身代わり
腹筋崩壊参謀
前編
昔々、ある町にOという名前の女性が住んでいました。
大きなビルを抱える会社の一員として日々働いていた彼女には、1つだけ大きな欠点がありました。非常に面倒臭がりだったのです。
意気揚々と仕事に挑んでいた新人の頃のOは既に無く、高い月給が支払われる仕事でもあくびばかり。どんなに重要な仕事を任されてもすぐに嫌になり、退屈だから辞めたいだの別の人に代わってもらいたいだの考え、気付けば頭の中は愚痴ばっかりになってしまいます。それでもお金のために仕方なくやっている感じですが、気付けば他人にいつも仕事を押し付けてばかり。彼女の実績が伸び悩んでいるのはそのせいかもしれません。
その影響は、私生活にも表れていました。
「あー、やだやだ、面倒くさい……やっぱりやめよっと」
服や化粧品、アクセサリー、広告などが散乱する部屋を見て、Oはため息をつきました。掃除が必要だというのは分かっていますが、この惨状を見る度にいつも面倒臭くなってしまうのです。いくら綺麗に化粧をしても、どれだけ頭の回転が速くても、この欠点がどうしても足を引きずってしまう毎日でした。
そして、この様子を見る度に彼女はいつもこう思ったのです。
私の身代わりをしてくれる、別の『私』がいれば良いのに、と。
そんなある日の夜更けの事でした。
普段この時間はカーテンを閉めているOですが、今日は大きなガラスの外に夜空が広がっています。何しろ今日から明日にかけて空に流星群が降ってくるという宇宙のロマンが待っているのですから。色々な物で散らかっているマンションの一室で星空を見上げながら、Oはある事を思い出していました。宇宙から降ってくる流れ星に願いごとを3回言えば、どんな事でも叶うと言う、多くの人が知っている言い伝えです。当然そんな訳は無いというのは知っていますが、願掛けというものもあります。願ってみても、損は無いでしょう。
そんな事を考えていた時、彼女の目に1つの明かりが下へ向けて落ちていく様子が見えました。すぐさま目を閉じ、Oは自分の願いを心の中で唱えました。
(私の代わりが欲しい……代わりが欲しい、代わりが!)
目を開けた時、一瞬ですがその流れ星の光が消えるのをOは確認しました。それが意味するものは、流れ星が消える前に3度願いを言うことが出来た――つまり、この願いが叶う可能性が大いにあると言う事です。とは言え、もし可能だとしてもあくまであれは言い伝え。自分の身代わりなんて現れるはずは無い。そう思いながら、Oはカーテンを閉じ、眠りにつきました。
消える直前に流れ星が一際明るく輝いた事に、Oは気付かないままでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次の日の朝、いつも通りに目覚まし時計がけたたましく鳴り響き、Oを眠りから無理やりを目覚めさせました。仕事に行くにはベッドから出る必要がありますし、それ以前に昨日買ってきた朝食のソーセージを焼かないといけないのですが、面倒臭がり屋かつ朝にも弱い彼女はなかなか布団から出る事が出来ませんでした。このままではまずいと思いながらも布団の恋しさと収まらない眠気に押し込められ、なかなか出ることが出来ないOは、ふと思った通りの事心がそのまま口に出てしまいました。
「私の代わりがいたらいいのに……」
それから数分が経ち、未だにベッドから起き上がれないOは再び眠りにつく決心を固めました。遅刻決定間違いなしですが強烈な眠気には勝てず、そのまま二度寝をしてしまいそうになった時、突然カーテンが開く音が彼女の耳に止まりました。自分が起きていないのに突然開いたカーテンに驚き、彼女から眠気はあっさり消えてなくなったのです。そしてさらにもう1つの音が、彼女を驚かせました。1人暮らしでこの部屋には誰もいないはずなのに、突然台所からリズミカルな包丁の音が聞こえ始めたのです。しかも、どこかで聞いたような楽しそうな鼻歌が2つも。
面倒臭がり屋のOでも、突然このような事態に遭遇してはベッドから起きざるをえません。戸締りはしたはずですが、強盗と言う可能性も十分に考えられます。そのため、自分の部屋にも関わらずOは抜き足差し足忍び足で台所へ向かう羽目になりました。台所に近づくにつれ、そこに2つの人影があるのが分かりました。一体誰なのか、そっとその様子を覗いた時、彼女はあまりの驚きに悲鳴も上がらず、心臓まで止まりそうになってしまいました。
台所の『中』にいたのは、台所の『外』にいるはずの自分自身だったのです。それも2人も。
「「おはよう♪」」
Oに気付いたのか、もう2人のOが彼女の方に顔を向けました。どちらのOも本物の彼女と全く同じ姿形、パジャマのしわから髪についた寝癖まで何もかも全く同じ存在です。しばらく唖然としていた本物のOでしたが、正気を取り戻すや否やすぐさま二人は何者か大声で聞きました。すると、2人のOは笑顔を崩さず、優しげな口調で彼女に言いました。
「起きるのが大変だったんでしょ?私が代わりに起きてあげる♪」
「朝ごはんを作るのが大変なんでしょ?私が代わりに作ってあげる♪」
何を言っているか、最初Oにはさっぱり分かりませんでした。ですが、微笑んだままこちらを見続ける2人のOに怯えながらも、彼女は少しづつある事を思い出し始めました。確か昨日の夜、偶然流れ星に向かって自分は1つの願いごとを3回唱えて、目を開けた時流れ星は消えていなかった――つまり、流れ星に三回願いごとが言えてしまったという事です。そして、噂が正しければそれはどんな願いごとでも叶えてしまうと言う証でもあります。
少しづつですが、目の前で起きている事が夢でもなんでもなく、現実であると言う事もOは確信を抱き始めてきました。それもそうでしょう、台所から漂う美味しそうな匂いを感じ取れば。
「「「ごちそうさまでした!」」」
自分の願い事が現実になった。いつの間にやらOの心に、恐怖や怯えよりも嬉しさの方が増してきました。もう2人、自分の代わりに起床したOと、自分の代わりに料理を作ってくれたOが一切の悪意も無く、自分の身代わりとなって親切にしてくれた事も、彼女の警戒心を解く要員となりました。気付けば朝ご飯の間に3人のOは打ち解けてしまっていたのです。
当然ですが、食べ終わった後は食器を洗う必要があります。普段は紙皿を使う面倒臭がり屋の彼女ですが、今日に限ってそれを切らしてしまい、洗剤を使って洗う必要が生じたのです。洗面台に置かれた皿やコップを見て、3人のOは言いました。
「こんなにお皿があるなんて…」
「これを洗うのって…」
「面倒臭いわね…」
先程現れたOは、あくまでも彼女の代わりに起き、彼女の代わりにご飯を作っただけ。皿洗いはそれとは別と言う事のようです。誰か代わってくれたらいいのに、と3人がため息をついたその時です。突然3人の後ろから、うふふと笑う声が聞こえました。
聞き覚えのある響きに振り向いた先には――。
「私が代わりに洗ってあげる♪」
――なんと、ここにいる3人とは別に新しく4人目のOが現れていたのです。
一瞬驚いてしまった3人のOですが、新しい自分は皿を洗いたくてうずうずしている様子でした。面倒事をやってくれるとあれば、ここは喜んで代わってもらうのが吉と判断した3人は、台所を彼女に託してそのままリビングへと向かいました。これで本物のOは確信しました。自分が面倒だと思ったり、嫌だと思ったものは、全部自分と同じ姿の身代わりがやってくれるのです。まさに彼女にとって、ずっと夢見てきたものでした。ですがもうそれは夢では無く、現実なのです。
そうと決まれば、楽をしてのんびりするに限ります。3人に加えて皿洗いの終わった4人目も加えてくつろぎ始めたOですが、もう少しで仕事に行かなければならない時間です。ですが、もういちいち準備をする必要はありません。
「「「仕事に行くの面倒よねー」ねー」ねー」ねー」
4人が一斉に呟くや否や、後ろから5つ目の声が聞こえました。
「私が代わりに行ってあげる♪」
外出用の服を着こなし、化粧や髪型のセットも整っている5人目のOは、そのまま笑顔で会社へ出勤していきました。そしてもう1つ、ゴロゴロしているとどうしても目に入ってしまうのは家に広がる服や紙の山。どうしても目障りになってしまうのですが、整理する気が起きる事はありません。ですが、そんな時は頭の中にこう思い描けば良いのです。
(掃除するの…)(面倒よね……)(誰か代わりに)(やってくれないかな……)
「私が代わりに掃除してあげる♪」
すぐに6人目のOが現れ、部屋の大掃除を始めました。相変わらずのんびりしている他のOとは違い、鼻歌交じりで楽しそうに掃除をしています。次第に散らかっていた部屋が綺麗になり始め、実は広かった部屋の中身が少しづつ露わになり始めました。広すぎて逆に少し落ち着かないほどです。
てきぱきと掃除をこなすOの一方、それ以外のOのやる事と言えばこうやってのんびりテレビを見ているだけ。そうしているうち、次第に本物のOの体を眠気が包み込み始めました。朝から色々と信じられない事続きで、気付けば興奮した分の疲れが体に回ってきたようです。ただし睡眠に関しては自分自身がしたい事、別に代わってもらう必要はありません。
「「「「おやすみなさーい♪」」」」
そのままリビングにいる自分に見送られつつベッドのある場所へ移動した彼女は、ぐっすりと深い睡眠の快楽に誘われて行きました…。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一方、仕事へ行った5人目のOは電車に乗り、いつものように職場へ向かいました。
最初はやる気満々、ちゃんと自分の身代わりをこなそうとしていた彼女でしたが、少し経つとすぐその気力は薄れてしまいました。
「はぁ……」
誰も入っていないトイレの洗面所の近くで、5人目の彼女はため息をついていました。確かに自分に任された1つ目の仕事はてきぱきと済ませる事が出来ましたが、仕事と言うのは様々に渡され、ノルマがなかなか終わらないもの。1つの仕事の身代わりと言う任務を済ませてしまったOは、あっという間に本物と同等、怠け者の彼女になってしまったのです。いや、もう彼女はOそのものと言っても良いでしょう。そうなれば、考えてしまう事はただ1つだけでした。
「あぁ、誰か代わってくれないかな……」
鏡の前で呟いた途端、ずっと1人だけだった洗面所の鏡に突然もう1つ人影が映りました。Oと同様ピンク色のOL服を着こみ、彼女と全く同じ髪型と顔つき、そして声を持つ存在――。
「私が代わりに仕事をしてあげる♪」
――そう、Oの身代わりの身代わりが、笑顔で現れてしまったのです!
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