第76話 ヒトを継ぐ者
遠い昔に滅んだ種族。その最後のひとりである少女は、驚くべき歳月を生き抜いた。まるで死した者すべての寿命を与えられたかのように、永き時を。
目的地の直前。二千年近い足踏みを経て。
長い旅路がようやく終わろうとしていた。
◇
【西暦3952年 銀河中心より300光年】
―――鶫。私に、どうしろというんだ。
遥は、そんなことを思った。
手元には一塊のデータ。結構な大きさのそれは、この千八百年ほど地道に集め続けていたものである。すなわち鶫の記憶や人格。
膨大な量のそれはしかし、重要な部分が欠けていた。地球漂着後の記憶しかないのだ。正確に言えばその直前、金属生命体群で最後にバックアップを取って以降の記憶しか。地球で集めたのであろうデータや、遥との会話。そういった部分は(添付してあった目録が正しいのであれば)ほぼ完璧に揃ったのだが。
ここまでくっきりと、ある時期以前の記憶がない、ということは、発信されていなかった可能性が高い。金属生命体としての記憶を投射する余裕がなかったのであろうが。
これでは、鶫を再生できない。記憶とはそれ自体が魂の一部分である。彼女の人格の根幹にあるのは、やはり金属生命体。突撃型指揮個体"
―――まさか。
遥は、鶫の意図に思い至った。金属生命体の記憶は並列化される。すなわち、地球漂着時に行方不明扱いとなった彼女の記憶は、他の
理屈では、
もちろん口で言うほど簡単ではない。強力無比な
―――私では無理だな。
遥は、
彼女らはあまりに強すぎた。遥が仮に、最新鋭の突撃型指揮個体の肉体と、そして戦闘データを得ても太刀打ちできまい。不知火のあの環でもあれば、話は別かもしれないが。
余談であるが、不知火型が大量生産されなかった理由について、今では遥も知っていた。推測の上でのことだが、間違ってはおるまい。例の未来を知る環(不知火は超予測装置について最後まで口を閉ざした)には致命的欠陥がある。単体では完璧に機能するのだが、複数の個体が一定距離まで接近すると相互に未来予知を擾乱しだすのだ。それぞれが別々に予知を行い、未来を変えるせいだった。数が少なければそれでも影響は少ないが、何十。何百という数が揃うと、不知火型はただのデッドウェイトを背負った突撃型ユニットに堕してしまう。少数ならば平気なため、試作段階では問題が発生しなかったはず。欠陥が発覚したのは恐らく、初期生産型を並べて演習を行った時だろう。失敗作の烙印を押された彼女らは生産が打ち切られたのである。ごく少数(それでも金属生命体群が知る限り1000機以上)の初期生産型だけを残して。
ちなみに金属生命体群も同様のシステムは研究したが、事前にこの欠陥が判明したために実作はされていない。原理的な問題なので根治不能である。遥が不知火について分析できたのもデータが残っていたおかげだった。
ともあれ。
遥は、不可能なことは一時棚上げにした。他にもやるべきことはたくさんある。そちらを片付けているうちに解決法が見つかるかもしれぬ。
ずっと並行してやっていた作業も順調だ。星図を作る、という作業が。己は観測網である。いて座A
ひとまず、記憶や様々なデータを詰め込んだカプセルを作り、安全な場所へと投射する。
二十年ほどそれを眺め、上手くいったのを確認してから、投射先の記憶を自らの内より消去。せっかく苦労して集めたものである。何重にもバックアップはとるものだ。
そして、もうひとつの用事。いよいよ、旅立ちの準備は整った。体の目処がついたのだ。
銀河じゅうに散らばった遥の分身たちの働きぶりは、十分満足出来るものである。そのネットワークは極めて
―――とりあえず、一息いれよう。
ここしばらく働きすぎた。人類史上もっとも働いたという自負がある。そうだ。せっかくだから、例の餅を食べよう。
物理シミュレーションで自分の本来の肉体。それにきな粉のおはぎを再現するのだ。味覚の翻訳方法は、回収した記憶の中にあった。
きっと旨いだろう。
そのための記憶容量を確保した、矢先。
―――激痛が、走った。
◇
金属生命体群は、自らの内側をじっと観察していた。正確に言えば、体の端。銀河中心近くに配置した観測網のひとつをつぶさに注視していたのである。
金属生命体群にとって、個々の金属生命体が細胞だとするならば、各地に存在するそれらの集団は臓器であり、その情報処理は無意識に相当する。人間には自身の無意識が何をしているのか図り知ることができぬように、金属生命体群にとっても、それを把握するのは不可能に近い。(逆に個々の金属生命体から見ても金属生命体群の総意は把握不可能である)もちろん臓器が痛みを訴えるように、集団そのものが大きな動きをすれば話は別だが。
されど。どこかに異常があるのさえ分かっていれば、調べることは不可能ではない。不審な場所はたくさんあったし、多数の電子的攻撃の痕跡を辿るのは骨が折れたが。使い捨てのごく小さな(3センチ四方しかない!)通信機が亜光速で投射され、何百光年も離れたところから電波通信しているという事例すらあったのだから。有機生命体にしてはあまりに気が長すぎる。それも、金属生命体群にとっては内部からの攻撃を疑う材料になった。長かった調査は終了しつつある。あとは観察によって患部の症状を確めればよかった。
そして今。
金属生命体群は、いよいよ手術を開始した。
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