C@fè D.I.V.E.

柊 恭

第1話 Garbage Collector


 西鉄福岡駅、二三時四八分。駅員以外には殆ど人が居ない、とても静まり返った三番ホーム。青白い蛍光灯が虚しく輝く中に、古めかしいモーター音が木霊する。ミント色をした筑紫行き下り最終電車を、その男女二人は乗ろうともせずに見送った。

「ねぇ集矢(しゅうや)さん、何でこんなことするんですか?」

 高校生くらいの少女が黒いツインテールを揺らしながら、集矢と呼ばれた男性に尋ねる。この二人の年齢差はそれほど離れたようには見えない、せいぜい五歳もないだろう。

「知らなくていいよ、未来(みく)ちゃんにはどうせ分からないから」

「えー、酷いですよー」

 未来という少女が口を尖らせたので、集矢は思わず吹き出してしまった。そんな笑う彼を見て、未来は更に拗ね始める。

「私、そんなにバカっぽいですかー?」

「まともな女子高生は、わざわざ終電を見送ったりしないからね」

「だーかーらー、その理由を訊いてるんですってば!」

 これ以上彼女を弄ってもしょうがないので、集矢も懲りて改札に向かって歩き出す。

「乗り継げなかったら笑えないからね、移動しながら話すよ。付いて来て」

 ホールのようなコンコースには、やはり誰も居なかった。たった二人だけ取り残された、何もなく無駄に広い空間。壁に掛かっている広告はしがない専門学校のモノが多く、そんなところに人生を捨てた者たちのことを集矢は想う。彼らは今、どんな表情で将来を見ているのだろう。

 ICカードを改札にタッチしたところでようやく、彼が未来へ向けて説明を始める。目線の先は北口階段、下って行けばやがて大きな液晶モニターが見えてきた。

「終電を逃すのって、『失望』を感じる瞬間だよね」

「そりゃ、もう帰れなくなっちゃいますからねー。これからどうしようとか、ネカフェ空いてるかなって、もう家に帰ることは諦めちゃいますよ」

「その失望を、疑似的にだけど感じたかったんだよ」

 怪訝な瞳で、未来が見てくる。だから君にはどうせ分からないだろうって言ったんだ、と集矢は額に手をやった。

「終電を逃した駅のホームには、もうしばらく電車は来ない。つまりそこは駅として機能していない、最早何の意味もない場所なんだよ。そしてそこに残ったのは、終電を逃した失望だけ。自分に何が出来るでもないって、希望を一気に失ってしまう状態。これは分かるよね?」

「どーしよーもない状態になって、茫然自失……ってことですか?」

「そう。そしてそんな茫然自失の状態に、自分という生ゴミを投げ捨てる。どうしようもない失望を、俺は味わいたかったんだよ」

「うーん、やっぱり分かんない……マゾってことですか?」

 唸る未来を尻目に、北口階段を全て下りきった。大型ビジョン前のスペースにまで来れば、流石にヒトもちらほらと現れてくる。彼らが諦めるにはまだ早い、地下鉄なら最終電車にも間に合うから。

「マゾとは、ちょっと違うかな~……俺はただ感情が捨てられる瞬間が好きなだけで、その対象は何も自分だけに限らないから。というか、他人が感情を投げ捨てるのを見てる方が好き」

「ヘンタイさん、ってことですよね……?」

「人間、誰しも変態だから」

 難しい顔をする未来は、見ていて飽きない。北へずっと進んでいけば、やがて天神地下街に合流する。昼間は人通りが絶えないこの商店街も、この時間ならシャッター通りの様相だ。明日が月曜日だからか酔っ払いも少ないし、まともな人間はそそくさと帰宅している。終電に向けてダッシュする人々に対して、ゆっくりと喋りながら歩くこの二人は異質だった。

「これは何度も主張してることだけど……俺は、生ゴミが捨てられるのを見るのが好きなんだよ。この生ゴミってのは、その時その時にヒトが感じる生の感情のことね。平安貴族共が歌に詠んだりして重宝した感性ってやつを、意味のないところへ投げ捨てるのが好き」

「それが、さっき終電を見送った理由なんですかー?」

「終電を逃した時に生まれる失望が、何もない駅という空間に捨てられる。前に別の駅でこれを感じたことがあって、その時の感覚を思い出したかったんだよ。上手く行かなかったけどね」

 この理由としては、彼が逃げ道を用意していたからだろう。集矢は今こうして地下鉄に乗ろうとしているが、これは『地下鉄の終電に間に合う』という確信があるから移動しているのだ。後がない状況とはとても言い難く、背水の陣でない以上失望感も薄れてしまった。

「感情が、捨てられる……そんなの、どーやったら好きになれるんですかー? 私だったら、そのまま電車に飛び込んで死ぬ方が好きかなぁー」

 温かい電灯に照らされた彼女は、至って生きた表情をしていた。虚ろな眼でもおぼつかない足取りでもない、まるで週末の遊園地にはしゃぐ子供のような無邪気さ。呼吸もしているし、目線も定まっている。こんなにも生きているのに、未来は死ぬことを考えている。

「すごく……未来ちゃんらしいね」

「えへへー、集矢さんに褒められたー」

「うん、褒めてない」

 人間、誰しも変態である。このことは未来にも適用されて、彼女の場合は極度の『殺されたがり』だ。ポイントは自殺をしないということで、必ず他人に殺されることを欲する。この電車への飛び込み自殺を取ってみても、彼女を殺しているのは彼女自身ではなく電車の運転士だ。

「未来はねー、好きなヒトに殺されたいんですよー。何てゆーかこう、ヤンデレ?」

「自分で死んだりはしないんだね」

「だってー、そこには『愛』ってモノが無いじゃないですかー」

 飄々と笑う彼女を、集矢は少しも異常だと思わずに眺める。

「自分でその好きな相手を殺したりはしないの?」

「それだとー、私一人だけ取り残されちゃうじゃないですかー。それってすごく淋しいなーって」

「相手がそうなるのは、一向に構わないのに」

「だってー、未来が幸せなまま死ねたらそれでいいじゃないですかー!」

 集矢の前に躍り出て、両手を広げて表現する未来。楽しそうな彼女の顔は、幼いながらも破綻している。もっとも、それは彼も同じことなのだが。


 福岡市営地下鉄天神駅、二三時五七分。最終の箱崎線貝塚行きに揺られながら、二人は煩い電車のつり革を握っていた。席がかなり空いているのに座らないのは、二駅先で降りる予定だからだ。或いはこの後の酒のために、少しでも疲労を貯めておきたかったか。

「こんなに音がおっきいのって、地下だから音が籠るってことなんですかねー?」

「単純に、この電車が古いってだけだと思うよ……」

 青帯を巻いた銀色の電車は、東へ向けて滑走する。中洲川端を過ぎたあたりで、集矢の視界に未来の左手が映った。つり革を握るその手首には、いくつもの切り刻まれた痕が見える。

「……セクハラですよー?」

「リスカ痕を眺めるのが?」

「乙女にはー、知られたくないヒミツがいっぱいあるんですよ」

 頬を膨らませる未来を冷めた目で見ていたが、彼の脳裏には別の女性の手首が浮かんでいた。気が向いたので、未来と少しだけ話してみる。

「……ねぇ、未来ちゃん。リスカをするのはどうして?」

「だーかーらー、乙女にそれはセクハラって――」

「俺にも、言えないことなんだ」

「……ズルいですよ、集矢さん」

 自己嫌悪には、不思議と陥らなかった。つまり彼は悪意もなく、純粋な気持ちで未来に尋ねたということだ。我ながら気持ち悪いことをしている、と考えて初めて集矢の背筋が凍った。

「と言ってもー、別に私の場合は大した理由でもないですけどねー。単純に、切ってる時にスッキリするからですよー」

「本当に、そうだって思ってる?」

「むしろ、それ以外に何があるんですかー?」

 彼女の無垢な瞳を覗いて、どうやら本気でそう思い込んでいるらしいと結論付ける。リストカットの理由なんて大体は『ストレス解消』だとか『一瞬の気の迷い』だとかと相場が決まっているものの、集矢の考えではもう一歩先に別の理由が隠されている。

「例えば、心深(ここみ)とか」

「また心深さんの話ですかー?」

 返答として、口角を少し釣り上げる。心深というのは二人の共通の知り合いであり、集矢と同じ大学に通う女性である。彼女もまた曲者であり、リストカットの経験も歳の分だけ未来より上だろう。

「前アイツに聞いた時、『若気の至り』って答えが返って来たんだけど……それがどういうことかって、多分心と身体の『同期』なんだと思うんだよね」

「何だか、また難しい話を振られてるようなー……」

 未来が口元に手を当てて考え込むが、気にせず集矢は話を続ける。

「あんまり本人の居ないところでひけらかすのも気分良くないけど、アイツの『若気の至り』って高校時代の失恋なんだよ。その時に心が酷く傷付いて、けれど身体は至って綺麗なまま。手を付けられなかったからね」

「そんな、心深さんを哀れな女みたく言わなくても……怒られますよー?」

「それで、アイツは無意識に思った訳だ。心が傷だらけなのに身体がノーダメージなのはおかしい、気持ち悪くて精神的に落ち着かないって。だから手を切ったし、身体をボロボロにするためにシャブにだってのめり込んだ。あっ、手を切ったってのは失恋相手との縁を切ったって意味じゃないからね」

「上手いこと、言ったつもりですかー?」

 非難する未来の視線には、釈然としない気持ちも込められている。理解できないのも仕方が無いだろう、だってこの話は心深だけの物語なのだから。

「こんな感じに、リスカ痕には人それぞれのストーリーがあるってことだよ。だから未来ちゃんにも、リスカをする深い理由があるはずだから。ありきたりな理由でリスカを片付けちゃだめだよ、って忠告」

 電車が減速を始め、駅に到着する旨の自動放送が聞こえてくる。彼の言葉を自分なりに咀嚼しているのか、未来はちょうどモーター音のように唸っていた。そして電車が完全に停止する頃には、集矢に一つの質問を投げかける。

「忠告って言いますけど、そーいう集矢さんはリスカしてませんよね。何でですか?」

 開いたドアから降りつつ、彼が未来の手を曳く。

「俺がリスカをしても、何も捨てられない……捨てるモノが無いからだよ」

 酷い轟音を響かせながら、銀色の電車が貝塚へ向けて走り出した。


 福岡市営地下鉄呉服町駅、零時ちょうど。六番出口からクルマも走っていない地上へ這い上がり、北西へ進むこと徒歩七分。住宅街の中に佇む古ぼけた鉄筋コンクリート製の六階建てビル、その一階に入居しているテナントが『C@fè D.I.V.E.』(カフェダイヴ)である。

ここはカフェと屋号に銘打っているものの、夜間は酒も提供するバーへとその様を変える。立地が立地なため客は非常に少ないが、バーにとってそれは普通のこと。落ち着ける場所でもあるし酒も美味いため、集矢がよく足を運んでいる店だ。そして同時に、違法薬物の取引もたまに行われている。

「マリさん、こんばんは」

「こんばんはー!」

 集矢と未来の二人が店内に入ると、暗がりの中から店主であるマリが顔を覗かせた。ベリーショートの三十路である彼女は、この二人を見るなり辟易した表情を見せる。

「よくもまぁ、日曜の日付回ってから来るもんだわ……学生は月曜に備えてお家でおねんねしてなってのに」

「もう月曜日になりましたよ。それに、俺は月曜の講義も午後からなんで」

「私はどうせサボるから平気―」

「未来、未成年はバーへの入店禁止だよ」

「でもマリさんー、ここってカフェなんでしょー?」

 いたずらっぽく笑う未来に対して、マリが大きな溜め息をつく。集矢はとりあえずカウンター席に腰かけて、いつものドリンクを注文した。

「カルーアミルクで」

「あっ、私スクリュードライバーでお願いしますー」

「だから、未成年が酒飲むなって……」

 ぶつくさと文句を垂らしながらも、マリがグラスを取り出してカクテルを作り始める。未来がこの店で飲酒をすることは、何も今回に始まったことではない。最初に集矢が連れてきてから、もう一年は経つのだろうか。

 カクテルが出されるまで暇なので、彼は店内を一通り見回す。黒い壁に電球がぽつりと灯っているだけの空間には誰もおらず、今日の客は二人だけらしい。ついでに言えば、恐らく従業員もマリだけだ。

「マリさん、心深のヤツは今日非番ですか?」

「そうだけど……集矢、あの子がどうかしたの」

「いや、アイツが居ないと何かしっくり来ないというか」

 集矢と心深が知り合ったのも、この店での出来事だ。彼女はダイヴの店員であり、定期的にここへ来る密売人から薬物を手に入れている。もしかするとそんな心深に興味を示したから、集矢はこの店に通っているのかもしれない。

「集矢さん、また心深さんのこと考えてるー」

 再び未来が拗ね始めたので、集矢もこの話を切り上げることにした。別に未来と心深との仲が悪い訳ではなく、彼女は単純に集矢が心深のことを考えるのが気に入らないのだ。

「ホラホラ、そんなに怒りなさんな。スクリュードライバー、飲ませてあげるから」

「わー、マリさんありがとー!」

 サーブされたオレンジ色のカクテルに、未来は躊躇わず口付ける。いきなりあんなにも度数の高い酒を飲むとは、本当に女子高生なのだろうか。

「はい、集矢にはカルーアミルク。アンタ、いっつもこれよね」

「どうも。これくらいが、一番飲みやすいんですよ」

「そういえば、心深が初めて集矢にサーブした酒もカルーアミルクだった」

「余計なこと言わないで下さい、酒が不味くなります」

 意気消沈としながら、カルーアミルクを一口含む。苦さと甘さが重奏する中、アルコールのフォルテが後味に来る。ただ苦いだけの酒を飲むよりも、集矢はこちらの方が好きだった。

 未来の方を見やると、既に気分が高揚しているようだった。彼とは対照的なその姿に、マリが溜め息をついた理由を察してしまう。彼女の手元には、黄色い錠剤が何錠か転がっていた。

「マイスリー……またベタな」

「おいしいですよー、集矢さんもどーですかー?」

「残念ながら、俺は処方薬すらやろうと思わないから」

 睡眠薬とアルコールの組み合わせで疑似トリップ状態に突入している未来を肴に酒を飲んでいると、ふと一つの疑問が浮かび上がってくる。

「ねぇ未来ちゃん、どうしてLSDとかのホンモノじゃなくて処方薬を乱用するの?」

「ちょっと待った集矢、アンタ何女子高生にヤク勧めてんの」

 マリが彼の肩を掴んで制止する。別に、集矢はまだ酔っていないのだが。

「だって、この店でわんさか手に入るじゃないですか」

「それはねぇ、裏の話だから。表でそんなこと話さないでよ? ってか、私だって公式に認めた訳じゃないし。あの輩が勝手に集まってるだけだって」

「言い訳は見苦しいですよ、マリさん」

 そう彼が笑い飛ばすと、頭を振りながらマリが引き下がる。そして入れ替わるようにして、今度は未来が質問の答えを投げ返してきた。

「だってぇー……ホンモノじゃあ、まるで自分で死にに行ってるみたいじゃあないですかー」

「ヒトはヤクじゃそう易々と死にはしないし、流石に全国のヤク中の皆様に失礼だと思うよ」

「でもー、私は愛する誰かに殺されたいんですよー。それまでに自分で死んじゃあ意味ないからー……安全なマイスリーで我慢してるんですー……」

 錠剤を更に飲み込む彼女に、乱用しないという選択肢はないのかと問うのはナンセンスだ。リストカットにしてもそうだが、彼女だって何かしらのストレスを抱えているはず。それを解消するためにも、女子高生にはマイスリーと酒が必要なのだろう。

「ところで集矢、逆に訊くけどさ……アンタがシャブらない理由って、何なの?」

 愛用のキャスターに火を点けながら、マリが彼に質問してくる。こんな人間たちとつるんでいるにも関わらず、集矢は道を踏み外していない。薬物乱用どころか、タバコにすら手を出していないのだ。この理由を時たま尋ねられることがあるのだが、そんなとき集矢は決まってこう答える。

「俺には、捨てるだけの感情がありませんから。集めるだけです」

 そんな集矢を、ヒトは『ガーベージコレクター』(Garbage Collector)と呼ぶ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る