第15話 上終 勇城


 恵まれた環境が与えられなかった。何を持って理想とするか、何を見て吉とするのかはこの際置いておくとして、とにかく不遇だと言えた。

 甘えるな、と。怒られてしまうことなのかもしれない。呆れられ、見捨てられることなのかもしれない。努力が足りない、懸命さが見られない、向上心が窺えない。怠惰だ、悲劇気取りだと、侮蔑されることなのかもしれない。

 そう思われても仕方がなかった。事実として、自分自身の不足がきっかけで、今のような事態になってしまっている。

 少年は空を見上げ、溜め息さえ漏らさず、瞳にその光景を映した。

 星が消えていた。暗幕で覆われただけの夜空が天に広がっていて、寂しい虚無が果てしなく続く。

 これからその得体の知れない闇が降り掛かってくるのではないか、と。そんな恐怖が少年の心に芽生え始め、そこでようやくその感覚が何なのか、今伸し掛かってきている重圧が何者かを理解できた。

 死、という概念。

 絶望よりも混沌と、悲痛よりも悼ましい。何かが消えてしまう感覚。手のひらから落ちていく実感。誘うように、弄ぶように。それは少年の思考を引き千切る。

 肉が裂けるわけではない。眼が抉り取られることもない。精神的折檻も肉体的拷問もない。そこには自分以外の誰ひとりとしていないのだから。

 だから、誰が悪いとか誰を憎むとか。それをぶつけことすらままならない。強いて言えばやはり、環境が悪いとしか言えないのだった。


「僕は、死ぬんだろうか……」


 ポツリ、と。そう呟いてみるものの、肯定も否定もやってこない。ただ固いものがへし折れるような、あるいは断末魔のような爆音が絶えず響き渡るだけ。それが少年の周囲を取り囲んでいた。

 赤く紅く緋く、全てを染め上げて締め上げて攻め立てる業火が、もう間近にまで迫っている。

 助けを呼ぼうにも、ここは繁華街から離れた小山。燃料はあっても、人が通り掛かるはずもなかった。

 次第に五感の全てが奪われる。闇を消し去るほどの莫大な光景。轟く木々の爆発音。息を吸えば肺は爛れ、舌の根からは水分が蒸発する。

 そして身を焦がす灼熱。徐々に身体を蝕んでいくかのような、そんな毒が少年の全身を這って回る。

 熱い、痛い、苦しい、寒い。

 ありとあらゆる辛苦の感情が濁流として湧き上がるものの、少年はそれを表現できない。渇ききっていたのだ。

 体内の水分は当然、表情、判断能力、そして何が何でも生きようと思う、その強ささえも。こんなにも苦しむぐらいなら、いっそ死んだほうがマシだと、そう考える回路すら焼き切れてしまっていた。

 絶望は希望を奪う。

 死は生に気づかせない。

 恐らく、気が付けば身は猛火に包まれていて、知らないうちにこの世からいなくなっていることだろう。

 それでいいのか悪いのか、その基準さえ既に少年の中からは抜け落ちていたのだが。

 ただ一つ、彼の心に残るモノがあるとするならば。

 それは一人の女性。もう何年も会っていない、何年も探し続けている、大切な存在。

 それだけが全てを手放した少年に内在していて。それに対する後悔が、堪えきれずに口から漏れる。


「約束、したのにな……」


 その瞬間だった。

 世界が黒く塗りあげられたのは。

 何か物質としての黒色だったわけではない。

 電気を消した時に現れる暗黒に似ていて、けれどもそれは、水のように不定形で煙のようにとどまらず、確かに目の前に存在していた。

 手を伸ばせば触れられそうな、形を成す闇。少年が呆気にとられている間にも、それは粘土細工のように形を変える。

 例えばそれは門のようだった。誰かを迎えるための、漆黒で禍々しく、深淵を覗かせている闇の門。

 それはやがて、五つの球体を出現させる。重力に逆らいながら浮遊を続けたその球体たちが地に着いた刹那、それは破裂。ブラックホールのように光さえ通さなかった暗黒は、門を含め悉く霧散して、結果として残ったのは先ほどと変わらない燃え盛る木々と、そして。

 五人の男女だった。


「……へ? なんで?」


 その声に応えるモノは誰もいない。

 何も分からない、そもそも状況に何一つとしてついていけない。誰かが悪魔でも召喚したのだろうかと、的外れな解答を導き出してしまう。

 ただ、眠るように倒れ伏している白銀の髪の少女。

 彼女の目元に涙が浮かんでいることしか、少年には分からない。

 彼女たちがどこから来て、何をしに来たのか。

 開いた口を塞げない少年には、理解できるはずもなかった。


 恵まれた環境が与えられなかった。何を持って理想とするか、何を見て吉とするのかはこの際置いておくとして、とにかく不遇だと言えた。

 甘えるな、と。怒られてしまうことなのかもしれない。呆れられ、見捨てられることなのかもしれない。努力が足りない、懸命さが見られない、向上心が窺えない。怠惰だ、悲劇気取りだと、侮蔑されることなのかもしれない。

 そう思われても仕方がなかった。事実として、自分自身の不足がきっかけで、今のような事態になってしまっている。

 少年は空を見上げ、溜め息さえ漏らさず、瞳にその光景を映した。

 星が消えていた。暗幕で覆われただけの夜空が天に広がっていて、寂しい虚無が果てしなく続く。

 これからその得体の知れない闇が降り掛かってくるのではないか、と。そんな恐怖が少年の心に芽生え始め、そこでようやくその感覚が何なのか、今伸し掛かってきている重圧が何者かを理解できた。

 死、という概念。

 絶望よりも混沌と、悲痛よりも悼ましい。何かが消えてしまう感覚。手のひらから落ちていく実感。誘うように、弄ぶように。それは少年の思考を引き千切る。

 肉が裂けるわけではない。眼が抉り取られることもない。精神的折檻も肉体的拷問もない。そこには自分以外の誰ひとりとしていないのだから。

 だから、誰が悪いとか誰を憎むとか。それをぶつけことすらままならない。強いて言えばやはり、環境が悪いとしか言えないのだった。


「僕は、死ぬんだろうか……」


 ポツリ、と。そう呟いてみるものの、肯定も否定もやってこない。ただ固いものがへし折れるような、あるいは断末魔のような爆音が絶えず響き渡るだけ。それが少年の周囲を取り囲んでいた。

 赤く紅く緋く、全てを染め上げて締め上げて攻め立てる業火が、もう間近にまで迫っている。

 助けを呼ぼうにも、ここは繁華街から離れた小山。燃料はあっても、人が通り掛かるはずもなかった。

 次第に五感の全てが奪われる。闇を消し去るほどの莫大な光景。轟く木々の爆発音。息を吸えば肺は爛れ、舌の根からは水分が蒸発する。

 そして身を焦がす灼熱。徐々に身体を蝕んでいくかのような、そんな毒が少年の全身を這って回る。

 熱い、痛い、苦しい、寒い。

 ありとあらゆる辛苦の感情が濁流として湧き上がるものの、少年はそれを表現できない。渇ききっていたのだ。

 体内の水分は当然、表情、判断能力、そして何が何でも生きようと思う、その強ささえも。こんなにも苦しむぐらいなら、いっそ死んだほうがマシだと、そう考える回路すら焼き切れてしまっていた。

 絶望は希望を奪う。

 死は生に気づかせない。

 恐らく、気が付けば身は猛火に包まれていて、知らないうちにこの世からいなくなっていることだろう。

 それでいいのか悪いのか、その基準さえ既に少年の中からは抜け落ちていたのだが。

 ただ一つ、彼の心に残るモノがあるとするならば。

 それは一人の女性。もう何年も会っていない、何年も探し続けている、大切な存在。

 それだけが全てを手放した少年に内在していて。それに対する後悔が、堪えきれずに口から漏れる。


「約束、したのにな……」


 その瞬間だった。

 世界が黒く塗りあげられたのは。

 何か物質としての黒色だったわけではない。

 電気を消した時に現れる暗黒に似ていて、けれどもそれは、水のように不定形で煙のようにとどまらず、確かに目の前に存在していた。

 手を伸ばせば触れられそうな、形を成す闇。少年が呆気にとられている間にも、それは粘土細工のように形を変える。

 例えばそれは門のようだった。誰かを迎えるための、漆黒で禍々しく、深淵を覗かせている闇の門。

 それはやがて、五つの球体を出現させる。重力に逆らいながら浮遊を続けたその球体たちが地に着いた刹那、それは破裂。ブラックホールのように光さえ通さなかった暗黒は、門を含め悉く霧散して、結果として残ったのは先ほどと変わらない燃え盛る木々と、そして。

 五人の男女だった。


「……へ? なんで?」


 その声に応えるモノは誰もいない。

 何も分からない、そもそも状況に何一つとしてついていけない。誰かが悪魔でも召喚したのだろうかと、的外れな解答を導き出してしまう。

 ただ、眠るように倒れ伏している白銀の髪の少女。

 彼女の目元に涙が浮かんでいることしか、少年には分からない。

 彼女たちがどこから来て、何をしに来たのか。

 開いた口を塞げない少年には、理解できるはずもなかった。

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