広がりゆく世界

6−1「忠告なんぞ10年早ぇぜ」

『ほう、デレクタブルはようやっと復興計画が動き出したのか』

『まあね、1年も放置しっ放しだったから掃除も大変だったとかって——』


 絢爛けんらんな装飾の施された照明の下、赤を基調とした厳かな雰囲気漂う室内にはひどくノイズの混じった通信が届いている。これまた豪華で大きな椅子に腰掛ける武柴ぶしばは一人、寝酒のグラスを持って氷を回しながら、つい先程始まった会話について静観を貫いていた。しかしどうにも話が頭に入ってこない。それもそのはずで、武柴の思考は全く違うことへと注がれていた。


 最近娘の元気がない。


 死線を何度かくぐり抜けてきた娘は、それでも生き生きとしていたはずだった。それが先日、中央で久しぶりに会ってみればどうしたものか。一見これまでと変わらないように振舞ってはいるが、誰よりも長く娘を見てきた武柴には一目瞭然であった。それが気になって気になって仕方がない。


 理由を聞けば答えてくれるだろう。しかしそれが何になるというのだ。軍事しかわからぬ己とは違い、あの子は賢い。相談に乗ってどうにかなるのであれば、とっくに解決していることだ。それに娘とはいえ、もう立派な大人である。決してそんな子ではないが、積極的に構い過ぎて嫌がられることだけは絶対に避けたい。


 全く、どうしてくれようか。


 何かを導くわけでもなく、いたずらに頭を回転させてこのことばかりを考えてしまう。またしても思案の沼にはまりかけていた武柴は戒めの念を持って、とにかく通信に集中するように努めた。


『ケッ、その町を壊滅させる作戦を指揮した奴がよく言うぜ』

『侵攻作戦でカルト宗教組織に手こずってるあなた方南部とは違って、西部は現状の統治守護を任されている。西の大征伐ではその任をまっとうしたまでだよ』

『どうせ自作自演だろうが』

『そういった発言を憶測でしてしまうのは将軍としてどうなのかな。大勢の部下を持つ責任ある立場なんだ、気をつけた方がいいよ』

『忠告なんぞ10年早ぇぜ。それに今はただの帝国民だ。全てはここだけの話、気にするな。証拠も絶対出ねぇんだろ? ぶっちゃけちまえ』

『……今回は遠慮させてもらうよ』


 西の大征伐といえば、最も情勢の安定していた西部で初めて起こった大規模な戦争だ。街が発展することで独立を求める動きが強くなってきており、近々戦争になると武柴もこの場で聞かされていた。とはいえ戦力の差は歴然、負けることはわかっていたはずである。故に気になって戦後独自に調査したところ、西部担当軍がデレクダブルに工作員を送り込んで開戦を煽る計画があったことまでは判明した。しかし、どうしても確証に足る証拠は得られなかったのだ。


 本来守るべき領地に手の込んだ工作まで仕掛け、大義名分を掲げて自らの手で滅ぼす。確実に危険を排除する方法のひとつであることには違いないが、この戦争で犠牲になったものはあまりにも大きかった。


 だからこそ、そんな作戦を主導した狡猾な男の下にいる娘が心配でならない。いらぬ戦に駆り出されでもしないだろうか。もし他の地に配属されるとしても、小勢力同士の陣取りが延々と繰り返される東部、大統治組織と戦争状態が続いている南部、企業や権力者の欲望ひしめく中央帝都、と何かしらの不安要素はある。結局は父の下、北部にいるのが安全なのだ。


 いかん、また娘のことだ。


 武柴は考えをかき消すように慌ててグラスをあおった。


『まぁ、その件はよいではないか。して、わざわざデレクタブルの話題を挙げたのには訳があろう?』

『そうだったそうだった。復興を任せたのが甘い組ってとこなんだけど、自分たちじゃ手に負えないって掃除の依頼を出してね。ウチも無関係ではないし、この戦闘には人員を回して一部始終を見張らせていたんだよ。それがなかなかに面白い報告だった』

『あんな立派な市街地でやり合うことなんかそうそうねぇからな。傭兵同士じゃさぞかし酷い戦いだったろ』

『残念ながらハズレだよ、事前の仕込みと駆人の腕もあって完全なワンサイドゲームね。ゼンツクという傭兵団がこれを果たした』

『聞いたことねぇな』

『データベースに名前が存在しています。傭兵団ゼンツク、主な活動地は西部、団長の名はメイカ、推定戦力は2機です』

『小規模よな。しかし名前が載っとるからにはやりおるのだろう』

『所詮は西の傭兵だがな。あっちの方は随分お利口さんな輩が多いと聞くぜ』

『どうでもいいよ。それよりも、気になる名前を聞いてね。……クロ・リース、知ってるよね?』

『はて、誰だったか』


 クロ、その名は当然知っている。忘れるはずもない。一時だけ軍学校で教官をしていた娘の唯一の教え子だ。そういえば、娘と比較的近い関係の人物であるのに、名前を聞くまですっかり記憶から抜け落ちていた。


『おいおい、ついに引退も近いか? 例の事件に巻き込まれて戦ったっていう学生だぜ。演習に出た学生の生き残りはそいつだけで、報道もされちまっただろ』

『そう、その彼がゼンツクの駆人として戦っていてね。師が彼女だけあって結構やるらしい』


 その時グラスの中の氷が溶けて崩れ、心地よい音を響かせた。


 まさか。


 武柴の脳裏にある考えがよぎった。もしそれが事実であれば、かつてない程に頭を抱えている原因の一部が解消される。しかし同時に、父親として娘に無責任な言葉をかけてやるくらいしかできないということでもあった。これはまだ仮定の話だ。


『ほお、軍人くずれの傭兵なぞはさして珍しくはないが、野次馬程度の興味は湧くな』

『ただまぁその辺の藪をつついたら、蛇どころじゃ済まない物が飛び出してくる可能性もある。あまり迂闊なことはしないよ』

『懸命懸命』

『探してみたらやはり私の所に記録がありました。クロ・リース、元中央担当軍第27番隊所属。2ヶ月程前、心労を理由に辞めています——』


 2ヶ月なら時期も丁度合致する。それでもまだ確定ではないのだ。結論を急ぐ必要はない。この悩みは他の誰のものでもないのだから。武柴は静かに瓶の栓を抜くと、空いたグラスに2杯目をなみなみ注いだ。



『ではそろそろお開きといこうか』

『ああっと、最後に一つだけいいかな。西部担当軍は今度、ある困った傭兵団を壊滅させる予定だよ。お楽しみに、じゃあ』

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