遠い春

風見 春悠 様


拝啓

 花便りも伝わる今日この頃、いかがお過ごしですか。お元気でいらっしゃいますか。

 春悠様、と書くのは気恥ずかしく、やはり昔のように「先生」とお呼びしますね。

 春悠先生とお別れをして、もう十五年の月日が流れてしまいました。早いものですね、時間というのは。子供の頃の私は、早く大人になって先生に追いつきたかったのに、今では出会った頃の先生と同じ歳になっています。

 周囲の大人から「二十歳を超えると早い」と言われた意味を噛み締めているところです。こんなことを言ってしまったら、先生は「まだまだ子供だよ」だなんて言うのでしょうね。

 初めて会った時から優しく穏やかで落ち着きのある人でしたが、段々とそれは違うのだと感じ始め、お茶目でお菓子が大好きで、私が作ったクッキーを「苦い」と素直に言ってしまう、面白い人だと今では微笑ましく思い返します。

 初めて会った時のこと、覚えていらっしゃいますか?

 学校に行きたくなくて、校門前で立ち尽くしていた私に声をかけてくれたんです。当時の私は、小学四年生。まだ十歳になる前です。知らない男の人だ、と警戒して学校に飛び込んだ記憶があります。後で、先生が近所の図書館司書だと知り、悪いことをしてしまったなと反省しました。

 確か先生はあの時、私にこう言いましたね。

「学校に行きたくないのなら、図書館においで」と。

 それまで「学校に行くな」と言う大人なんか見たことがなかったもので、悪い人なのだと疑ってしまったのです。

 どうしてもクラスで馴染めず、それでも学校に行かなきゃいけないのは苦痛で、つまらないことを進んでするのは気が乗らなくて……ワガママな子供だと当時は自分を責めたことが多々ありました。それでも、先生は「学校嫌いのワガママ」な私を優しく暖かく迎えてくれた。恐る恐る図書館へ行った時のことをよく覚えています。


 本の読み方を教えてくださったのは春悠先生です。毎日、通ってはたくさんの本を読みました。先生オススメの本も教えてもらい、一日で読み終わったことも。その時の先生はカウンターに頬杖をついてにっこりと私に笑いかけてくれました。

「もう読み終わったの? 早いね」「おつかれさま」「えらいえらい」と頭を撫でてくれて、それがとても嬉しくて、また頑張ろうと思えました。

 先生と本の感想を言い合うのもとても楽しく、夢中になってお話をしていたことを今も忘れません。

 仲良くなっていくと、先生は私にあまり格好をつけることがなくなりましたね。それまではみんなと同じように接していたから、物静かで優しい「図書館の司書」という肩書がかかっていたのですが、私の前ではそそっかしく、本を落としたり居眠りをしていたりと自然な「風見春悠」を見ることがありました。先生ったら、そんなに格好よくないんだなぁと子供の私は失礼にもそんなことを考えていました。

 でも「みんなには内緒ね」と焦った顔で言われてしまえば、私はそれが特別に思えてしまうのです。言いたいけれど言えない。先生と私の秘密、みたいで。同級生の子がどこのクラスの誰が好き、だとかそんな話をしていましたが、私には無縁だと考えていたのでもしかするとこれが異性を好きになることなのではないか、と女の子らしい夢見がちな思いが膨らんでいったことも確かです。あぁ、恥ずかしいですね。こんなことをさらけ出してしまうのは。手紙なのでお許しください。


 そう言えば、先生のお名前を伺ったことがありましたね。その時、私は「先生の名前、難しいよ」とむくれていました。そんな私をからかうように笑って、先生は私の自由帳に名前を書いてくれました。

「かざみはるひさ、簡単だよ。風見春まではもう習ってるでしょ。悠という字を覚えるには、そうだな……書いて覚えるしかないかもね」

 適当な答えですね。一言一句は違えても、こう言っていましたよ。

 この時、私は学校で二分の一成人式が行われようとしていたんです。十歳までの自分の記録を絵本風に自分で作る、という。そんな授業を毎日五時間目に行われていました。その際、自分の名前の由来を調べなくてはいけなかったんです。私はお父さんと二人暮らしでしたから、聞こうとしてもなかなかお父さんとお話する時間がつくれませんでした。みんなが自分の名前の由来を楽しげに話し合っているのを見ていると、怖くなってしまったんです。

「もし、私の名前に由来がなかったらどうしよう」と。

 お父さんは答えてくれるのか、教えてくれるのか、そんな不安がもやもやと胸の中で溜まっていって、また学校を早退したり欠席したりで。ワガママな子供なんだろうな、と自分を責めてしまう。だから、私は先生に会いたかった。そして、先生の名前を聞きたかった。

「春に生まれたから、という理由がほとんどだと思うんだけどね、この悠という字は『悠か』とも読むんだよ。どこまでも続くという意味。ゆっくりとゆったりとした春、ってことかな」

 素敵な名前だと素直に思いました。とても綺麗で、心地よい春のような人だと。先生にぴったりな名前で羨ましかったです。

「千春ちゃんの名前もすごく可愛いと思うよ」

 いつもの軽口ですね。そうやって私を甘やかして……現に飴玉を渡していましたよね。イチゴ味のキャンディーばかり持ち歩いていましたが、今もポケットに入っていたりするんでしょうか。

 しかし、私の名前に意味などない気がしていたので「そんなことない」と素っ気なく可愛げもなくむくれたような気がします。

「千春の千はそのままの意味で千。長い数だよね、千は。千の春。長く続く春。どこまでも続く春だ。ということは僕とそっくりだね」

 この言葉は、今も忘れられません。私の名前に意味をくれた、と言えば大袈裟に聞こえてしまいますが、それくらいに私の中では大きな存在となっていました。

 おかげで、二分の一成人式はそれを使うことに……勝手に使ってしまいました。事後報告ですみません。結局、お父さんに聞けなかったんです。いつも仕事で忙しく、お母さんが亡くなった後も大変だったろうに、朝から晩まで働いていたんです。帰ってきてすぐに眠るお父さんを起こしてまで聞けるはずがなかったんです。だから、先生を頼ってしまいました。本当にごめんなさい。ありがとうございました。


 それからまた時が過ぎ、二学期も終わった頃に私はようやく十歳になりました。先生と同じ二桁になったことが嬉しかったんです。全然追いつけやしないのに、10という二桁の数字が私の中ではもう大人の称号を得たように思えていました。

 この時、私は多分、無自覚に先生のことが好きだったんでしょう。先生に会うのが楽しくて、あれこれと話題を探して、学校にも行けるようになっていました。十歳の誕生日が一つの節目でした。その節目に、先生はいつものように私の話を聞いてくれて、静かに本を読み耽って、感想を言い合って、同じ時間を過ごして、その毎日がとても濃厚で色があせても思い出せます。これからもずっと。


 クリスマスや年末年始は近所の子供を集めておはなし会をしましたね。町内のイベントにも積極的でしたから、先生のことを大好きな人は結構周りにいたんですよ。知らないかもしれませんが。先生は大人の中でも人気がありました。

 恋、というよりも憧れに近いのでしょうか。確かに、先生とお付き合いをしてみたらどんなだろうと考えたことがあります。でも、当時の私はお付き合いの意味もよく分かっていませんから、手を繋いだり一緒に出かけるくらいなのでは、とそんな風に思っていました。毎日、図書館で会っていたことだけでもそれは当てはまるのかもしれない、なんて。純粋に不純な思いを膨らませていました。

 先生のことを、今でもお慕い申し上げています。先生が図書館にいた一年間は私にとってはかけがえのない日々です。そんな大層なことを言ったら、多分「やめて、恥ずかしい」と顔を手で覆って苦笑いするんでしょうね。照れじゃなくて、本当に嫌がるような顔をしますよね。十五年が経った今でもそうだといいな、なんて独りよがりに思い続けています。


 先生はもう四十歳になるんですね。スリムだったけれど、お腹周りがそろそろ気になる頃ではないでしょうか。あの寝癖のついた髪の毛が減っていなければいいけれど。目は悪かったから、未だに眼鏡は手放せないのかな。お嫁さんはもうもらいましたか。先生、料理下手なくせに人の作ったものに厳しいから、早く料理上手なお嫁さんをもらった方がいいですよ。前にもそう言った気がしますね。バレンタインの日……でしたか。私の手作りクッキーを食べて「うーん、苦い」と素直に言っちゃうものだから私はショックで動けなくなりました。飴玉もらって元気になるくらいには深刻ではなかったので心配はご無用です。

 ただ、先生が図書館を、町を去る日は私も一緒に付いていきたいと切望していました。枕を濡らして泣きました。先生がいなくなる日なんて来なければいいと泣いて泣いて、目を真っ赤に腫らして毎日学校へ行って、放課後に図書館へ行って、先生に心配されて。私のワガママはいつまで経っても治らなかったですね。あの時は、泣いて先生の膝の上で眠ってしまったような……あぁ、我ながら情けないです。でも、先生だってもう少し気を利かせてくれたら良かったのに。

 終業式が終わるまで待っててね、とお願いしたのに先生はその前に町を出ていってしまった。そんな風だったから、私は先生に次の職場を聞けずにいました。お手紙を出したかったのに「住所が分からないから出せないよ」と当時に出来たばかりの友達から言われてまた泣きました。

 そうです。五年生の時に友達が出来たんですよ。彼女とはそれからも中学、高校、大学と長く付き合っています。しばらくは図書館にも行く気になれなかったので、彼女の存在はとても大きなものでした。それからは調べ物のときにしか利用しなくなってしまいました。


 そんな先生がいたあの図書館は、あと数ヶ月後に取り壊しが決定となります。過疎の進む田舎町ですから、この流れには飲み込まれなくていけないのでしょう。私の思い出がまた一つ消えてしまうことは、とてもとても悲しいことですが、さすがにもう私も夜な夜な枕を濡らしてめそめそと泣き暮れているわけではありません。

 あれから色んな出会いもありましたし、たくさんのことを学びました。小さくて狭い私の世界が大きくなっていくにつれ、先生との思い出もぎゅっと凝縮されていきました。寂しいことですが、これが成長とでもいうのでしょうか。成長できているのでしょうか。

 先生ったら、いつも優しいのに最後の最後だけ意地悪でしたね。この話を聞いてほしくて堪らないのに、届けることも出来ないなんて。

 今、どこで何をしているのでしょうか。お元気でしょうか。病気になってはいませんか。先生のことを思い出してしまい、出せない手紙を書こうとついつい筆を取ったのは、思いの吐き出し場所がなくて困っていたからです。図書館を守れなかったことが、やはり悔しいんです。先生のいたあのカウンターに立つことがもう出来ないと思うと、明日、目覚めることも億劫で仕方がないんです。

 先生に憧れて図書館司書を目指しました。数年だけでしたが、あの思い出の溜まったカウンターに立つことが出来て、図書館にいられることが出来て良かった。本当なら、まだこれからもずっとあの場所にいたかった。それが叶わないのが、今はとても悲しいです。

 こんな報告しか出来なくてすみません。私みたいな、いち図書館利用者のことなどもう覚えていらっしゃらないかもしれませんが、私の標は貴方であったことをお伝えしたく願います。

 お会い出来る日があれば、今度はふてぶてしい態度はせず、素直に笑ってまた読書感想会がしたいです。

 あぁ、そう言えば。先生のお名前、きちんと覚えて書けましたよ。あれからずっと練習したんですから。


 風見春悠様、どうか変わらずお元気でいてください。そして、私みたいなワガママな子供に手を差し伸べてください。貴方に憧れた私が言っているんですから、絶対に嫌がらないでくださいね。

 それでは、うららかな好季節、穏やかにお過ごしください。今年が悠かな春であることを祈って。


かしこ 

 青木 千春

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