今日は月がきれいだから

「うわ、見てよ、星路せいじ。あれはなくなーい? 顔と髪型まったく似合ってないって」


 目の前で、甘ったるいキャラメルラテを飲みながら鈴音すずねが笑った。


「どれ?」


 なんとなく、話を合わせる。


「あれだよ。あのピンク。メイク下手すぎ。もうちょっと盛ればいいのに。だっさ」


 くすくすと人を小馬鹿にして笑う女。それが俺の彼女。こういうのを、何度聞かされたか分からない。

 だから、俺は今日こそ別れを告げることにする。

 テラスの隅の丸いテーブルで、指を組んで真剣に、ゆっくりと口を開いた。


「鈴音、別れよう」

「は?」


 笑ったままで止まる。彼女は大きな目でまばたきをした。やがて、ヘーゼルのカラコンが非難がましく俺を睨む。


「別れよう。俺、お前のそういうとこ、マジで無理だわ」

「はぁ? 意味わかんない!」


 意味わかんない、とか。よく言うよ。まぁ、分かるわけないか。


「じゃ、バイトあるから帰るよ。バイバイ」

「ちょっと! 待ってよ、星路!」


 シザーケースを仕舞ったカバンを持って、席を立つ。そして、鈴音の顔を見ないままさっさと歩く。後ろから罵倒が聴こえるけど、それを無視してバイト先のファミレスへ直行。

 あー、スッキリした。これでしばらくはコンテストに専念できそうだし、スランプ気味だったから丁度良かったかも。人の欠点ばっかり見て、それをさも面白そうに話のネタにする悪趣味な女から逃げられる。

 一年は続いたのだから、時間の無駄だったかもしれない。でも、清々した。



 ――と、思っていたのも数時間きりだった。


「うわ、今日の吉田くん、めっちゃ暗いね。どうしたん?」


 バイトリーダーの深沢さんが早速冷やかしてきた。

 ホールで客を待っている時間。今日は客足が少ないから忙しくない。その分、余計に頭で考える時間が多い。


「いや……あの、今日、彼女と別れまして」

「えー! マジで! なんで、どうして!」


 たちまち、深沢さんの顔がすごく晴れやかになる。

 言いたくねぇ……でも、言いたい。悩むくらいには後悔してる。


「……彼女の性格が悪すぎて。あいつ、人を馬鹿にして生きてるような女だから、ムカついて、別れました」

「呆気ない! でもまぁ、性格きついんならしょうがない。もったいないけど」

「そうなんですよねー……ちゃんと話し合えば、分かってもらったかもしれない」

「うんうん。今からでも遅くないよ」


 そう言って背中をバンバン叩いてくる。慰めているようだが、顔は明らかに面白がっている。こいつ、人の不幸が好きなタイプか。ろくなやつがいない。


「しかし、美容師専門学生って、やっぱプライド高いものなのかねー。見た目とかファンキーな人多いし、よく行く美容院の美容師さんも、内心では俺のこと『くそダセェ』って思ってたりすんのかな」


 深沢さんが俺の髪を見ながら言った。

 アッシュカラーの中でもトーンは暗い。他の人に比べたら地味な方なんだけど。色抜いてるから、そう見えるのかも。


「さぁー、どうでしょうね。俺はともかく、彼女はそういうタイプだったけど。まぁ、遠藤さんみたいな何のケアもしてないもっさりした感じだと、ちょっと『うわぁ』って思いますね」


 今日はまだ来てないけど、数時間後にやってくるであろう遠藤月奈つきなは一つ年下の女子大生。自分に無頓着なのか、いつももっさりとした格好で現れる。

 いつも着古したバルーンスカートに、毛玉がついたセーター、髪の毛は一度も染めたことがないナチュラルな黒。それが傷んで、もさもさしている。

 そんな彼女を例に出せば、深沢さんは「あー、なるほど。分かる」と苦笑いした。


「やっぱ、そういう風に見てんだねー。あぁ、怖い怖い。街歩けない」

「何もそんなヤツばっかりじゃないですよ。むしろ、そういうオシャレに無関心な人こそやる気が出ると言うか」


 言うと、深沢さんはニヤリと笑った。


「やる気ってどっち?」


 その発言に顔をしかめて笑いつつ、なんとなく考える。


「綺麗にしてやるってのと、付き合うののどっちか? その人によるけど……可愛くなればワンチャンありかな」

「まぁ、そうだよねぇ」

「ですねぇ」


 結局、人を見た目で判断してるんだなぁ、俺も。

 あーあ、余計に傷口が開いた気がする。



 その日は本当に暇だった。これで時給もらっていいのか、というくらい何もしてない。

 ハプニングと言えば、遠藤さんが客に怒られていたことくらいかな。何をしたのかは分かんないけど、深沢さんがうまくフォローしたっぽいし。

 それに、俺はやっぱり鈴音のことを考えていた。

 ふった手前、連絡するのは気が引ける。なんか、情けない。やっぱりもう少し話し合おうって言えたらいいのに、したくない。

 鈴音は、他人を軽視しなければいい女だった。同じ学校で、課題とか実習とか一緒に行動することが多くて、気が合うから仲良くなって。それにあいつの腕とか、スタイリングとか、センスとか、夢に打ち込むひたむきさとか、好きだった。俺はそこまで腕が良くないから尚更、憧れた……んだけど、あぁ、ダメだ。やっぱり連絡しようかな……。


「おつかれさまー。先に上がるけど、あと頼んでいい?」


 閉店した店の中、深沢さんがパントリーから顔を覗かせる。

 ホールには俺と遠藤さんが掃除をしているだけ。彼女はテーブルを片付けていて、深沢さんの声に気づかない。


「あ、いいっすよ。お疲れ様です」

「うん、じゃあ、頼んだよ。おつかれー」


 手をひらひら振る深沢さん。それにようやく反応した遠藤さんが慌てて「お疲れ様です!」と声を張り上げた。そして、ぐったりとテーブルになだれ込んだ。


「えっ? ちょっと、遠藤さん?」


 動かなくなった彼女に慌てて駆け寄る。

 一つに結ったもっさりの髪はツヤがない。疲労感が漂っている。


「遠藤さん? 大丈夫?」


 恐る恐る声をかけると、彼女はむくむくと起き上がった。良かった、生きてた。


「吉田さぁーん……すみません……あの、なんか、食べ物持ってないですか」

「は?」


 突然の要求に頭がついてこない。


「え? 何?」

「食べ物……私、ここ三日まともに食べてないことに気が付きました……」

「はぁっ?」


 思わず声を上げるくらいの衝撃だった。多分、彼女をふった以上の。


 ***


 とにかく急いで店を閉めて、ぐったりとしたままの遠藤さんを引っ張って、スタッフルームに行く。


「さっさと着替えて。頑張ってよ、飯おごってやるから」

「うぉぉ……ありがてぇ。めちゃくちゃありがてぇ、天のお恵みだぁ」

「ふざけなくていいから」


 まったく、どういうつもりだこの女。三日まともに食べてないって、人間やめてるとしか思えない。

 遠藤さんは拝みながら女子更衣室へ引っ込んだ。そして、すぐに出てくる。


「お待たせしました! 行きましょう、ごはん!」

「まだ俺が着替えてねぇよ。ちょっと待って」


 サロンを外しながら、タイムカードを押して、ホールのエアコンやら照明やらを点検。電気、ガス、その他の点検も怠らず。それから更衣室で着替えて出る。

 ちなみに、遠藤さんはスタッフルームのベンチに座っていた。お前も仕事しろ。


「どこ行きますか! ごはん! 今の時間って、どこがあいてますか!」


 ごはんを食べるからか、充電が行き届いたみたいに勢いよく話す。そんな遠藤さんに、俺は残念なお知らせを告げた。


「コンビニに行こうかと思ってたんだけど」

「は、コンビニ……」


 時が止まったように動かなくなる。

 そう分かりやすくへこまれると、悪いことをした気分になるだろ。


「俺だって給料前なんだから、あんまり金ないし」

「そうですよねぇ……すみません……はぁ」

「……デザート、つけてもいいから」


 特になんの慰めにもならないけど、一応言っておく。すると、彼女はぱっと華やぐような笑顔を見せた。飾り気のない素朴な顔が嬉しそうに笑うから、照れくさくて目を逸らした。


「よし、それじゃあ行こう」


 二人でファミレス近くのコンビニへ行く。

 遠藤さんはお弁当とゼリーを選んで、申し訳なさそうに笑った。三九八円の幕の内と一二〇円のグレープフルーツゼリー。強引にねだる割には謙虚で安価なので拍子抜けだった。


「これでいいの? ロールケーキとかプリンもあるけど」

「いいんです。ゼリー、美味しいから」

「ふうん」


 ま、いっか。思ったより安く済んで。

 俺も小腹が空いたから、肉まんとお茶を選んで一緒に購入。そう言えば、彼女は水筒を持参しているらしく、水は水道水でどうにか賄っているらしい。本当に頓着がない。

 コンビニから道路を渡って、向こう側に小さな公園があるから、そこで食べることにした。

 ベンチに並んで、彼女は早速弁当を開ける。水筒の水も用意して、手をしっかり合わせて「いただきます」と微笑んで。パキッと割り箸の乾いた音が、静かな夜の公園に響いた。


「うーん、美味しい! がんもなんて久しぶりに食べた! ごはん美味しい!」

「そりゃ良かったよ。急ぐと喉に詰まらすから、ゆっくり食べな」

「はい!」


 肉まんにかぶりつきながら、彼女の食いっぷりを見た。

 本当に食べてなかったのか、いちいち味の感想を言いながら口に運んでいく。コンビニの弁当が、まるで高級食材かのように美味しそう。


「……ところで、なんでごはん食べてないの? 金がないから?」


 訊くと、彼女はギクリと肩を上げた。食べるペースを落とす。


「はい……私、芸大に行ってるんですけど、お金かかりすぎて。一人暮らしだし、でも自炊も面倒なので、ごはんもお風呂も洗濯も化粧も、そんなことしてる暇あったら絵を描きたいので」


 やっぱり人間やめてる。呆れて言葉がうまく出ない。

 何も言えずに空を見上げると、明るい満月が飛び込んできた。街灯の明かりかと思ったら、月がすごく近い。


「結局、バイト代も道具にいっちゃうんで、そのためには稼がないとなんで、バイトは続けますけど。でも、本当はその時間もひたすら絵を描いてたいんです」


 話が続いていた。「へぇぇ」と、慌てて相槌を打つと、彼女も空を見上げた。


「……月が、きれいですね」

「うん」

「特に深い意味はないですけど」

「いや、告白的なシーンじゃないでしょ、今」


 月がきれいですね、というその意味はなんか聞いたことがある。「I love you」を訳したものだって。

 ただ、幕の内弁当をむさぼる野生女子に言われても、全然ロマンチックじゃない。


「あの月、描きたいなぁ……目に焼き付けとこう」


 じぃっと満月を見つめる遠藤さん。そう言えば、彼女の名前は月奈だった、なんてことをふわっと思い出す。


「なぁ、遠藤さん」

「はい?」


 彼女はこちらを見ない。もっさりとした黒髪が風に揺れるだけ。傷んでツヤのない髪。きれいじゃないから、月夜の晩に見ても全然楽しくない。


「そんな感じなら、当然、美容院にも通ってないんだろ?」

「ですね。美容院なんて行く暇もお金もないですし」

「暇があったら絵を描きたい?」

「そりゃあもう。描いて描いて、ずっと描いてたい。私は、それだけが楽しいんです」


 月を目に焼き付けて、俺が買った弁当にはもう見向きもしないで静かに言う。

 それを見ていると、なんか悔しい。そうやって無頓着でいられると、俺の悩みがバカバカしく思えて、腹が立つ。


「そっか……だったら、俺がやりたい仕事もあんたには無意味なんだなぁ」


 遠藤さんは「へ?」と首をかしげて、ようやくこちらを見た。


「俺、美容師になりたいんだけど」

「はぁ」

「でも、あんたみたいなヤツがいると、やってらんねぇなって思うわけ」

「んん? そう、ですか」

「そうだよ。だって、人をきれいにするのが仕事なのに、そういうの興味ないって言われたらへこむだろ」

「ほぉ……そういうものですか……まぁ、そうですね」


 彼女はなんだか寂しそうに目を伏せた。そして、箸で米をつつく。


「そうです。今日、お客さんに怒られたんですよ、私」

「あぁ、あったね。そう言えば。あれ、なんで怒られたの?」

「ただ、お水を追加しに行っただけなんです。でも、多分、私が元気なかったのがいけなかったんですかねー……ブスは接客するなって言われました」


 途端、息が詰まった。声は軽いのに、言葉が重すぎて釣り合いが取れていない。

 彼女はなおも笑う。


「まぁ、その通りなんですけどねー、やっぱり面と向かって言われたら辛いですよねー。すっぴんだし、髪はゴワゴワだし、可愛くないし。でも笑って、すみませんって言えば許してくれました」


 そんなことを、至って何事もないように笑って。

 数時間前までも俺や深沢さんも似たようなことを裏で言っていた。鈴音のことをあれだけ嫌がっておきながら、自分も同じことをしていると気づいて、へこんで。

 でも、今、彼女から言われたものの方が遥かに破壊力があって、罪悪感と後ろめたさで居たたまれなくなった。


「ほら、お客さんだっていろいろいるじゃないですか。向こうは悪意はなくて、ただ自分が不快だから言っちゃうの、よくあるじゃないですか。慣れてるから、別にいいんですけど」

「良くないよ」


 聞きたくなくて、かぶせるように言った。思わず言葉が飛び出していた。

 口の中に残った塩気を飲み込んで、ペットボトルの緑茶を喉に流し込んで、息を吐く。


「慣れちゃダメだよ。そんなだから、自分のことはどうでもよくなるんだろ」

「あー、的を射てる……その通りですねぇ」

「諦めるなよ。まだ、なんにもしてないくせに、諦めたらダメだよ」

「でも……もう遅くないですか。私、十九歳ですよ。嫌なことを言われた時代に慣れすぎて、傷もつかなくなったんですよ」

「遅くない」


 なんでこんなに意地になってるのかは分からない。でも、なんとかしたいという気持ちだけは自覚している。

 俺は、カバンに入れていたシザーケースを出した。ハサミ、きバサミ、コーム。簡単な道具しか今は持ってないけど。


「俺がきれいにしてやるから、諦めるな」


 ***


 鈴音や、他のクラスメイトに追いつけない理由は分かっている。スタイリングのセンスもいいし、先生からのウケもいい。実習先でも、特に鈴音は講師の美容師から褒められていた。

 カットの腕だけじゃなくて、センス、知識、言葉、機転、接客、あらゆるものが要求される。その現実を知って、怯んでしまった。自分にできるのか分からなくなった。

 ただ、コンテストに出場さえしていればいいとか、そのうちできるようになるだろうとか、手順さえ覚えればいいとか。そんなことを考えて適当にしていたら、ますます誰からも見向きされなくなった。それが嫌で、頑張ろうと立ち直っても、やっぱり上手くいかなかった。意欲が足りない、努力が足りない。平凡で普通だと言われて、もうすぐ卒業。進路だって決まってない。

 そんな中途半端なヤツが「諦めるな」と他人に説教しているのがおかしくて、笑える。

 遠藤さんもつられて笑って「じゃあ、お願いします」とあっさり承諾した。それもまたおかしくて、呆れて、笑って。

 月色のグレープフルーツゼリーまでしっかり食べてから、カットを始める。

 彼女の首に持っていたタオルを巻いて、即席のビニール袋のエプロンも巻いて、月明かりだけで髪を切る。彼女が持ってきた水で濡らして、傷んだ部分にハサミを入れて、梳いて。慎重に。

 小気味良い、リズミカルな音に慣れてきた頃、ハサミの銀色が月明かりに反射した。


「なんか、本物の美容師さんみたいですね」


 遠藤さんは恥ずかしそうにも、明るげに笑いながら言った。


「美容師志望だからね」

「そうでした。でも、普通の美容師さんはこんなことしませんよね?」

「さぁ? 好きな子にはするんじゃない? さすがにこんな夜の外で、即席で髪を切る人なんていないだろうけど」

「ですね。ふふふ。なんか、楽しい」

「そりゃ良かった」


 本当はシャンプーから入って、きちんとしたかったけど。

 でも、今、なんとかしたいと思ったから。

 濡れた髪にハサミを入れて、細かく丁寧に、整えて、それだけでも見違える。きれいにする。

 伸ばしっぱなしの前髪を、飛び跳ねた毛先を、一つ一つじっくりと見ながら。顔を近づけると、彼女は目を閉じて口も結んで、怖がるように黙り込んでいる。それを見ていれば、段々と恥ずかしくなってきて、思わず目を逸らした。


「……うん、これで少しはよくなったと思うよ。ただ、応急処置みたいなものだから、まだまだなんだけど」


 毛先が濡れたままだから、完全な完成形ではない。きれいにすると言っておきながら、やっぱりこんなものか。鼻や頬についた髪の毛をブラシで優しく落とすと、彼女は恐る恐る目を開けた。

 鏡を渡して見せる。すぐに、「おぉ」と感心の声が漏れてきた。


「こんなに丸くなるんですね、私の髪って」

「結構、外に飛び跳ねてたからなぁ……きちんとトリートメントして、乾かしてケアすればこのままでいられると思うよ」

「そうなんですね! うわぁ、さすが美容師志望。吉田さん、ありがとうございます!」


 ふわっと柔らかな表情が月明かりを浴びる。自然な風が丸い毛先のセミロングを揺らした。

 明るく嬉しそうな笑顔が、とてもきれいだと思えたのは多分、月明かりのせいじゃない。


 ***


 翌日、彼女はどうやらきちんと言いつけどおりヘアケアをして出勤してきた。

 セミロングの髪はサラサラで、ツヤも戻っている。化粧っ気はなく、服も着古したものだったけど、何かが違うと思うのは何故だろうか。髪型が変わるだけで、こうも印象が変わるものか。

 あれ? 結構、いいんじゃないか、あの髪型。即席で切ったにしては悪くないような。


「なんか、遠藤さん、どうしたんだろ。昨日までの野暮ったさがないんだけど」


 俺の横で深沢さんが怪しむ。


「おはようございまーす」


 制服に着替えた遠藤さんは、サラサラの黒髪をなびかせて笑った。


「おはよう、遠藤さん。髪切った? 可愛くなったね」


 調子のいいことを言う深沢さん。そんな彼の下心に気づかない遠藤さんは「そうですか? 似合いますか?」と食い気味で言う。


「似合ってるよ。いいじゃん」

「えへへー! ありがとうございます!」


 ご機嫌な遠藤さんは、それからもずっとニコニコしっぱなしで顔が緩んでいる。

 そんな彼女を見ていると、深沢さんが言った。


「今までそんなに思ってなかったけど、遠藤さんってもっとオシャレすれば可愛くなるんじゃないかな」

「かもしれませんね。まぁ、本人は興味なさそうですけど」

「うーん、もったいない。でも、普通にイケそう」

「ダメですよ、それは」


 つい、口調がきつくなる。深沢さんは目をぱちくり開いていた。


「え、何、吉田くん、まさか遠藤さんのこと……」


 黙秘する。だって、自分でもよく分かってないから。

 無視して深沢さんから逃げると、今度はパントリーで遠藤さんと鉢合わせた。


「吉田さん、吉田さん」


 背が低い彼女がつま先立ちになって、俺を見上げる。


「何?」

「可愛いって、人生で初めて言われましたよ!」

「それは……良かったね」


 嬉しそうで何よりだけど、でも、なんか癪だ。彼女が可愛くなると、なんか、困る。

 そんな俺の複雑な心境を、遠藤さんはまったく気づかない。


「またきれいにしてくれますか?」

「……気が向いたらね」

「えぇぇぇーっ! 昨日はきれいにしてやるって言ったくせにー!」

「うるさい! 自分でも頑張れよ。そこは」

「うへぁ……」

「なんで嫌そうなんだよ……でも、まぁ、まだ興味がないんなら、手伝ってもいいけど。俺でよければ」


 段々と声が小さくなる。それでも、しっかり聴こえていたのか、彼女は満点の笑顔で「はい!」と返した。


「あ、そうだ。昨日見た月を描いたんです」


 目に焼き付けていた月か。たしかに、あの満月はきれいだった。

 遠藤さんはスタッフルームへ走って、自分のスマホを持ってくる。アルバムを開いて、見せてくれた。

 淡く丸い黄色は、昨日見たそのまま。発色のいい黄色と、深い青のコントラストが、


「……きれいだ」


 昨日言えなかった言葉が、思わずこぼれてしまった。

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