猫屋敷
あんた、鍋島の化け猫騒動は知ってるかい。猫に怪談ときたらテッパンな話さ。
さわりだけ言えば、昔、肥前国佐賀藩主、鍋島光茂が機嫌を損ねて臣下を斬殺したとこから始まるんだが。
その殺された臣下、又七郎というんだが、これの母親が息子の死を嘆き自害したという。飼い猫に恨みを聞かせて死んだんだと。
すると、その猫が母親の血と恨みを吸い取って光茂を夜な夜な苦しめた。言わずもがな、そいつが化け猫だ。
しかし、この化け猫は退治されてしまった。結局、恨みは晴らせなかったんだな。又七郎も母親もさぞ無念だったろう。
で、ここからが本題。
この鍋島の化け猫騒動みたいな話がこの近くにもあるんだってよ。もっとも、内容は男女のもつれが原因で死んだ男の恨みが猫に乗り移ったってことなんだが。
あぁ、オチを先に喋ったら面白くないな。まぁ、そういう話。噂だから本当に化け猫がいるのか分からないけどな。ちょっと行って調べてみようや。
***
バス停で待っていたらそんなことを話すおっさんに、俺は不審を抱きながらも逡巡した。腕時計を見れば、バスの停留まであと30分近くある。暇だった。町から離れた場所で、Wi-Fiも通ってないからスマホを眺めておくのもなんだし、と。
人の不幸を楽しむような笑顔を貼り付けたおっさんは、数十分前からここに居座っている。そして、こちらも暇だからと俺にべらべら話しかけるのだ。まぁ、暇だから話にのってはみたけれど。
さて。
黄昏時に心霊スポットへ赴くというのは、恐怖心を駆り立てるも何かしらの高揚がある。気分はイタズラを思いついた子供のごとく、おっさんの後ろをついて行った。
周りは枯れたススキや猫じゃらしが生えていて、アスファルトの道路とガードレール。民家があるようには思えない山道である。
「本当に近くに家があるんですか」
「あるある。猫屋敷って言われてんだ」
「へぇ。この辺、よく通るけど知らなかったなぁ」
「ちょっと奥まったとこにあるんでね」
「しかし、なんでまた私を誘って行ってみようなんて」
「あんたは心霊スポットに1人で行ったりするのかい」
愚問だったと、俺は薄く笑って「いいえ」と返した。おっさんは「だろう?」と愉快に笑う。
「こっから降りりゃ、もうすぐさ」
丸顔はニヤリと笑いながらこちらを見る。そして、道路の脇道を指差した。固いアスファルトではなく、荒れたあぜ道。道はもはや道とは呼べず、長いこと手入れがされていないことが分かった。
とにかくまっすぐ、おっさんの丸い背中を追って歩く。すると、背中越しにまたいかにも出そうな、古家が見えてきた。二階建ての、木材とコンクリの壁、そして瓦屋根。
「築4、50年くらいか。まあ、そんなもんさ」
おっさんの言う通り、町ではもう見かけないタイプの家。玄関の脇には駐車場がある。車一台入るような。その上に二階がある。
「これが猫屋敷……」
「そう。妻の不貞を恨み、自殺した旦那の霊が猫に染み付いたんだとよ」
おっさんは淡々と言った。
「20年前くらいの話かね。優しく家庭的な愛妻家だった夫を裏切って、妻は町の男と逃げたらしい。で、残された夫は飼い猫に恨みつらみを話した。耐えきれなかったんだろう。夫は自殺した。だが、死んでも死にきれなかったのか、その恨みを晴らすため猫に取り憑いて、町で妻を探して首元をカッとね。やったのさ」
おっさんはない首を持ち上げるように顎を逸らして、首を引っ掻く動作を見せた。
「そんで?」
俺は家とおっさんを交互に見ながら先を促す。
「深く爪が入ったらしい。しかし、妻は死を免れた。ただ、傷は残ったろうよ」
「ふうん」
復讐話はそれで終わりか。わざわざ件の家へ来て話をしなくても良いだろうに。
つまらない態度を悟ったのか、おっさんはニタリと口の端を横へ伸ばして俺に笑った。
「話はまだ続きがある」
そうこなくちゃ。
今のところ、この民家で悲劇が起きたことしか分かっていない。化け猫がいるのかどうかも分からない。
「妻は毎晩、悪夢に悩まされた。猫がくる、猫が睨む、猫が鳴く、ってうなされてなあ。ほら、鍋島の化け猫に似てるだろう? 妻は猫が、かつて世話してたものだと気づいた。なんとなく、旦那に何かあったんだと悟る。だから、こっそりと数年ぶりに家へ戻ったんだ」
俺はごくりと息を飲んだ。その喉を見やりながら、おっさんはまたも不気味にニタリと笑った。
「ちょうど、あんたが立ってる場所だろうな。女は家の前で立ちすくんだ。だって、家のあちこちに猫の光る目玉があったんだから」
四方八方、飢えた獣のように爛々と光るものが無数に開いた。それは家の外、中にも。
「ミャーオ」
おっさんは笑みをそのままに、甲高い音を鳴らした。
陽が暮れた刻、一筋の冷風が背を舐める。それは恐怖を抱かせるに十分で、この薄ら寒い場所から一刻も早く離れたくなった。だが、足は棒になったようで動かない。蛇に睨まれたカエル、いや、猫に睨まれたネズミか。
「――化け猫、いねえな」
俺から目を逸らしたおっさんが残念そうに言う。猫はあちこちに潜んでいるというのに、随分と呑気なことを。
「その女、どうなったと思う?」
「どうなったって……」
想像もつかない。だって、今にでも猫たちは飛びかかってきそうなのだから、考えている余地などない。
「女は、その場から動けなくなった。猫に睨まれて、ビビっちまって。ゴロゴログルグルと獰猛に喉を鳴らす猫たちが一斉に女を見つめていた。こんな風に」
その言葉と同時に、猫の甲高い鳴き声が一斉に辺りを埋めた。可愛げの欠片もない獣の威嚇。
「そして――」
そして、
「一気に襲いかかったのさ」
喉が「あっ」と絞った時には、光る目玉が眼前にあった。鋭い爪が皮膚をえぐる。俺は悲鳴もあげられず、ただただ逃れようとあぜ道を戻った。体にまとわりつく猫を払い、もつれそうになりながらも走る。
猫はすばしっこく、すぐに追いついてくる。踏んでも構わず走れば、ようやく道路へと飛び出した。猫は茂みに隠れているようで、まとわりつくような息遣いと喉の音が響く。急いでその場から離れて、元のバス停まで行けばようやく安堵の息を吐いた。
猫の気配は薄れている。
「はぁ……なんだったんだ、今の……」
ベンチになだれ込み、痛む体を見やれば、猫に掻かれた細長い傷や身をえぐったような痕を見た。それはどうも全身あるようで、チカチカと首筋にも痛みが走る。手をあてがってみれば、ぬるりと血が手のひらにくっついた。
くそ。これを放置したらマズイだろうな。
「――やぁ、災難だったねぇ」
丸顔のおっさんがひょっこりとバス停に現れた。
「まま、そう怖い顔しなさんな。たかが猫のひっかき傷だ。洗えばなんとかなるだろ」
楽観に言うけれど、俺は警戒の糸を緩めない。だって、このおっさんは無傷なのだ。まるで、あの猫たちは俺だけを襲ったかのように思える。
大体、数が多いからといって野良猫が人間に襲いかかるのだろうか。動きの鈍い頭を回し、俺はおっさんを睨みながら言ってみた。
「あれ、もしかして、あんたの猫?」
その拙さを笑ったのか、おっさんはニタリニタリと口の端を伸ばして目を細めた。
「いんや。猫は自由なものさ。ただ、恨みの対象には容赦しないってだけで」
「はぁ?」
恨みの対象……なんで俺?
訝っていると、おっさんは俺が座っている横に腰をどっかり落とした。
「恨みってのはな、続くものだよ。たとえ、女が猫に襲われて食い殺されたとしても、その種はまだ息づいている。それが絶えるまで続く。執念深い男の恨みを吸い取った猫も、やがては子を成してどんどん増えていく。それがあの猫たちだ。鍋島の化け猫は退治されたからそこで終わったが、あの家に棲む猫はまだまだ増えていく。恨みを分離させてどんどん、どんどん、どんどん増えていく」
遠くからバスのエンジン音がやってきた。
おっさんは「お、バスが来たようだ」といやに落ち着いていて、それがまた恐怖を煽る。
「こ、子供は、関係ないだろう、そんなの」
思わず口走った。情けなく声は震えていて、バスの中へ早く乗り込みたかった。
おっさんは顎を掻いて唸る。そして、細い目をすっと開いた。
「それは猫の子供かい? それとも、女の子供かい? まぁ、どっちにしても親が撒いた種だからな……仕方あるまいよ」
バスが目の前に停まる。俺はそそくさと乗り込む。おっさんは動かずに、俺をじっと見つめていた。その目の瞳孔が猫のように縦に伸びている気がしたけれど、見つめる気にはなれずにバスの中へ逃げ込んだ。
見てる。窓の外からじっと見ている気がする。
――恨みだって? 冗談じゃない。
確かに、母親は子供の頃に行方不明になったけれど、それと今のことはまったくの別……な、はずだ。
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