第60話 暗黒の太陽
「やめて…やめてくれ!鶫が死んでしまう!!」
それは、ほとんど悲鳴だった。
直径五メートルしかない小さな世界。高精度物理シミュレーションという牢獄に囚われた遥の発した、それは絶叫なのだ。
彼女にすがりつかれた傍らの人影は、困った顔をした。
それは、人間の女性に見えた 。長い黒髪を腰まで伸ばし、白い肌をパンツスーツで覆ったこの世界の主。
整った顔立ちを備えた彼女こそ、雫の
ひと一人に縋りつかれても、その動作には揺るぎがない。それはそうだ。ここにいる彼女はシミュレーションの結果に過ぎないのだから。
「ごめんね……」
言いながらも、雫は手を休めることをしない。己の武装である対艦攻撃用銃剣を構え、大出力レーザーの第二射にとりかかる。その様子はまさしく機械の正確さを備えていた。
残酷にも、全ての情報は世界の内側へ表示されている。それも遥の理解できる形で。
雫の躯体は熱光学迷彩を解除。立ち上がり、翼を最大に広げると、次弾発射の指示を待った。
指向性レーザー通信が届くと同時。雫は主砲に射撃命令を下した。
◇
―――駄目だ。
鶫は、死を予感した。動きは封じられている。逃げようとすれば腰に突き付けられた爪が突き立つだろう。コアにまで及んだダメージのせいで全身の反応が著しく鈍い。この状態で襲撃型の砲撃には耐えられぬ。
それでも、あがく。
不知火へセンサーを集中する。円環の正体を探る。遥が看破した、おそらく不知火級の弱点。戦闘ログを再検討。
かすかな違和感。大胆な仮説が浮かび上がる。いや。原理的には可能だ。少なくとも地球人ですら理論上の存在を予測していた。むしろ問題はどの程度の精度と能力があるのか。
仮説の上に仮説を重ねて見いだした小さな希望。構うまい。
鶫は、全身の量子機械を活性化させた。
◇
発射されたあとのレーザーは、物理的に回避不能である。探知速度が光速なため、光速で迫ってくるレーザーを事前に認識して回避することはできないのだ。未来を知ることが出来ない限り。
学術種族の科学力は、不可能を可能とする。
重力は光を曲げるが、反作用として光も時空を歪める。円環内で周回した高エネルギーの光を多重に重ねることで時空を引きずり、信号を乗せた素粒子を過去へ送り込むのがすなわち超予測装置の原理であった。
地球においてはロナルド・L・マレットが提唱した回転時空モデル。
だから、不知火はレーザーがこちらに迫りつつあるのを観測結果として知っていた。どころか、束縛された鶫の全身から、量子機械による極微のゆらぎが発されることすら。自爆する気か!?
おかしいという思考よりも早く、不知火の神経系は役目を果たし始めた。緊急手順に基づいて、自爆寸前の金属生命体を放逐せねばならぬ。コアを潰してももはや間に合わない。速やかな
ぽっかりと空いた虚空の穴へ、鶫は突き飛ばされた。
―――しまった―――!!
ハッタリだ。こいつはただの金属生命体じゃない、この状況でも自爆なんてしない!!不知火の自我は自身を抑え込もうとしたが、もう遅い。
距離の離れた不知火と鶫。両者の間を高出力レーザー砲撃が抜けていく。
再び敵同士となった二人は、同時に無慣性状態へシフトした。
◇
強烈なレーザービームが、鶫へと襲い掛かった。
刹那の間に無数の瞬撃が交叉する。
目まぐるしく位置を入れ替えながらの彼女らの争いは、互角に見えた。
されど実際に追いつめられているのは、鶫。
体が加熱する。思考がぼやける。コアに受けた損傷は容易に回復できない。
それでも。
不知火を殺すつもりで刃の四肢を振るう。己の罪深さに畏れおののく。彼女らは生き残るために戦っているだけだ。
───そうだ。私は、化け物。
忘れていた。いや、忘れようとしていた。遥が忘れさせてくれていた。時間遡航攻撃に踏み切ったのは自分のため。もちろん遥のためではある。人類のためでも。けれどそれ以上に大きいのは、私の犯してきた、恐ろしい罪の数々を自分諸共消し去るため。
それは、抗い難い誘惑だった。
悪鬼。化け物。死神。ありとあらゆる忌み名を与えられた己の耳元で大切な友達が口にした、悪魔の囁き。
そうだ。最悪の罪を、友達に犯させるという選択を私はしたのだ。己のために!!
死力を振り絞る。不知火を押し返す。相手の体勢が崩れた。
それが敵の策略だと気付けなかった鶫を責めるのは酷であろう。
鶫の横。五百メートル地点の空間が裂けた。出現した
致命傷であった。
───並みの突撃型指揮個体であったなら。
雫の奇襲を予知していた不知火は踏み込みそして、本日最大の驚愕をすることになった。
───まさか、切断された上半身が組み付いてくるとは。
不知火にしがみついた鶫は、全身に偏在する量子機械を活性化。トンネル効果を制御し、自らの構成原子を落下させていく。
今度こそ本当の、自爆。
花園最大の危機に、不知火は最善を尽くした。詭弁ドライヴを活性化させて
上半身の全てとそして自身の半分近くが飲み込まれる段階で、
◇
『ああ。あああ。あああああああああああああああああああああ───!?』
絶叫が響き渡る。
虚空を漂う不知火の亡骸に、雫が上げたのだった。
それを為したのは、腰から下だけで生きている
まさしく化け物。
憎き不知火の仇は、大破しているとは思えぬ軽快さで飛び込んできた。
雫の放った荷電粒子砲は、敵が脚に集中させた防御磁場で切り払われる。踏み込み、銃剣の斬撃。質量を瞬間的に増大させた切っ先が敵手の脚を切断する。脚を奪われてなお鶫は止まらない。内懐に入り込まれる。銃剣はもう役立たぬ。主砲身を
振り下ろされた一撃は、突撃型指揮個体の
もう雫に武器はない。
───いや。まだある。
最後に残った唯一の武器。それを取り出す。
そこへ、鶫の蹴りが。残った側の刃の脚が、襲い掛かった。回避の余地はない。雫の胸郭は貫かれ、そして死に至るであろう。
そうは、ならなかった。鶫に対して絶対の効力を発揮する不壊の盾が、致命の一撃を食い止めたから。
『―――遥』
雫の体内で再構築され、そして胸郭より押し出されたのは、少女。宇宙服を纏った遥の姿に、鶫は攻撃の手を止めたのである。
致命的な隙。
雫の頭部副砲が、鶫の下半身を引き裂く。防御磁場は展開されず―――すれば遥が死ぬ―――腰から真っ二つに断たれる碧の躯体。
にもかかわらず、鶫はなお動いた。辛うじて直撃を免れたコアから
強烈な一撃を放ち終えると、金属生命体は全機能を停止した。
『―――ぁ。うそ……』
胴体を貫通した
急速に意識が失われていく。駄目だ。ここで死んじゃったら、誰が花園の面倒を見るの?
今わの際に、不知火の亡骸が見えた。最期の力を振り絞り、推進器を作動させる。体表面に遥が引っかかっているが、もはや気になどしてはいられなかった。
『不知火……ねえ。死んじゃやだよ……私だけじゃ、どうすればいいかわからない……よ……ねぇ………』
やがてぶつかり合う、二体の
まるでそれを見計らったように、人工太陽が光を弱めていく。黄昏時が来たのだ。
絡まり合ったみっつの亡骸は、消えつつある人工太陽の傍をゆっくりと横切り、枝葉の生い茂る地表へと落下していった。
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