傭兵な日々

7−1「大人しく奢られてください」

 成り行きであったとはいえ、大胆な行動をしたものである。落ち着いてからこれまでのことを省みて、エリスは内心で驚いた。


「んー、日替わり定食にしようかな。あと紅茶で。エリスは?」

「……え? じゃあ私も同じでお願いします」


 メニューの書いてある方を眺めはしたものの、何にしようかなど一切考えていなかった。注文を聞いた無愛想な店主が返事もせずに調理を始める。少々汚れの目立つせせこましい店内に他の客は見当たらない。カウンター席に座って隣に目を向ければ、曖昧な表情のクロが店主の手さばきを食い入るように見つめていた。


 何でこんな事に。


 傭兵団朝霧の一員として日々雑用をこなしているエリスは、今日も諸用を片付けるために傭兵溜まりを歩き回っていた。その道中、荷車に食料らしきものを大量に積み込んでいる一団の横を通りがかった時、たまたまクロの姿を見つけてしまったのである。


 仕事中で忙しそうなので、一旦様子を見るべきか。そのような当たり前の考えに至る間もなく、衝動的に声を掛けてしまった末の状況であった。


「呼び止めてしまってごめんなさい。また迷惑をかけてしまいました」

「大丈夫だって。皆送り出してくれたんだから、それを後でとやかく言われることはないよ。多分相方が頑張ってくれるだろうし、エリスが謝ることはないから」


 エリスの謝罪に対し、クロは向き直ってから穏やかな声色で制した。


「というか僕、名乗った覚えはないんだけど。やっぱり?」

「はい、それはもう話題になってましたよ。もう2、3ヶ月前ですが、ゼンツクに強いのが入ったって、顔付きで。知名度で言えばそちらの団長さんと同じぐらいになったと思います。自覚ありますよね?」

「うん、でも団の人以外に直接聞いたことなかったから。そっか」


 エリスが初めてこのことを知ったのは、道行く傭兵の雑談をたまたま耳にしたからであった。すれ違いざま、紙面からのぞくクロ・リースの名前とその顔が目に入った時の衝撃は記憶に新しい。


 そのような事もあってか、軽率な行動を起こしてしまったのは、いくつか重なった偶然に特別な意味を見出してしまっているからだろう。あまり褒めらたことではない。自らの状態をそう分析したエリスはクロに対し、心理的な壁を一枚隔てることを意識していた。


「見られるのが嫌なら、変装でもしたらどうですか?」

「それは別にいいかな。ボス……えっとウチの団長もそうらしいんだけど、どうにも舐められやすくてね。傭兵溜まりに出てきて変なのに絡まれるぐらいなら、遠巻きに睨まれてる方がいいのかなって」


 そう言ってからクロは小さく笑った。エリスも釣られてひとつ息を吐く。


 色あせてはいない、あの時のままだ。


 クロと出会ったのは3ヶ月以上前。最初見た時傭兵かどうか判断しかねたのは、何も見ず知らずの人間を助ける行動を取ったからではない。負の終着点ともいえる傭兵溜まりに希望をも感じさせる瞳の輝きを宿したクロは、エリスから見てあまりにも異質な存在として映った。そこから恐らく3つ4つの戦場には赴いているはずだ。クロの実力であれば、何人も殺しているだろう。それにも関わらず、この微笑んだ双眼は何一つ変わることなく澄み渡っている。


「あの、図々しいことは承知してますが、相談に乗ってもらえませんか?」

「僕に? わかった、いいよ」

「実は……今度跳甲機に乗ることになりました」

「ホントに! 良かったね。このチャンスをものにすれば、晴れて駆人デビューって感じなのかな」

「そんなところです。なので技術的なことはともかくとして、心構えなどを教えてもらえますか?」


 朝霧はエリスを含めて6人しかいない小さな傭兵団だ。最近2人しかいない駆人の1人が怪我をして機体に乗れなくなってしまい、整備士などの大きな役割を担っていない才能未知数のエリスに白羽の矢が立ったのである。


「団の人達には聞かなかったの?」

「勿論聞きました。ですがなんというか、皆の答えは飄々としていて、まだ覚悟もろくに整ってない私にはいまいちピンときませんでした」

「うーん……なるほど。じゃあ僕のもその人達と同じようなもんかもね。“よく食べて体を鍛え、そしてよく眠ってください”」


 クロは途中で声色を変えて、誰かの真似をしているかのように言った。


「はい?」

「心構えっていうか、気の持ちようは昔から言われているんだけど、とても難しい問題なんだ。例えば、統治組織直属の駆人がいたとします。彼はシミュレーションでいつもトップの成績を出していました。ただし実戦経験はありません。そんな彼は初めて防衛戦に出撃しましたが、大した戦果も出せずに呆気なく死んでしまいました。さて、どうしてだと思う?」

「初めてで緊張して操縦が覚束なかったから、ですか」

「うん、それが正解かもしれない。でも実は精神状態良好だったけど足が攣ったとか、システムが急にバグったとか、あまつさえ流れ弾1発が致命傷になったとか、そういうこともあり得るよね」

「……はい」


 一応相槌は打ってみたが、この返答が何を意図しているのかわからない。話が逸れてしまったのではないだろうか。とはいえ、エリスは傭兵歴の長い周りの達観した意見ばかりを聞いてきたので、クロの話はとても新鮮さを覚える。


「これもいまいちだったかな? ごめんごめん。要はね、戦場で数回は生き残れた僕でも、これから初めて跳甲機に乗るエリスでも、落ちる時は落ちるってこと。だから覚悟を決めてようがいまいが不安だし緊張もする。動揺や迷いだったら何とかできることもあるけど、不安を薄めるにはとにかく慣れるしかない。こればっかりは出てみないとわからないから。そんなことは考えるな、っていう旨を団の人達は言っていたんだと思うよ」


 エリスは団員達の主張を振り返る。その解釈を挟めば、クロの言ったとおりな気がしなくもない。クロの助言である飯食って寝ろも同じことだ。


「僕個人としての意見だけど、戦場では必ずと言っていいほどどこかでネガティブな思考に囚われてしまう。だけどそこで絶対に生き残ってやろう、失敗したからその分を取り戻そうとは考えない方がいいと思うな。なかなか難しいけどね。ただ流されるままに戦えたら最高だよ。……だから殺意が足りてないとか言われるけど」

「殺意?」

「ああ、こっちの話だから気にしないで。あと、流石にエリス一人では出撃しないよね? だったら共闘する人を頼るといい。任せるんじゃなくて頼る。操縦センスが絶望的とかじゃあなければ、大抵これくらいでなんとかなるよ。負けても死ぬとは限らないしね。偉そうに長々とごめん」

「いえ、とても参考になりました。相談して正解でした」

「なら良かった」


 そうして早めの昼食を食べ、激闘の末にクロが食事の代金を支払って店を出た。クロとの会話で色々と思うところがあり、あれこれ考えていたので、定食の味はあまり思い出せないが、とりあえず食後に飲んだ紅茶は美味しかった。傭兵溜まりの細い路地、二人は店の軒先で向かい合う。


「ご馳走様でした。次は助けてもらった件と今回相談に乗ってもらった件、2つのお礼を兼ねますから、大人しく奢られてください」

「んー、場合によるかも」

「本気で言ってます?」

「……了解しました」

「では、またお願いします」

「それじゃあ、気をつけてね」


 クロの潔い返事を聞いて、エリスは軽く手を上げてから反対に歩き始めた。路地を出る時に店の方を見るも、既にクロの姿はなかった。慌てて仕事に戻ったのだろうか、もしそうなら本当に申し訳ないことをしたものである。何度も反省したことをもう一度心に留めてから、通りをゆっくりと進みだした。

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