ナポリタンB

西崎久慈

Bショフ(ブラショフ)

「上着をお預かりしましょうか?」

 長距離フライトだというのに、スーツで気を張っていた。ラフな格好での外出に慣れていない。

「お仕事ですか? 大変ですねえ」

 到着後に着替える暇もなく仕事が待っていると思われたようだ。上着を脱ぎ、ネクタイをわずかに緩めた。ネクタイを外す気にはならなかった。ネクタイなしのシャツはバランスが悪い。

「日本のロックを変えてやる」そう言い残して家を出た。一九九〇年の一月一日の早朝のことだった。

 勉強が得意で成績が良く、革命が好きだった。大学受験をすぐに控えていた。東大を目指していたのも、そこに安田講堂があるからだ。志しと熱さをヘルメットに込めた若者たちにひどく憧れていた。その日本での事件は一九六九年のことだったのだが、一九九〇年の欧州の方では革命がリアルタイムだった。ほんの一週間ほど前のクリスマスにも、ルーマニアで革命があった。その熱さが日本にも伝搬してきていた。

 革命のあった東欧に比べると、東京の寒さはそれほどでもなかった。それでも寒い元旦だった。かすかに服を湿らす霧雨、強くはないが芯のある風、太陽の存在を感じさせない深い雲、その日は絶好の革命日和だった。体温は一瞬で奪われ、見上げても希望は感じられず、常に拳は握りしめたまま。まだ解き放たれていない熱があった。

 しかしなぜ日本のロックだったのか。確かにそのころ日本の音楽業界は最低の時代に入っていた。この後、虚構だらけのビジネスミュージックの時代が来ることになる。日本のロック、お茶の間で口ずさまれる歪んだギター音のする歌謡曲ぐらいのイメージだろう。当時の音楽にはリアルも未来もなく、当時の日本のロックには何の価値もなかった。しかしなぜ急に日本のロックだったのか。派手な音楽よりも難解な本を好んでいた。ロックバンドどころか、あらゆる楽器の経験がなかった。遠い国の熱さに共感し、青い年代特有の嗅覚で何かを察知した。その何かを憂い、その巨悪と戦いに行ったのだ。若気の至りが極まった。

 私は最後の一音を響かせながら、手首をスナップさせピックを手放した。狭いライブハウスでは、投げたピックが端まで届く。ベースの太いハウリングが不快なノイズに変わる直前にボリュームをゼロにした。静寂の音が耳に響き、体に響いている。オレンジの光に、埃が舞って輝いている。空気すら、呼吸すら止まっている。今に浸っていたいが、解き放たないと体がもたない。アンプの上に置いたタバコをくわえる。ジッポーを開く。カチっと音がする。石を擦る。火花は飛ぶが、火が点かない。ジッポーを閉じる。カチっと音がする。ジッポーを開く。カチっと音がする。オイルの匂い。石を擦る。火は点かない。石を擦り、火花が散る。火は点かない。ジッポーを閉じた。もう手に力が入らなかった。

 客席に目を向けると、あちこちでライターの石の火花が散っていた。まだ客席の電気は消えたままだった。ライブの成功を祝福する花火。酸素が少なく、火が点かないのだ。酸欠、天井の低いライブハウスの醍醐味だった。酸素不足も無理がない。二百人がキャパの店に三百以上、入っているのだ。そして全力疾走のロックンロール。今の人気ならもう少し大きな所でもライブはできるのだが、三百人ぐらいまでがライブハウスだ。それ以上には音が届かない。

 唇に張り付いたタバコを諦めると、電気が点いた。


 ライブ終了後に店の外に出ると、ライブハウスのある裏通りには不似合いなビジネスマンが声をかけてきた。それが兄だった。

「まさかお前が日本のロックを変えているとはな」

「別に変えてない」慣れない苦笑いをした。

 兄が家を出たのは一九九〇年だから、会うのは二十六年ぶりということになる。私は当時十才で、兄は十八だった。十八の兄は大人であり、「日本のロックを変えてやる」と家を出て行く兄は、ロックが何かすら分からずともヒーローそのものだった。日本のロックを変えようとは思わなかったが、高校時代にはバンドで食って行こうと決めていた。音信不通の兄の影響だった。

 兄の賢そうな目は記憶の中のままで、高校の制服がダブルのスーツに変わっていただけだった。


「高そうな店だな」

 兄に呼び出された店は、バー・コーナーのあるレストランだった。テーブルに着く前に一杯やって、一服する制度のようだ。

「高そう、ではなくて、高い。まあ気にするな、売れないミュージシャン」

「さすが。会社の金か?」

「違う。交際費で飲む酒がうまいか? 自分の金で飲む酒がうまいんだろ」

 濃い土の匂いのするウイスキーでの乾杯だった。それが食前酒として適しているとは思えなかった。

「いくつになった?」

「三十六」

「音楽で食っていけてるのか?」

「そんなわけないでしょ。バイトしてる」

 しばらくは再会した家族らしい会話を続けた。そして共通の話題は一九九〇年の元旦まで遡る。タバコを吸う二人はバー・コーナーから動かなかった。

「大体、何でロックなんだよ。兄貴は全く音楽なんて興味なかったはずだろ」

「才能があった」

「音楽に? 勉強ではなく?」兄は模擬試験を受ければ、全国で一桁の順位だったらしい。

「勉強は、興味はあったが、才能がなかった。音楽は興味なかったが、ちょっとした才能があった」

「ちょっとした才能?」

「スマホを出して、ストップウォッチ機能にしろ。体内時計で、ちょうど六十秒で止めることができる。私がスタートって言ったらスタートさせて、ストップって言ったら止めろよ」

 兄は目を閉じてから、スタートと言った。それからはリズムを取るでもなく、ただ時間だけが進み、突然、ストップと言った。

「エクセレント。六〇・二〇」

「人間の聴覚での反応時間〇・一五秒、きっとお前は耳がいいから〇・一秒ぐらいで、スタートとストップで二倍して〇・二だから、ほぼぴったり」

「すげえ」

「だろ。高校のとき、テレビで外国のジャズミュージシャンがやっていて、真似してみたら、なんとできた。音楽の才能があるって勘違いしたわけ、それで。でもまさかお前が音楽をやっているとは。お前のバンド、どんな音?」

「ライブで聴いてないの?」

 ライブハウスの外で会ったときには、お互いの連絡先を交換しただけだった。「近いうちに連絡する。ゆっくり飯でも食おう」と別れた。当然、ライブを見たと思っていた。

「聞いてない。店には入らなかった。客層を見て、場違いだと感じたから、終わるのを待った。出待ちというやつだ。それで、どんなバンドだ?」

「パンクバンド」自分でパンクという言葉を使うことには抵抗があったが、他の言葉もなかった。「ドラムとボーカルとベースが三本。そこでベースを弾いてる」

「おお、いいねえ。尖ってる。ベースばっかりのバンド、見たことない」

「見に来いよ、だから」

「次のライブはいつだ?」

「もうやめた。解散」

 酸欠になるほど盛り上がるライブをやったにも関わらず、あっさりと崩壊した。年長者のドラマーが昼の仕事に専念したいと言い出したのは、ライブから二日後だった。熱が冷めた瞬間に、現実が押し寄せてきたらしい。そんな言い訳を聞いていたら、涙が出てきそうだったので、先に手を出した。それで終わりだった。

「そうか、残念。それもパンクだよな。解散ライブはやらないのか?」

「解散ライブなんて、普通やらない。それをやるぐらいなら、解散しない」

 解散ライブも、解散表明もなく解散した。契約があるわけでもないから、やらなくなればそれで終わりだった。これまでにいくつのバンドを辞め、いくつのバンドを解散したことか。もう慣れたものだ。

「お前のいいところ、教えてやろうか」

「何だよ、気持ち悪い」

「そう言うなよ。お前のいいところは、日常も着飾っているところ。常に目立つ」

 私はステージにでも上がるかのように髪を整え、社交性を重視したジャケットとタイを身に着けていた。確かにこだわってはいる。

「お互い様だろ」

 兄は今日もダブルのスーツだった。いつもヨレヨレのTシャツ姿だったドラマーを思い出しそうになった。

「いつか売れるかもな、お前」

「売れたくないって、別に」

「そう言うなよ。売れて、そして変えろよ、日本のロックを」適当な物言いは兄らしくもあった。

「兄貴こそ、何してたんだよ、家を出てから」

「音楽は始めたよ、実際に。ドラム、リズムを刻むのに自信があったから。バンドも組んだ。でもやめた。ドラムを教えてくれていた人が、俺のことを高く評価してくれていて、散々諭された。他の仕事に就けるやつには、他の仕事を勧める、ロックってのはそういうものだと。良い意味でも、悪い意味でも、選ばれた人間しか続かないと。飲みに連れて行ってくれるたびに言われた。だから音楽は辞めて、二十才のときに大学受験した。入学式で初めて安田講堂に入ったときは目頭が熱くなったけど、それは単なる感傷で、そこにこみ上げてくるものはなかった。続かないってやつはこれかなと少し思った。あとは悪い女に騙されたりして、普通に就職して、普通に偉くなってしまった」

 そう言いながら渡された名刺には、『部長』と書かれていた。悪い女に騙された話が気になったが、またの機会にすることにした。

「売れたいだろ、ヒットの法則を教えてやろう」

「売れたくない」

「強がるな。客席がガラガラだとさみしいだろ。それと年長者の助言は聞くものだ」

「ヒットの法則ってなに?」

「マイナーコード、以上」

「それだけかよ」

「ヒットの法則なんて分かるわけないだろ」私をからかう様は記憶の中の兄と同じだった。「でも、実は、売れるバンドは分かる。残念ながら、お前のバンドは売れない」

「もう解散した」

「売れるバンドのライブには、ファンが着飾って来てる。それはファンが本気だってこと。そのバンドには、そのライブには、それだけの何かがあるんだよ。気軽でない何かが。この間、お前の音は聞いてないけれど、並んでいる客は見た。みんな普通の格好だった。街を歩いていても、誰も振り返らないようなやつらばかりだった。売れるバンドではないと思った」

「だから店に入らなかったっての?」

「聞かなくても分かるから。身内の哀れな姿は見たくない」

 兄ながら、さらっと酷いことを言う男だなと思った。

 アンリ・コアンダ空港行の飛行機までは、まだ四時間もあった。

「空港でパソコンを開いたり、スマートホンをつなげたりはするな。恥ずかしい。心配しなくても、フランクフルトでは、いくらでも時間が潰せる。そこにはビールとソーセージがあるから」

 飛行機チケットやホテル代だけでなく、そのビールとおつまみ用のお小遣いまでもらってしまっているから、それに抗うつもりはなかった。

 兄とレストランで食事をした数日後、電話がかかってきた。

「解散して暇なんだろ。ちょっと用事を頼まれてくれない?」。

「暇じゃない。バイトがあるから」

「バイトなんて休めよ。自由に休むつもりがないなら、就職しろ」

 その数日後、ルーマニア行の航空券と小切手が送られてきた。兄の代わりにルーマニアに行って来いと。

 そこには様々な人種が集まっていた。混沌とした雰囲気は他でも味わえるが、混沌とした匂いはこの店独特だ。私はバイトを辞めたその足で、不良外国人が集まるクラブに向かった。私とルーマニアとに接点を求めようとすれば、ここしか思い浮かばなかった。

 客や従業員に手当たり次第、声をかけ、ルーマニア出身の女を見つけた。背が高くなく、切れ長の目に、色素の薄い髪と肌、あまり高くない露出度、日本人が好みそうな女だった。そういう国か、と一人を見ただけで判断した。

「ちょっと話をさせてよ」二人の間に割って入った。

 連れの日本人はカジュアルだがお金持ちというタイプだった。整った身なりが垢抜けなさを強調していた。男にはもちろん露骨に嫌な顔をされたが、気にしなかった。自己紹介すら交わす価値がないとお互いに一瞬で判断した結果だ。彼女も気にしないようで、軽く合図をして私について男から離れた。

「ルーマニアのこと、教えてよ」

「ナンパじゃないの?」流ちょうな日本語と濃厚でない香水の匂いから、彼女が日本を堪能していることが分かった。

「残念だけど違う。話を聞かせてくれればそれでいい。それに男連れだろ」

「彼はすごくいい人よ」

 日本に来ている外国人が良く言うセリフだ。要するにお金を持っているということだ。

「じゃあ今日の男は彼にしておけ。俺はルーマニアについて教えてほしいだけ。明日から行くから」

「話を聞く女は私以外にしてくれない?」

 離れていきそうになる前に彼女の腕をつかんだ。目じりにくっきり伸びたアイラインはタトゥーではなく化粧だった。まだ長いこと日本にいるのなら、それは控えめにするように教えてあげた方が良さそうだ。

「お土産、買ってくるからさ」

 大きなため息とやぶさかではないという顔が様になっていた。そこは日本人的ではなかった。

「ルーマニアに何しにいくの?」

「ちょっと野暮用で」

「仕事? なわけないか。何からお教えしましょうか?」

 ルーマニア語というものの存在をはじめて知った。イタリア語やスペイン語と近いらしい。次にはじまった夜の娯楽の話は途中で断った。女に興味がないと誤解されそうになったが、「違うか、その目は。目を見れば分かるのよ、男はシンプルだから」と言われた。

「音楽はやっぱりマレーネなの?」

 行きつけの楽器屋のバイトくんがルーマニアと言えばマレーネだと教えてくれた。哀愁漂う系のコード進行で昔のゲーム音楽みたいなハウスということだった。きっと嫌いですよ、と言われていた。

「マレーネ、懐かしい。若いころはマレーネ聞いて、浮かれて踊ってた。ああ恥ずかしい。いま聞いてもピンとこないかも。それと大人はみんな嫌ってた。上品な人たちの音楽じゃないのよ。こどもってそういうワルに憧れるから。だから意地になって聞いてたのかも」

 つくづく日本語が堪能、特にアクセントが自然だ。

「日本に来てどれぐらい?」

「何よ、ルーマニアについて教えろって言うから話してあげてるのに。結局そういう展開? あたしとルーマニアと、どちらをお教えしましょうか?」彼女は呆れる顔が得意のようだ。「もうすぐ三年かな。日本語がうまいからでしょ、みんなに言われる。もう飽き飽きよ、そのリアクションには」また同じ顔。飽き飽きはしていないようだ。

「失礼。耳が良いんだな。音楽やらない?」

「マレーネ?」

「パンクバンド」

「パンクに耳の良さが必要なの?」

 私はあるとき気づいた。空のジョッキを爪で弾いたら、ラの音がした。音を合わせるチューナーを取り出し、ジョッキに近づけてもう一度、弾いた。A、つまりラの音そのものだった。それが絶対音感というもので、それを自分が持っているとは。そのときはすでにパンクバンドをやっていた。「必要ないのか」

 ルーマニアと彼女と、両方に興味を持ちつつ、話を続けた。

「観光は? どこに行けばいい?」

「あなたに似合わないよ、観光なんて」

 彼女は酒に酔って耳まで赤くなっていた。ジンは何杯目か分からないほどではあったが、人種の割に酒には強くないようだ。

「ブクレシュティー以外で」ブカレストを彼女の発音に合わせた。

「Bショブかな」

「何があるの?」

「大して何もない。お金持ちの街、軽井沢みたいなところ。たぶん。行ったことないんだ、Bショブには。マレーネを聞いているガキが行って楽しいところじゃないから」

「マレーネから最も遠い街か」私も酔っていた。

「軽井沢は好き?」

「行ったことない」

「いいところよ」また例の褒め方だった。「何もなくて退屈なだけなんだけど、でもそれが贅沢」

「贅沢か」それに興味を持てなかった。彼女が興味を持っているとも思えなかった。

「思い出した、Bショブサインがある」それは山の上にBショブの文字が並んでいる、ハリウッド・サインのBショブ版らしい。

 それから、彼女は今から軽井沢に行く言い出し、辛抱強く待っていた男が呼びつけられ、男は彼女を真似たような呆れ顔でそれを了承した。私は明日からルーマニアだからと断った。

「あたしが軽井沢に行って、あなたがBショブに行く。人生って不思議ね」

 そしていま私は革命があった広場にて、三百六十度を元革命に囲われている。共産党本部、大統領府、大学、教会と、歴史ある建物が並んでいた。チャウシェスク大統領が演説を途中でやめたバルコニーを記憶にたどる。石を投げれば届きそうなほど近い。その建物の前は、いまは駐車場になっていた。歴史の真っただ中に立ち、感慨もこみ上げてくる熱さも軽かった。民衆の声も飛び去るヘリコプターの音も聞こえてこない。

 革命広場に革命の残り香はなかったが、街には革命の雰囲気があった。革命の空気感とういか、いや革命前の空気感というか、それを感じていた。ブカレストはルーマニアの首都だが、華やかさに欠けていた。銀座や渋谷と思しき通りを歩いていても、どこか息苦しかった。昨夜、空港からのタクシーで見た灯りの少ない風景が昼間もそのままだった。夜の印象が太陽の下でも変わらなかった。つい下を向きたくなり、下を向くと世界が閉じ、閉塞感が生まれる。これが東側の国の悪い側面なのだろう。これが革命への行動に向かわせる。革命感があった。


 ルーマニアの地に立って、パンクを感じないわけにはいかなかった。それは東側の国に独特の閉塞感だけではなかった。

 まずは言葉。ルーマニア語はスペイン語に似ていた。私はスペイン語であれば、日常会話程度は解した。スペイン語は日本人が発音しやすいことと同時に、パンクに合うのだ。パンクは英語よりも日本語やスペイン語に良く合う。しかしラテン気質はパンクには合わないから、スペインやイタリアではだめだ。国で言うならウルグアイがベストだと思っていたが、ルーマニアはそれ以上だ。

 そして服装の方向性もパンクだった。黒地に赤の使い方が絶妙だった。私は弟のために帽子とネクタイを買った。両方とも黒字に赤だった。特に細いネクタイは私の考える革命そのものだった。スーツや靴も見たがそれらはデザインが量産的すぎた。

 そして熱さこそがパンクだった。革命の熱さ、それも拳を突き上げるだけでなく、拳を握った熱さ、それをぶつける熱さである。一九八九年当時、ベルリン、プラハ、ソフィアは同じような状況であったが、ブカレストだけが武力に訴えた。そのときの書物には、革命とは空気だと書いてあったが、それは間違いだ。革命とは気質だ。いまもルーマニアは革命気質なのだ。つい半年ほど前にも、ライブハウスの火事で死者が出て、それが反政府デモにつながった。ライブハウスの火事から政府批判つながっていく、その思考論理が私には全く理解できないが、事実として二万人のデモが起きている。そういう気質を持った国なのだ。サッカーのファン同士の衝突が反政府デモになったこともあった。

 半年前のデモで掲げられていた中央に穴の開いた国旗は一九九〇年のときと同じだった。それに憧れるには年を取りすぎていて、そしてその火事自体があまり他人事ではなかった。そのライブハウスの火事で一人の日本人が死んでいた。それが私の弟だ。


 私は十五分遅れるらしい電車を待ち、Bショフに向かおうとしていた。

 なぜわが弟は縁もゆかりもないBショフに葬られているのか。そして誰だ、勝手に弟の墓を作り勝手に埋めたのは。供養としては有難い話ではあるが、墓参りが遠すぎる。

 犯人の目星はついている。日本語の達者なルーマニア女が弟の後を追ってルーマニアに戻ったらしい。私がいかがわしいナイトクラブで女のことを聞いて回っていると、「あんたも騙されたクチか?」と汚い英語と下品な口元で対応される、そんな評判の女だ。わが弟ながら情けないが、パンクバンドよりは、悪い女に騙される方がまだ理解できた。バンドとは分別を理解してしまった大人がやるべきものではない。バンドとは、若いころの衝動だ。パンクなら尚更だ。それに気づき、私は二年と経たずにバンドを辞めた。そのセンスからすると三十六にもなってパンクバンドというのは、信じがたかった。だからライブハウスに会いに行ったのだ。

 相手が女なら、年に関係なく衝動的であっても悪くはない。🅱

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