人嫌いのブーケ

「わたし、このままでいいのかなぁ」


 ぼんやりと言ってみる。すると横にいるリンちゃんは「まぁ、いいんじゃない?」とまったり返してきた。


「いいのかなぁ」

「私はいいと思うけどなー」


 リンちゃんはうとうとと言った。わたしは手を伸ばして彼女の脇腹をつつく。リンちゃんは、よじよじと遠ざかった。

 じゃれ合うこと数分。お日様の光が眩しくなり、わたしは目を細めた。言いかけたことをふと思い出す。


「あのね、わたし、あいつのだらしないところが嫌なの」

「あー、分かる。哲平って、そういうとこありそう」

「ほんと汚いんだよ、あのお部屋。今までどうやって生きてたのか分かんない」

「原因はそこかぁ」


 そう。

 居候の身として言うのもなんだけど、同居人の哲平は奔放というか、とにかくだらしない。部屋が汚いというのが主な理由だ。

 まぁ、自由気ままな生活は悪くないと思っているけれど……


「わたし、このままでいいのかなぁ」

「いいじゃない。どうせ行く宛もないんだし。どうしても気に食わないんなら……あっ」


 リンちゃんがひらめく。


「哲平くんを生まれ変わらせよう。そのためには、まず手本を見せよう」

「てほん……」


 でもどんな?

 考えていると、リンちゃんが「お掃除しよう」と提案した。


 なるほど。あの部屋をキレイにする。そこから始めてみたらいいのね。


「分かった!」


 わたしは意気込んで、ぐっと手を握り、縁側からぴょんっと飛び降りた。


「うむ、やってみよ」


 日向にいるせいか、リンちゃんは眠たそう。


「ありがと、リンちゃん」

「また何かあったら来いよー」


 頼もしい言葉なのに、伸びやかだから気が抜けそう。わたしはやる気を維持させ、意気揚々と家へ帰った。





 わたしは人が嫌いだ。

 とても嫌がったのに、それでも哲平はわたしに構ってくる。

 お腹が空けば一緒にごはんを食べてくれるし、優しい言葉をかけてくれるし、何より彼は一度も怒らない。でも、それ以外がてんで駄目なものだから、最近のわたしは呆れている。


「ただいまー」


 声をかけてみたけれど、シンと静かだった。

 哲平はいないようだけど、わたしはやる気充分なわけで、早速ゴミが散らかったお部屋に足を踏み入れた。

 まずは床に落ちたものをまとめる。汚いものは全部ゴミ……ん? ゴミばかりじゃないの。


 それからも色んなものを回収していく。でも、なかなかキレイにならない。まとめても、どんどん出るからキリがない。

 哲平ったら、ほんと、今までどうやって生きてきたんだろう……考えていると、玄関のドアがガチャリと音を立てた。


「あれ? リンちゃんとこから帰ってたんだー……って、何してんの?」


 入ってくるなり、哲平はいつもの笑顔でこちらへ来る。けれど、その笑顔がピシリと糸を張ったように止まった。

「お掃除……」と言いかけて止まる。哲平はバタバタとわたしがまとめたゴミの山に手を突っ込んだ。


 慌てている。無言で、慌てている。


「ちょっと、これ、大事なものなんだけど」


 その声には棘が潜んでいた。ズシン、と頭に突き刺さるような痛み。飛び上がってしまうくらいに怖いものだった。


「あーあ、こりゃもう使えんなぁ……うわぁ、最悪」


 暗い呟きがわたしの横で鳴る。

 哲平は、怒っているのかもしれない。いや、怒ってるんだ。わたしがお掃除したから、怒ってる……


 あぁ、だから人は怖い。

 怒るから怖い。

 嫌い。

 やっぱり嫌い。

 嫌い!


 気がつけば、わたしは外に出て宛もなく走っていた。




 わたしは多分、何も知らない。

 単純でワガママで嫌な子。だから、怒られてしまうんだろう。


 疲れて足が止まれば、そんなことを考えていた。そして、ふわりと昔のことを思い出す。


 哲平と出会う前のこと、わたしにはパパとママがいた。どちらも優しくて大好きだった。でも、ママがいなくなってパパは元気がなくなった。笑わなくなった。怒るようになった。いつもニコニコしてわたしを抱きしめてくれていたパパはいなくなった。


 だから……


 歩いていると、上から雨が落ちてきた。音を立てて、わたしの頭を濡らしていく。冷たくって悲しくなる。心が冷えてしまう。

 わたしはどうしたいんだろう。もう、分からなくなってきた。


――ハナちゃん。


 そんな声が雨の音に混ざって耳に届いた。懐かしい名前だと思った。自分の名前だったもの。

 こっそりと公園を覗いてみると、パパに似た人がいた。

 いつぶりだろう。そんなに時間は経ってないんだっけ。いつぶりなのか定かじゃないけれど、とてもとても懐かしい声にわたしは全身が固まった。

 その人は探すようにあちこちを見ている。けれど、わたしの中では、その手で打たれた記憶がざわめいた。


 怖い。


 足は一歩ずつ後ろへ下がってしまう。すぐにその場から走り去った。その途中、パパはわたしを探していたのかな、なんて考えが浮かんだ。


 でも、人は怒るもの。

 最初は優しくても段々、興味をなくしてしまう。いつも同じでいたいのに。


 わたしはワガママなのかな。だから、人を好きになれないのかな。わたし、このままでいいのかな……ぐるぐると悩みが渦を巻く。目が回りそうで頭を振るった。ついでに雨粒も払う。


 水たまりに映る自分を見つめて、悲しくなる。濡れそぼってみっともない。

 空色の水たまりを見て、雨が小降りになっていたことに気がつく。すると、眩しい色のスニーカーが水たまりに割り込んできた。


「え……?」


 顔を上げれば、傘を持った哲平が笑ってこちらを見ていた。


「ほら、せっかく元気になってたのに、また辛くなるよ」


 そう言ってすぐに手を伸ばしてくる。びっくりして動けなくて、やすやすと彼の腕の中におさまっていた。


「帰ろう、ブーケ」


 彼は、わたしを「ブーケ」と呼ぶ。花壇の中に座っていたから花束に見えた、らしい。変なの。


 わたしはもう「ハナ」じゃないんだ。それにまだ「ブーケ」でいられるみたい。優しいぬくもりを感じると、すくんでいた心は自然と震えを止めていた。


 まだ人は嫌い……怖い。でも、哲平はわたしの頭をそっと撫でてくれる。笑顔を向けてくれる。その顔を見れば、不思議と気持ちがほんわかしてくる。


 わたしは彼の指にすり寄って、「にゃん」と小さくないた。

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