妄想男のラブコメ物語その2

夢野天瀬

斯くも儚きバレンタイン


 呪文のごとき文字が白き色で書きつづられている。

 その様は、まるで俺を燃やし尽くすかのような印象を受けるが、次の瞬間にそれを妨げるかのように聞き慣れた音が鳴り響く。


 その文字を書き連ねる極悪非道な悪魔は、その音を耳にすると呪文を刻む手を止めて口を開いた。


 おかしい、まだ呪文は完成していない筈なのだが、この段階で発動できるのか?


 己が身の危険を感じつつもそんな事を考える。

 すると、悪魔は俺を地獄に落とすかのような言葉を吐き出した。


「え~と、今日はここまで! あと、ここは試験に出すからな! しっかりやっとけよ」


 奴はそんな無情な言葉を放つと、教科書を閉じて教室を後にした。


 マジか! この呪文みたいな数式が試験に......悪夢だ! いや、これは爆破予告となんら変わらんのではないのか? いや、いっそ俺が試験日にこの学校を爆破すれば、この数式が試験に出る事はない。いやいや、それどころか、悪夢とも言える試験そのものを回避できるかもしれない。


 それが名案だと頷きつつ、どんな方法で爆破すべきかと思案していると、後ろから俺を呼ぶ声が聞えてきた。


「あ~、疲れた~! やっと今日の授業が終わったぞ。かったる~~~! 一道かずみち、カラオケでも行こうぜ!」


 まるで戦場から返ってきたかのように、草臥くたびれた友人が声を掛けてきた。


 こいつは小学からの腐れ縁で、家も割と近くて幼馴染といっても過言ではないのだが、やはり幼馴染は可愛い女の子という設定にしたい。

 それよりもだ。こいつは友人でありながら裏切り者でもあるのだ。

 なにせ、中学の時に付き合い始めた彼女と未だにラブラブなのだから。

 てか、そのことが俺にバレていないと思っている処が愚かしい。


 そんな幼馴染に向けて、俺はここ最近の口癖くちぐせとなっている台詞を返す。


「今日は駄目だ。用があるんだ」


「おいおい、またかよ~! 昨日もそう言ってたじゃんか。女でも出来たのか?」


 俺の返答に奴は不平を漏らしてくるが、そんな幸せな話では無いのだ。


「ちょっとな。まあ、バイトだよ、バイト!」


 本当はバイトの事は口にしたくなかったのだが、変に誤解されるのも嫌なので正直に伝えると、奴は「ちぇ」と舌打ちしながらスマートフォンを操作し始めた。

 恐らくは彼女に連絡を取っているのだろう。


 そんな幼馴染を眺めつつ、高校生にあるまじき少ない荷物をまとめていると、ふと、どこからか視線を感じた。

 その視線が気になった俺が即座に周囲を見回すと、一人の少女と目が合ってしまった。


 うあ! 天川だよ......目が合っちゃったよ......


 そう、このクラスのマドンナ......いや、この学校で誰もが憧れる美少女、天川春奈と目が合ってしまったのだ。


 でも、俺を見ていた視線が天川とは限らないよな......偶々目が合った可能性の方が高い......いや、間違いなくそうだろう。もしそうでないのなら、俺が得意とする妄想だとしか思えない。だって、直ぐに視線を逸らしたし......やはり、偶々だな......


「おい! ぼ~っとして如何したんだ?」


「いや、なんでもないんだ」


「おいおい! また妄想いってんじゃね?」


「今のはちげ~よ!」


 結局、彼女との連絡が終わったらしい幼馴染と会話をしている間に、天川はさっさと帰宅したのか、いつの間にか居なくなっていたのだった。







 二月とは言え、陽が暮れ始めると半端なく寒くなってくる。

 まあ、ドカ雪が降るのもこの時期だから、冷え込みが厳しいのも仕方ないだろう。


 そんな寒空の下、俺は綺麗きれい包装紙ほうそうしに包まれたチョコレートを売っている。

 何故、そんなバイトをしているかというと、これはクリスマスと同じ理由だ。

 いや、ケーキ屋がバレンタインにチョコを売るのは少し違う気がするが、駅近くの叔父がやっているケーキ屋では、毎年のようにバレンタインチョコを販売しているのだ。

 更に、その行事に強制参加させられることも毎年の事だといえるだろう。


「てか、貰うなら解るが、何故なにゆえ俺が売る側なんだ?」


 ブツブツと独り言を口にしながら、行き交う人を冷めた眼差しで眺めていると、頬に冷たい感触が伝わってきた。


 くそっ! また雪かよ! この糞寒いのに勘弁してくれ。


 バレンタインデイを明日に控えた現在は、まさにチョコの売り時なのだが、こごえそうな想いで売る側の気にもなって欲しい。


 チラチラと舞い降りる雪に、綺麗などという感想すら持てずに首をすぼめていると、聞き慣れた声が届いた。


「お兄ちゃん、さぼっちゃダメだよ」


 そう口にしつつ笑顔で駆け寄ってくるのは、去年のクリスマスから家族となって一つ屋根の下で暮らし始めた伊織だった。


 ただ、家族になってといっても、俺の妻になった訳では無い。

 この超絶に可愛い少女は、何を隠そう俺の腹違いの妹だったのだ。

 その衝撃たるや、そのあと三日間ほど寝込む程だった。

 というのも、初めて伊織に出会ったのはクリスマスイブの時だったのだが、その時に一目惚れしてしまったからだ。

 ところが、めちゃめちゃ可愛い少女と知り合えて、今世紀最大の幸せを感じていたのに、バカ親父おやじからの伊織が俺の妹だという信じられない言葉で打ちのめされたのだ。


 クリスマス事件を思い起こしながら、伊織が妹であった事をなげいていると、今度はやや年配の女性から声が掛かった。


「一道君も大変ね。期末試験の勉強もあるのに身内の手伝いなんて」


 その齢はかさみつつも、輝くような美しさを持つ女性は伊織の母のみどりであり、バカ親父の後妻でもある。いや、今や俺の母となっているのだ。


 クリスマスの日に我が家へと訪れた伊織と彼女は、親父から決定事項として紹介されたのだ。

 実は、その事にいきどおりを感じていなくも無い。

 何故なら、親父とは独り者同士だと感じていた事から、同士ではなく同志のように想っていたからだ。

 それが、実は仕事が忙しい振りをして、この女性と逢引あいびきをしていたと聞かされたら、誰でも腹にえかねる事だろう。

 更には、腹違いの妹は俺と三歳違いであり、逆算すると俺の母親が他界して一年も経たずに仕込んでいた事になる。

 それは流石に、俺の母親......前妻に対しての背徳行為だと言えるだろう。

 故に、あれから親父とは口を利いていないのだが、流石に後妻として遣って来た彼女達へ冷たく当たるのは間違えだと感じている。

 したがって、彼女達とは普通に接しているのだが、伊織は普通以上に甘えてくるのだ。

 それは、まさに子猫がジャレつくかのような甘えっぷりだった。


「いえ、恒例行事なので、もう慣れてます」


 二カ月前から母となった碧さんにそう返すと、彼女は少し何かを気にしたようだったが、その悲し気な表情を直ぐに笑顔に戻すと優しく話し掛けてきた。


「今日はお鍋にするから、早く帰ってくるのよ」


「そうだよ。みんなで温かいお鍋を食べようね。だから寄り道なんてしちゃだめだよ」


 碧さんの言葉に続き、伊織が俺にすがり付きつつ訴え掛けてきた。


「ああ、分ってる。別に寄るところもないから真っ直ぐ帰るぞ」


「やった! お母さん。あたし、カニがいいな~」


「はいはい。カニね。一道君は何がいい?」


「お、俺は......何でも好きですよ」


「そう......じゃ、あまり邪魔をしちゃ悪いから行きましょうか」


 俺の返事に碧さんは少し寂しそうにしたが、伊織と共に買い物へと向かった。


 別に碧さんが悪い訳では無いのだが、未だにどう接したら良いのか解らず、彼女に寂しそうな表情を作らせてしまう。

 罪悪感を持ちながらも対処方法も解らず、俺も頭を抱えているのだ。


 そんな思考に頭をもたげていると、周囲もすっかり暗くなり、チラついていた雪が本格的に振り始める。

 すると、呑気のんきに行き交いしていた人々の脚も急速に動き始める。


 どうやら、今日はこれで終わりのようだな。


 閑散かんさんとし始めた通りに視線を向けつつ、そろそろ店じまいだろうと考えていると、どこからき出したのか、突然目の前にマッチョの爺さんが現れたのだった。







 目の前に立つマッチョの爺さんは、雪の降るこの糞寒い野外にもかかわらず、何故かビキニパンツ一丁の姿だった。


 デジャヴだ......これは、マッチョサンタではないのか? いや、パンツの色が紅白じゃない......別人なのか? いやいや、それにしても似すぎている......


 その異常......いや、変質者の登場に驚いていると、マッチョのジジイが筋肉をピクピクさせながら大きな声で話し掛けてきた。


「おお! ワシ好みの若者よ! お前さえ良ければ、そこに並ぶチョコを全てお前に送ってもよいぞ」


 お巡りさ~~ん! ここです! ここに変態がいますよ! 早く捕まえて下さい!


 必死に助けを求めるが、その救いを求める言葉が肉声にならず、誰もが素知らぬ顔で通り過ぎていく。


 てか、チョコなんて要らんから、早く消えてくれ! お願いだから消えてくれ!


 悲鳴とも呼べそうな声でそう叫んだつもりなのだが、それは身の内から外に飛び出す事は無かった。


 ヤバイ! このままだと俺の人生が終わるような気がする......


 絶体絶命のピンチを感じている俺に、天は助けを寄こしてくれた。

 そう、白いチャリに乗った二人のお巡りさんが通り掛かったのだ。


 その姿をまさに白馬の王子に感じた俺は、慌てて手を振りながら絞り出すように声を上げた。


「お、お巡りさ~~~ん! ここです! ここに変質者が!」


 その悲鳴のような声は、間違いなくお巡りさんの正義感に届いたのだろう。

 二台の白い自転車は、白馬がいななく代わりにキーっというブレーキ音を鳴らしながら停止すると、それにまたがっていた正義の使者が透かさず駆けつけてくれた。


「ちょっと、あんた、なんて格好をしてるんだ。ここは公衆の面前だと分かっているのか」


「あ、あ~、不審人物を発見した。場所は――」


 一人の警官が裸マッチョジジイに詰め寄ると、もう一人の警官が無線で何処かへ連絡している。


 よっしゃ~~! 助かった~~~! 何だかんだ言っても、お巡りさんは弱き者の味方なんだな。


 心強い味方の登場に、思わず安堵の息を漏らしたのだが、次の瞬間、その状況が一変する。


「失礼しました。それでは自分達は警らに戻ります」


 何が如何なったのか、職務質問していた筈の警官が裸マッチョジジイに直立不動で敬礼したかと思うと、そそくさと自転車へと戻っていく。


「あ~あ~、先程の報告は誤りでした。何も起きてません」


 無線連絡していた警官も直立不動で敬礼しつつ、本部にそう連絡するとワタワタと自転車にまたがる。


 そうして、二人のお巡りさんは脱兎だっとごとくその場から消えて無くなってしまった。

 そう、まるで俺の妄想のように消えて無くなったのだ。


「ちょっ、ちょっと! お巡りさ~~~ん! お~~い!」


 おいおいおい! この国の法はどうなってるんだ! なんでこんな変質者を残して逃げ出すんだよぉ~! おいっ! 待ってくれよ~!


 国家権力の無力さを噛み締めながら、必死に戻るようにと手を振るのだが、その頃には通りの角を曲がって見えなくなっていた。


 や、ヤバイ! これはマックスピンチだ! 守るべき区民を見捨てて正義の使者すら逃げ出したぞ。残るは自衛隊しか望みがないのだが......来る訳も無いよな......


 絶望という二文字を脳裏に浮かべつつ、まるでへびにらまれたカエルのように怯えていると、裸マッチョジジイが詰め寄ってきた。


「さあ~、ワシのモノになるのじゃ」


 いや、なんね~って! 唯でさえ男色の気すらないのに......してやジジイなんて嫌だ!


 最早、チョコを売る処の話では無い。それ処か、こちらが甘いチョコのように頂かれそうな状況だ。


 これは妄想でありますように......


 こんな妄想をする筈も無いのだが、夢であって欲しいと願いつつまぶたを閉じる。そして、再び瞼をゆっくり開くと、そこには裸マッチョジジイの顔がドアップで迫っていた。


 もうダメ......俺、終わったわ......伊織......ごめん......お兄ちゃんは終わったぞ......


 走馬灯そうまとうのように伊織との楽しかった出来事を思い浮かべ、今生の別れを告げた時、俺の前に救いの女神が降臨したのだった。







 その声は透き通るような綺麗な声だった。

 ただ、それだけなら驚く事も無かったのだが、その声は何処かで耳にしたことのある音色だった。


「お、おじいちゃん何してるの! こんな公衆の面前で......なんて格好......って、ゆ、夢野くん......」


 その裸マッチョジジイをたしなめた声は、クラスの同級生のものだった。

 それも、驚くことに我が校のマドンナとも呼べる女生徒......天川春奈のものだったのだ。


 お、おじいちゃん? えっ、今、おじいちゃんって言ったのか? なに~~~~!


 遅ればせながら、彼女の台詞を思い起こし、その内容を理解して絶句する。


 ちょっとまてや~~~! この裸マッチョの遺伝子が天川に受け継がれてるのか? いや、天川ならビキニパンツ一丁でもカモ~~ンだ!


 なんて、よこしまな事を考えていると、裸マッチョに頭を鷲掴わしづかみにされてしまった。


「よもや我が孫に邪な事を考えては居るまいな!」


 返事をしようにも頷く事もできなければ声も出せずにいると、天川が大きな声で裸マッチョジジイをしかり付けた。


「いい加減にしなさい! そんな事をしてるとおばあちゃんに言い付けるわよ」


 沢山の服を抱えた天川の声に、裸マッチョジジイの力が抜て解放されると、俺は力無く地面に座り込む。


 に、人間の握力とは......腕力とは思えん......こ、こいつは、本当に人間か? 実はターミ〇ーターだろ!


 息を荒くしながらそんな事を考えていると、衣服を放り出した天川が透かさずそばに遣ってきた。


「だ、大丈夫? 夢野くん......ごめんなさい。おじいちゃんが......」


 彼女は俺の前にひざまずき、必死になって謝ってくる。


 そんな天川を朦朧もうろうとした意識のまま、信じられない思いで見詰めていると、裸マッチョジジイが怒りの声を上げてきた。


「我が孫が謝罪しておるに、無反応とは大した根性じゃ」


 今にも襲い掛からん勢いで、そうわめくジジイに対して、その綺麗な顔を般若へと変化させた天川が逆襲する。


「おじいちゃんは早く服を着なさい。それともう帰って! 早く! おばあちゃんに電話するわよ!」


「じゃ、じゃが......」


「ジャガもポテトもないの! 早くして! おばあちゃん。あのね。おじいちゃんが......」


「春奈のバカーーーーーーーーー!」


 天川が物凄い剣幕でオヤジネタをぶちかまし、透かさずポケットから取り出した可愛いデコスマホでおばあちゃんと会話を始めると、ジジイはスゴスゴと衣服を拾うとわめき声を上げつつ一目散に走り去っていった。


 おいおい! ジジイがやっても気持ち悪いだけだっつ~の! てか、どんだけ嫁が怖いんだ?


 恐ろしい程の速度で走り去る裸マッチョジジイの姿を眺めていると、今度は店の方から声が掛かった。


「一道、何やってんだ? 騒がしいぞ!」


 いやいや、おじさん、遅いから......もっと早く出て来いよ......


 叔父の言葉に答える事無く心中で苦言を漏らしていると、何を勘違いしたのかニヤニヤとした表情を浮かべてベラベラと話し始めた。


「おおっ! 一道の彼女か!? めちゃくちゃ別嬪べっぴんじゃね~か。憎いね~この野郎! 今日はもういいぞ。二人でイチャイチャしてこい」


 この叔父の能天気さもいささか不安になって来るのだが、それよりも早く誤解を解かないと天川に失礼だと感じた俺は、透かさず口を開くのだが......


「ち、違うんだ。何を「こんばんは。初めまして、天川春奈といいます」」


 慌てて勘違いしてる叔父の誤解を解こうとした処に、天川が被せて挨拶をしてきた。


「天川春奈っていうのか。良い名前だね~! こいつは口は悪いが気の良い奴だから、末永く宜しくな」


「だから、ちげ~「はい! 宜しくお願いします」」


 更に誤解を深める叔父に対して、それを解くべく口を開くのだが、再び天川にさえぎられてしまった。


 おいおい! 天川、如何いうつもりだ?


 彼女の不可解な言動に疑問を持つのだが、にこやかな表情を絶やさない叔父から仕事を上がって良いと言われているのだ。それを断る理由はない。


 結局、叔父の気分が変わる前に撤収てっしゅうすべく、誤解を解く事を諦めてそそくさと帰り支度を始めるのだった。







 やや派手な部屋には大きなベッドが所狭ところせましと置かれ、その向こうではスケスケのガラスだけで遮られた些か品の無いバスルームに湯気が立ち込めていた。


 うわ~、あのガラス一枚向こうには裸の天川がいるのか......やべ~、鼻血が出そうだ......


 二人だけの密室、彼女はバスルームで身体を清め、俺は大きなベッドの上で性欲を高めている。


 まるで、夢のようだ......あの我が校のマドンナと親密な関係になるなんて......いいのか? やっちゃうぞ? 本当にやっちゃうからな?


 脳裏に浮かんだ伊織に対して、少しだけ罪悪感を抱きながらも、俺は高鳴る胸を抑えつける。

 すると、バスルームの扉が開き、バスタオルを身体に巻いた天川がこちらに遣ってくる。


「そ、そんなにジロジロ見ちゃだめ。恥ずかしいんだから......」


「ご、ごめん」


「謝らなくてもいいのよ。それよりも、夢野くんも脱いで」


「あ、ああ」


 彼女にうながされるままに衣服を脱ぎ始めると、彼女が俺の名前を何度も呼び始める。


「ゆ、夢野くん! 夢野くん! 夢野くん!」


「ん?」


「なんで、急に服を脱ぎ始めるの? 風邪をひくよ? それに何処でも脱ぐのはおじいちゃんだけで沢山だから......」


 彼女の少し恥ずかしそうな声で我に返ると、明るいボックス席で己の服を脱ぎ始めた処だった。


 やっべ~~~! 本人を目の前にして妄想してたぞ......ヤバイな末期かも......でも、幸せな一時だった......てか、危うく裸マッチョジジイと同類になる処だった......


 そう、ここは駅前にあるファミレスの一席だ。

 叔父のケーキ屋から近いという理由だけでここに入ったのだ。

 というのも、彼女がどうしても穴埋めをしたいということで訪れたのだが、俺の脳は少しばかりせっかちなのか、別の穴埋めに向かっていたようだ。


「本当にごめんなさい......塾の帰りにおじいちゃんらしき人影を見付けたから、その後を追ってみたら......」


「い、いや、もういいんだ。それよりも、天川の爺ちゃん元気過ぎだろ」


「うぐっ......うちの家も困ってるの......」


 平謝りしてくる天川に謝罪を受け入れたことを伝え、裸マッチョジジイについて触れると、彼女は恥ずかしそうな表情で事情を説明し始めた。


 彼女の話によると、天川の爺ちゃんは有名な柔道家らしく、警察でも柔道を教えているらしい。

 オマケに警視総監なども弟子らしく、天川の爺ちゃんに頭が上がらないとこ事だった。


 なるほど、その所為でお巡りさんが逃げ出したのか......てか、どうなってるんだこの国の警察は! 治安は誰が守るんだ?


 思わず国家権力に不信感を抱くのだが、それは置いておくとして、彼女はこの近くの塾に通っているらしく、それが終わって家に帰ろうとしたところで怪しい人物......己の祖父を見付けたらしい。

 故に、その後を付けたところ、行き成り服を脱ぎ始めた祖父に絶句していると、物凄い勢いで駆けだした祖父の行方を見失ったとの事だった。

 その後、必死になってやっと祖父を見付けたと思ったら、それが俺の前だったという事らしいのだが、俺としてはもっと気になる事がある。


「なあ、実はクリスマスにも我が家に侵入してたんだが......なんでウチなんだ?」


 今回に限らず、クリスマスもそうだ。何故か決め打ちのように俺に絡んできている。

 その事が不思議で率直に尋ねてみたのだが、彼女は顔を赤くしたかと思うとうつむけてしまった。


 その行動を怪訝けげんに思い、俺も首を傾げてしまったのだが、次の瞬間、ドンドンという音が近付いてきたかと思うと、大きな声で俺をののしり始めた。


「お兄ちゃん! 帰りが遅いと思ったら、こんな処で道草なんて......なんて......なんで、女の人と一緒に居るの?」


 そう、怒りの足音を響かせてきたのは、我が家の超絶可愛い妹......今は怒れる妹、伊織だった。


 彼女は憤りを露わにしていたのだが、天川の存在に気付くとその表情を怒りから凍り付くようなものに変え、冷たい視線で俺を突き刺してきた。


「どういうこと? 真っ直ぐ帰るって言ったよね? こんなところでよこしまな臭いをさせる女と逢引あいびきなんて......天が許してもあたしが許さないわ」


 すると、伊織の物言いに、呆気に取られていた天川が声をあげた。


「あの~。この子は誰? お兄ちゃんって言ってたけど、夢野くんって一人っ子よね?」


 確かに一人っ子なのだが......なんで天川がそんな事を知ってるんだ?


 彼女の問いに疑問を感じていると、伊織は何を考えたのか俺の隣に腰を下ろすと、その胸を俺の腕に押し付けるように抱き付いてきた。


「あたしは夢野伊織よ。お兄ちゃんの最愛の妹よ。あなたこそ誰?」


 伊織は恥ずかしがることも無く恥ずかしい自己紹介をすると、天川に対して誰何の声を上げた。


「最愛、最愛、最愛......不潔だわ。夢野くん! 兄妹でそんな関係を持つなんて......夢野くんのバカ!」


 彼女はそういうと、涙を零しつつ走り去ってしまったのだった。







 結局、伊織に抱き付かれたままの俺は、天川を追う事すら出来なかった。

 それで気を良くした伊織は、俺の腕に抱き付いたまま鼻歌混じりで家まで帰ったのだが、俺の心は天川に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

 そんな俺には気になる事があった。

 故に、食事の最中も風呂に入っている時も、その事ばかり考えていた。

 そう、それは彼女の言動だ。

 あの彼女の取り乱しようからすると、まるで俺に気があるように感じるのだ。


 てか、まさかな......


 風呂上がりにベットへと転がり、気のせいだという結論に達した俺は、伊織の言葉を思い起こす。


 そう、家に帰るなり伊織に嫌というほどお説教をされ、自分以外の女は絶対に許さんと言われてしまったのだ。

 本来なら嬉しい出来事である筈なのだが、その申し出が実の妹となれば話は別だ。

 どれだけ愛し合おうと、禁断の恋にしかならないのだから。

 そういう意味では、俺の精神はノーマルであり、妹としては可愛くても、伊織を我物にしようという想いは無かった。


 いや、変な虫が寄ってきたら回し蹴りをお見舞いしてやるけどな。


 さて、そんな伊織なのだが、何を考えたのか寝る時間になると、枕を持って俺のベッドに潜り込んできた。それも、上だけパジャマ姿でだ


 お~~い! 可愛いパンツを穿いているとはいえ、流石に兄妹でもそれは拙いぞ! てか、その姿は寒いだろ......


 声にならない苦言を申し立ててみたのだが、当然ながらそれが伊織の耳に入る事も無く、彼女は嬉しそうに抱き付いてきた。


 その温もりと柔らかさが嬉しくもあり、はたまた恥ずかしくもあり、更には下の階から親父と碧さんの仲睦なかむつまじきあえぎ声が聞こえてくるとなると、俺の自制心も限界を超えそうだった。


 くそっ! なんて薄い床なんだ......バカ親父! 家を買うならもっと遮音性しゃおんせいのある家にしろ! てか、息子に聞かれて恥ずかしくないのか!


 臨界点りんかいてんを突破しそうな心を抑え込むために、結局は心中でバカ親父に罵り声を上げ続けることで、何とか一線を守り切った。



 そんな事情もあって、俺が眠りに落ちたのは、きっと鶏が起き始めようかという頃合いだったろう。

 という訳で、睡眠時間が足らない筈の俺の耳に、何故か戸を叩くような音が聞こえてきた。

 その音に意識を覚醒させられた俺が、胸近くに押し付けられる伊織の胸の柔らかさ、それどころか太ももに伝わってくる下半身の温かさにドギマギしつつ頭を起すと、そこには何故か天川が立っていた。


 おいおい! 朝から妄想全開かよ......てか、意識せずに妄想に入り込むとは、俺の能力も尋常ならざるものになってきたな......


 抑々、天川が俺の部屋に居る筈がない。そう考えてこの状況が妄想であると決めつけた。


 そんな妄想の産物である天川は、少し俯いたまま言葉を発した。


「き、昨日はごめんなさい。あんな事を言うつもりじゃないかったの。ちょっと、気が動転してしまって......」


「いや、いいんだ。伊織の物言いも誤解を招く内容だったしな」


 謝ってくる天川にそういうと、彼女は安堵したようにホッと一息いて再び話し始めた。


「そうよね。兄妹でそんな関係なんてないよね。あのね......おじいちゃんが夢野くんを狙い撃ちしている件だけど......」


 ん? 妄想にしては......でも、彼女がウチに居るはずないし......


 その辺りで妄想にしてはおかしいと思い始め、俺は慌てて瞼を閉じて再び開く。

 ところが、天川は消えてなくなる事は無かった。


 えっ!? 妄想じゃないのか? じゃぁ、なんで、ここに天川が居るんだ?


 ゆっくりと、視線を天川から部屋のドアへと移すと、そこには少しだけ開けられたドアの隙間から四つの楽しそうな瞳が覗いていた。


 おいおいおい! バカ親父! 碧さん! なんてことをしてくれたんだ!


 事情は分からない。しかし、恐らくウチに来た天川さんを親父と碧さんが部屋へ通したのだろう。


 ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ! ここで伊織が起きてきたら間違いなく大惨事だ。


 そんな訳で、天川は決意の表情で裸マッチョジジイが俺の決め打ちしていた理由を説明しているのだが、俺の心はここにあらずといった状況だ。

 故に、彼女の話は耳に入れども、その半分も頭に入っていない。


「だから、私の部屋で夢野くんの写真を見て、おじいちゃんが必死に阻止しようとしてたの」


 何を阻止してたんだ? てか、写真ってなんだ?


 天川の話を全く理解できていない俺は首を傾げていたのだが、それに気付かない彼女は後ろ手にしていた物を前に突き出して告げてきた。


「夢野くん、これ、私の気持ちです。受け取ってください」


 そこに突き出されたのは、赤いリボンが付けられた黒い包みに包まれた品だった。


 も、もしかして、これってチョコか? 人生初のバレンタインチョコか? いいのか? 貰ってもいいのか? てか、義理だよな? だって、天川が俺にチョコなんて......


 彼女の差し出した黒い箱を見詰めながら気を動転させていると、彼女の表情が一気に暗くなっていく。


「や、やっぱり、ダメなのかな? あんなおじいちゃん持ちだし......あんなに可愛い妹さんに愛されているし......」


 どうやら、この状況を未だに理解できていない俺が声すら出せずにいる所為で、彼女はそれを拒否だと感じたようだ。


 そう感じた俺は、慌てて彼女に告げる。


「い、いや、全然ダメじゃない。嬉しいぞ。嬉しいんだ。ただ驚いていただけなんだ。俺なんかが天川に好かれる筈がないって思ってたから......」


 その言葉を耳にした彼女は、その綺麗な瞳に嬉し涙を浮かべて首を横に振る。


「そ、そんな事無いよ。夢野くん、かっこいいし......あの、大好きです」


 ぐあっ! 我が校一の美少女に好きだと言われてしまった。マジか! これはモテ期到来か? 妄想じゃないよな? 瞬きしても消えない......よっしゃ~~~~~~! 俺にもついに春が来たぞーーーーーー!


「お、俺も天川のことが「だめ~~~! 駄目に決まってるじゃん! お兄ちゃんは絶対にあげないからね!」」


 そう、残念ながら妄想では無かった。それこそ、妄想だったら良かったのにと、どれほど考えたことか......


 いつの間にか、パンツ一丁になっていた伊織が布団を勢いよく引き剥がして立ち上がったかと思うと、ズンズンと天川の前まで進み出て断言したのだ。


「お兄ちゃんはあたしの旦那様になるの! 申し訳ないけど、あなたの願いを聞き入れる事は出来ないの!」


「えっ!? えっ!? なんで一緒に寝てるの? それも裸で......こんな幼い子と......」


 パンツ一丁の伊織の宣言を聞いた天川は、その状況を理解できないのか、うわ言のように何かを呟いている。


「ち、違うんだ。これは伊織が潜り込んできただけで、ふしだらな行為なんて微塵みじんも無いんだ」


 そんな天川へ必死で弁解を試みたのだが、彼女は何を考えたのかその表情を般若に変えたかと思うと、恐ろしい程の勢いで両手に持つ黒い箱を俺の顔へと投げつけてきた。


「夢野くんのバカ! スケベ! 淫乱いんらん! スケコマシ! 大っ嫌い!」


 見事に命中したチョコレートの箱で天川の顔は見えなくなったが、俺を罵る声とその後に扉を勢いよく締める音が聞こえてきた。


 あ~、俺の初彼女が......これが妄想の産物ならよかったのに......現実とはなんて世知辛いんだ......


 この最悪の状態に項垂れた俺は、床に転がる黒い箱を眺めつつ絶望に暮れていたのだが、オッパイ丸出しの伊織に抱き付かれる。


「お兄ちゃん。浮気はダメよ! あたしが居るのに他の女なんて絶対に許さないからね」


 おいおい、兄妹は結婚できないって知ってるよな?


 思わず、胸を押し付ける伊織にそう言おうとしたのだが、別の声に遮られる。


「きゃは! これはお赤飯よね。やった~!」


 おいおいおい! 碧さん! あんたまで何を言ってるんだ? それにその物言いは四十過ぎの女性のものじゃないよな?


 大はしゃぎで喜ぶ義理の母に苦言を申し立てようとしたのだが、今度はバカ親父がアホな事を抜かしやがった。


「一道、男としての責任は取るんだろうな」


 おいおいおい! お前は父親としての責任をどう取るつもりだ?


 バカ親父をぶん殴りたい気分になったのだが、更に伊織がダメ押しをしてきた。


「これで公認のカップルだね」


 伊織はそう言って俺に口付けをしてくる。

 それを止める気力も既に無く、彼女の熱い想いを受け取る事になる。


 こうして俺の初めてのバレンタインチョコは顔面にぶつけられ、初めての彼女誕生の夢は、伊織の鉄壁の守りではかなく消えていくのだった。


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