本に対する金利低下懸念から、円が売られ日
銀が円安是正のために、ドル売り円買い介入を行いました。つまり、日本
と米国の公定歩合の差を理由として、資金の流れが大きく変わるというよ
うなことは短期的には起きないということを示していました。そして、国
内の鉱工業生産指数等の指数も上げ下げ色々で、しかも湾岸戦争や暖冬の
影響をどのように考えるかで判断が難しい状況でした。だから、私も公定
歩合を下げなければならない局面ではないと思いました。政治家は、手前
勝手な都合に対して、もっともらしい理由をつけて、いい加減なことを言
い切り、間違っても反省はなく、言い訳だけがうまいです。全く始末に負
えません。米国政府も日本政府も為替相場を読み違っているか、表向きの
国際的な資金の流れとは異なる理由(統一地方選挙)で無責任に口先介入
しているに過ぎないと思いました。政治家と大蔵官僚(現在は財務官僚)
の都合で、平然と目茶苦茶な経済予測を行う経済企画庁に比べると日銀の
存在価値は貴重です。そして、6月になっても、生産指数は横ばい、サー
ビス指数は上昇しました。しかし、いつかは日銀は公定歩合を下げなけれ
ばならないことは明白でした。私は、三重野康総裁は金融不況が実体経済
に悪影響を及ぼすと判断した場合にのみ金利を下げるだろうと思いました。
6月になって、日本の公定歩合低下懸念から円安ドル高基調になり、永野
健日経連会長、石川六郎日商会長も公定歩合の引き下げには否定的な意見
を述べていました。しかし、三重野康日銀総裁は1991年7月1日に突
然公定歩合の引き下げを発表しました。この突然さは引き下げの効果を演
出するには欠かせないと思いました。私は、三重野康総裁が金融不況が実
体経済に悪影響を及ぼし始めたと判断した、と考えました。そこで、19
91年8月頃、私は業績の下方修正を周囲に伝えました。具体的な手法と
して、逆粉飾決算を提案しました。つまり、今期の売り上げ、利益の一部
を来期にわざと繰り越すことを提案しました。こうすれば実際には業績が
落ち込んでいても、外部からは業績が悪化しているようには見えないと考
えました。その間に周囲の状況を見ながら対応策を検討できるということ
を狙いました。不景気の前には、必ず好景気があるので、将来予測に強い
私にとっては手軽に利用できる実践的で効果的な方法です。
私はこのように周囲に張り巡らされている監視網を、連絡手段として利用
して、簡単に影響力を行使していました。小高敏夫会長と久保徳雄前々社
長は私の洞察力、予測力に期待していたので、すぐに社内、業界に注意を
呼びかけました。1992年の3月までには、業界全体で業績の下方修正
が行われました。私は、1992年の3月末がその後の明暗を分ける分水
嶺になると考えていました。業績悪化の前に業績予測の下方修正が行われ
たので、私は景気下降局面に発生する在庫が電気電子業界では少なく、軽
度な業績悪化ですむと判断しました。1992年のゴールデンウィーク頃
に、小高敏夫会長と久保徳雄前々社長の指示で情報を収集している私の友
人の渡辺純夫に、今回の景気後退は軽度だから、投資を再開するように伝
えました。その後、景気の優等生と評されるような経済成長のけん引役に
なっていきました。また、このゴールデンウィーク中に経営者が集まり、
ゴルフコンペと勉強会のようなものが開催され、そこで他業種にも情報が
伝えらました。すでに各社とも今年度の予算は執行されつつあるので、い
まさら変更は困難であり、業績が悪化しないことを祈るだけでした。ここ
で気が付かなければならない点があります。景気が悪いので公定歩合を下
げるように言っていた政治家は経済成長率を見込んだ予算を決めました。
つまり、”景気が悪いという状況判断”または”経済成長率を見込んだ予
算”のどちらかが大嘘だという点です。次に、景気が悪いので公定歩合を
下げるように日銀総裁に言い寄っていた経営者も業績の下方修正をしませ
んでした。”景気が悪いという状況判断”または”経済成長率を見込んだ
業績予想”のどちらかが大嘘だという点もです。偉そうにふんぞり返って、
大嘘突き通せば、問題なしという姿勢のクソな政治家と経営者には嫌気が
しました。このようなことに気がつきもせず、政治家や経営者の発言を垂
れ流し、批判一つしないマスメディアにも呆れてしまいました。そして、
業績は悪化し、下方修正の遅れた主要な製造業の分野は製品在庫を抱え、
バブル崩壊へとなっていきました。このようにして、私は影ながら、経済
に対する影響力を行使することができるようになっていきました。
1992年10月頃、この話を聞きつけた日本政府が私からバブル崩壊後
の方針を聞きだそうと考えました。内閣調査室の人間が私の後をつけまし
た。私が一人で近所のファミリーレストランのディニーズのカウンター席
に座りました。その1つ離れた左側の席に内閣調査室の人間が座りました。
私は、その人間に過去に感じたことのない”ぬめっ”とした変な雰囲気に
気がつきました。私は、今までに出会ったことのない人間であることに警
戒しつつも、確認のために話しかけてみることにしました。まずは、声を
かけ、挨拶し、世間話をしてみました。話をしてみると、普通のおじさん
ですが、どこか相手に強い印象を与えまいとしながら、話を聞きだそうと
しているように感じました。政治経済の話題になると興味を示し、会話が
弾みました。しかし、なぜ政治経済の話題に興味があるのかに付いての説
明、職業に関連する説明はありませんでした。これではこちらとしてもわ
けが分かりませでした。そこで、相手が聞きたがっていると思われる情報
を渡して、様子を見て判断することにしました。相手の聞きたい情報は、
政治経済関連なので、景気回復策としての遷都論を伝えました。遷都は政
治の話題でかつ、経済の話題でもあります。何らかの影響があれば新聞、
テレビ等を通じて確認することのできる話題だと考えました。私が遷都の
必要性を感じた根拠は、バブルの発生と崩壊は東京一極集中での発展の限
界を示していると考えているからです。そして、1992年12月に、
”国会等の移転に関する法律”が制定されました。
時は流れ、小渕恵三首相が誕生し、遷都の話が具体化されようとしていま
した。誰の依頼か分かりませんが、武田光哉部長代理が職場での優遇と交
換に、松田克彦先輩に私からそれとなく遷都について聞き出すように指示
しました。松田克彦先輩は、一人で昼食を食べている私の前に突然座り、
経済政策としての遷都とデノミについて比較を交えながら私の考えを聞き
出そうとしました。小渕政権の節操のないばら撒き財政、生ぬるいだけの
不良債権処理と見せ掛けだけの副大臣制度を見ていて、遷都を行うのには
適切ではないと考えていたので、遷都の話について無関心を装いました。
これを聞いた小渕恵三首相は激怒しました。このようにして、私は経済だ
けでなく政治にも影響力を有するようになって行きました。その後、日本
政府は私の考えが分からないので、遷都に関して迷走することになりまし
た。
2002年5月26日に、私がエシュロンに気がつき、情報提供の停止を
宣言したことにより、小泉純一郎首相は遷都関連の情報は私から入手でき
ないと判断し、遷都の延期を発表することになりました。
2011年には、遷都予算が計上されなくなりました。
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