第3話 成績向上と同人誌作りの関係性



 美月の家庭教師のおかげで中間、期末も無事乗り越え、一学期は俺も母さんもいい意味で驚く通知表だった。


 「美月ちゃん、本当にありがとうね。洸太がこんな通知表持ってきたの初めてよ!」

 「いえ、洸太くんが頑張ったからですよ」


 こちらを向いてメガネを光らせる美月。

 器用だな。


 「これ、少ないけど」

 「そんな、いいです。最初からそんなつもりありませんでしたから」

 「だめよ、期待以上の結果を出してくれたんだもの。これでカワイイ服でも買って、ね!」


 カワイイという単語にピクッとなる。ゴールデンウイークの箱根旅行以来、ふとした瞬間に美月の浴衣姿がチラつくようになってしまった。

 ちなみにあの後、おいしかったであろう食事も卓球大会をした記憶もほとんどない。ただ、なかなか寝付けなかったことは覚えていた。翌日はいつもの美月に戻っていたこともあり、多少ギクシャクする時はあったが、徐々に平常運転になっていった。


 「あの•••そのかわりと言ってはなんですが、洸太くんにお願いがありまして」

 「あら、なぁに? なんでも言って。ねぇ、こ~た?」


 母さんが流し目で俺を見る。

 ああ、誰か鏡の盾、持ってきて! 石にされちゃう!


 「いえ、課題の手伝いをお願いできれば、と」

 「洸太にできることなの?」

 「慣れれば洸太くんなら大丈夫ですよ」

 「わかったわね! 洸太!」

 「•••あい」


 力なく返事をする俺をひきずるように中井家へと引っ張る美月だった。母さんから、後で渡しといて、といわれてバイト代の入った袋も預かる。

 ちっ、行くしかねぇな••••••。


   +++


 「あの•••美月さん。課題って、これ?」


 俺が指差す先には、スキャナーやら原稿用紙やら、鉛筆、消しゴム、定規などなど•••。

 パソコン画面にはマンガの原稿らしきものが表示されている。


 「み~つ~き~!」

 「消しゴムとスキャナー取り込みと、できたらPCで背景やトーン貼りも」

 「待て待て待てぇ~い!」

 「なに?」

 「何をやっている?」

 「同人誌作り」


 思わず膝をついてしまった。ガクーンってやつだ。


 「つまり中学2年の俺に、脱オタを目指している俺に••••••。ある意味ゴールみたいな同人誌作成までしろと?」

 「洸太、同人誌作成はゴールなんかじゃないよ。スタートラインにやっと立ったとこなんだよ!」


 美月の細い目を見る。

 マジ?

 マジ!


 「いやだぁ~、絶対やだ~!」

 「お願いぃ! 助けて! ね、ね!」


 帰ろうとする俺の足にしがみついてくる美月をなんとか振り払う。

 捨て猫のような目で俺を見る美月。


 「これ、母さんから。その•••勉強、ありがとうな」


 バイト代の入った袋を置いて背を向ける。


 「こぉたぁ~•••」


 俺の足が急に重くなる。

 なんだ、同人誌作成に興味があるのか?

 ノーだ。脱オタ目指しているんだぞ。あってはいけないことだ。

 じゃあ美月がかわいそうだから?

 ノー。全然かわいそくねぇ。そもそも脱オタの前にこいつのせいでオタクになっちまったんだぞ。

 振り返ると涙目の美月が見ている。

 それなら•••。2学期以降も成績を維持するため、今後も家庭教師を続けてもらうのに、良好な関係を作るためなら手伝うか?

 答えは••••••。

 イエスだ。※1

 俺はきびすをかえした。

 心の奥にあるもう1つの感情には無意識で気づかないようにしながら。


   +++


 「で、なんでいきなり同人誌なんか作っているんだ?」

 「いきなりじゃないよ~。前から描いてたもん」

 「もん、じゃねぇ。そうじゃなくって、どうやってお前が描く同人誌を世間に出すんだ?」

 「私、漫画部じゃん」

 「初耳です」

 「で、先輩が夏コミに当選したから委託販売してもらおうって蕩子とうこが言ってきたの」

 「•••お前、勉強以外バカだろう」

 「な、失礼な•••」

 「ま、いいや。その蕩子さんとやらに誘われて同人誌を作ることになったと」

 「そうそう」

 「で、その同人誌を漫画部だっけ? そこの先輩に委託して売ってもらうと」

 「なんだ、洸太、わかってるじゃん」


 ため息をついた後、漏れ出たエネルギーは無視して、気を取り直す。


 「さて、夏コミってお盆だよな?」

 「そうだよ」

 「もう7月の最終週になるな」

 「そうだねぇ」

 「実質2週間ちょいしかない気がするんだが?」

 「そうかも」

 「••••••」


 ガクーンとなる。


 「お前、やっぱ勉強以外バカだ!」

 「にゃにおー! あ、いたい、それ痛い~」


 ギリギリギリ•••。

 俺のイライラが安全値になったので、美月をアイアンクローから解放してやった。

 美月は頭をおさえてプルプルしている。


 「じゃあ、美月先生。やるぞ!」


 先生と言われたからか、メガネをキラーンとさせて復活すると、ほぼ平らな胸を反らせて手を横に振り払う。


 「よし、ではアシスタントくん、頑張りたまえ! って、だからいたい、いたい、いたい•••」


 あの浴衣美人がこんなチンチクリンなんて•••。

 俺に顔を鷲掴わしづかみされてジタバタしているよ。

 幸せが逃げようが、ため息をつくしか選択肢はなかった。


   +++


 スキャナー取り込みやPCでのベタ系作業は全て俺がやり、美月先生は原稿とペン入れ、背景に集中した。

 残り数ページってとこまできたが、もうとっくに入稿期限は過ぎていて、割増の期限まで見え始めている。


 「美月先生、残りは鉛筆でいくしかねーだろ、な?」


 美月は悔しそうに黙っている。


 「初めてで、ここまでやれりゃあすげーよ!」

 「••••••」

 「その蕩子さんて人にも迷惑かけるわけにはいかねぇだろ?」

 「•••わかった」


 残り作業を確認して、粛々と処理していく。

 美月が最後、データを印刷会社に送信して、その報告メールを蕩子さんに送る。

 夜中の1時をまわっていた。


 「洸太•••。終わったよ」

 「お疲れ様です。美月先生」

 「•••ちょっと悔しいけど•••、もう、眠くて•••限界•••」

 「待て、こんなところで寝るな!」


 倒れる美月を支えると、もう寝息をたてていた。

 すぐ横にベッドがあるってのに。

 ••••••。

 し、仕方ねーよな。

 心の中で言い訳した後、美月をお姫様抱っこする。

 軽っ!

 なんとかベッドに転がして、スースーいっている美月の寝顔を見ていた。

 落書きでもしてやろうかな•••。

 熱くなった顔をごまかすように、そんなことを考える。

 立ち上がって、一度伸びをすると、窓から自分の部屋に戻った。


   +++


 コミックマーケット2日目。

 俺と美月は自分たちが作った(ちょっとHな)同人誌を見に国際展示場まで来ていた。

 中2で夏コミデビューだよ•••。

 これは汗だよな。

 灼熱しゃくねつの空をあおぎ見て自分に言い聞かせながら、恐ろしいほどの人波を進んでいった。

 油断すると埋没する美月対策として、犬のリードよろしくタオルのはしをお互い持って移動する。

 目的のブースにたどり着いた時には2人とも汗だくだった。

 途端に俺は後悔する。

 なんで気づかなかったんだ。女しかいねぇよ!

 あたふたする俺に全く気づかず美月は声をかける。


 「お疲れ様で~す」

 「おぅ、中井ちゃん。来てくれたんだ」

 「いやぁ、やっぱ自分たちの出した本がどんな感じか気になりますからねぇ」

 「蕩子ちゃん、中井ちゃんが来たよ!」


 しゃがんで作業していた人影が先輩らしき人に声をかけられて振り返る。

 メガネ率100パーセントだと思ったら、この人は違った。

 って言うより、なんかものすごい美人じゃねぇか?


 「美月、来たんだ!  何冊か売れたよ!」

 「マジか? やった! ね、売れたって!」


 話しかけてきやがった。

 この俺の一般人演技を無駄にしやがって。


 「なになに! 中井ちゃんの彼氏?」

 「違いますよ。隣りの幼なじみで同人誌手伝ってもらったので、一緒に来たんですよ」

 「あやしいなぁ、本当に~?」

 「蕩子には言ってたよね。手伝ってもらっているって」


 美人さんが俺を上から下から見まわしてくる。


 「えっと、じゃあ男の人にこれ手伝わせたの?」

 「うん。洸太、中2のくせにPC作業、私より速くて」

 「ち、ちょっと待て。ち、中2?」

 「だよね~」


 俺は顔の上半分を手でおおう。

 蕩子さんたちの俺を見る目がだんだん変わっていく。


 「美月、あんた中学男子にこの同人誌作るの手伝わせたの?」

 「大丈夫! 洸太がちっちゃい頃から色んなの読ませてるから、ね?」


 気のせいか、暑さがひいていく•••。

 ですよねぇ、俺も思ってはいたんですよ? これ中学生が、男子が手にとってていいの? みたいな。でも、なんか美月の勢いに流されて•••。

 なんか、すみません。


   +++


 「さあ、反省会だ」


 その日の夜、クーラーのよく効いた美月の部屋で、俺は今、仁王立におうだちで美月の前にいる。


 「どうして、こんなことになった?」

 「はい。洸太がもっと早く手伝ってくれてれば良かったと思いま•••って、暴力反対!」


 俺が指をワキワキさせながら美月の頭を狙うと、美月はエビのような素早さでバックダッシュした。

 ちっ、学習しやがって。


 「そうじゃない。なぜ、俺がお婿さんとして、お前にもらわれなければならないんだ?」

 「あぁ、そっち? なんかみんなが言うには健全な中学男子をけがしたから責任とれって。そんな、ねぇ。洸太もともと汚れてるって。それに手をだすなら小学•••」


 まずっ、と口をあわてておさえる美月。


 「いたいいたいいたい、それ本当にいたいからヤダーッ!」


 美月の側頭部をこぶしでひとしきりグリグリとした後、はぁ、とため息をつく。


 「とにかく。俺は今後、お前の同人活動には一切いっさい手を出さないからな!」

 「え~、困るよぉ。目標は、目指せ、シャッター前!なんだから。一応アシとして期待はしているんだぞ•••って、だから暴力反対だってば~」


 似たようなやり取りを何回か繰り返した後•••。


 「じゃあ、美月1人で同人誌を完成させるには、なにが必要なんだ?」

 「時間」

 「つくれ」

 「機材」

 「買え」

 「アシスタント」

 「雇え」

 「ひ~ど~い~よ~! 助けてよ~!」


 美月イジメは楽しい。

 ただ、イジメ過ぎても頭がいいので報復が怖い。

 ここが交換条件を出すタイミングだ、と俺は判断した。


 「わかった。じゃあ、できる限りだが協力しよう。ただし!」

 「ただし?」

 「亮太の身の安全の保証が条件だ」

 「••••••」


 考えるんじゃねーよ!

 半分冗談だったんだが、マジか?


 「わかったよ。で、どこらへんまでならOKなの?」


 あ、なんか頭が痛くなってきた•••。


 「それに関しては、また後日詳細を打ち合わせするとして」

 「政治家か!」

 「••••••。機材って、美月持っているじゃん」

 「これら一式、蕩子のなの。それを借りてて」

 「うーん•••、そうだ。母さんからもらったバイト代があるじゃんか!」


 美月が振り返ると、パンパンになった紙袋やバッグがある。


 「なに? つかっちゃったの?」

 「えへ。••••••。あ、いや、怒らないで!」


 こぶしをおさめて考える。確か父さんが夏休みに時間があったら手伝って欲しい、みたいなこと言ってたな。

 美月に聞いてみたら。


 「やるやる!」


 と二つ返事だった。

 俺の家庭教師のバイトもあるし、なんとかなるだろう。

 後はアシスタントだけど、これは俺がやるしかねーか。

 やれやれだぜ。※2




※1 恋物語の貝木自問自答より

※2 ジョジョの奇妙な冒険より空条承太郎の口癖

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