第31話 二人の嗚咽

そこは、炎の海だった。

赤色巨星は中心部の水素を核融合反応で使い果たした残渣であるヘリウムの中心核と、その周囲に広がる水素の層からなる。重力で収縮したヘリウムから生じた熱と、核融合反応による発熱は水素の層を大きく膨張させ、とてつもなくその大きさを拡大させた。赤く見えるのは、拡大により表面温度が相対的に低下したからである。その面積は途方もないものだ。表面全体を観測し続けるなど不可能なほどに。

今。この、プラズマの大海原へと姿を現す幾つもの巨影があった。

鯨だ。

それは130キロメートルもの巨体を備えた一種の機械生命。ほぼ完全に自己完結したこの怪物は、背より潮を噴いた。

放出されていく膨大な熱量。それはまるで神話の光景であるかのような、美しい光景だった。

一体だけではない。

後に続いて姿を現すのは何頭もの鯨。より小型の彼らも同様に、熱を放出し、やがては姿を消していく。

次々と顔を出しては潮を噴く鯨たち。

それは、いつまでも続いた。


  ◇


海面で繰り広げられる一大スペクタクルを、遥と鶫は特等席で見ていた。

そこは居留地の展望室。外部の光景を目の当たりにできる場所である。

「……凄いな。これは」

遥が見入っているプラズマの潮吹き。それは、熱を廃棄していくために行われている光景である。普段は細々と行われるらしいが、現在彼らは大々的に廃熱を行っているのだった。

「信じられない。自分が地球から何百光年も離れた星にいるだなんて」

「617光年です。はくちょう座W星ですから、ここは…」

肩を並べて座っている鶫が答えた。その体は見慣れた少女のもの。作り直されたサイパネティクス連結体だった。

「どうやってここまで来たんだ?アルクビエレ(※メキシコ人の物理学者)が唱えたような超光速航法FLT?それとも今は、あれから何千年も経っていて、膨大な時間をかけてたどり着いたのか?」

アインシュタイン=ローゼン橋ワームホールを架けました。私は、生身でマイナスのエネルギーを生成できるんです。アルクビエレ・ドライヴのようなこともできます。というか、先輩の見てる前で一度やったんですけどね。

理論的にはずっと完成されていますけど」

「凄いな。羨ましい。どこへでも行けるわけだ。私もそれができる体に生まれたかったよ」

「体、交換しましょうか?

……私は、人間の体が欲しいです」

「なんでまた」

「だって、自分自身の手では、大好きな人も抱きしめられないじゃないですか」

鶫は。いや、鶫によって操られている精巧な人形は告げた。

彼女の本体は拘束された。ハードウェア的にも。ソフトウェア的にも。もふもふたちがそれを求めたのであり、鶫が甘んじてそれを受け入れた結果だった。こうしてサイバネティクス連結体を使わせてくれるだけでも感謝せねばなるまい。

鶫はかつて、彼らの母星を滅ぼしたのだから。

「先輩。私はね。敵を殺す為だけに産み出されたんです。兵士として。兵器として」

「……」

「全身が武器の塊なんです。

だから、先輩が羨ましい。理由を与えられずに生まれてきた人間が」

「鶫……」

「私はたくさんの人を殺しました。人類史におけるどんな大量殺戮も目じゃないくらい、たくさんです。それこそ、人類発祥から現在までに生まれてきた人全てをあわせたよりもなお、たくさん」

「鶫……!」

「直接手を下したものだけでそれです。間接的なものも含めれば遥かに膨れ上がるでしょう。

こんな化け物、誰が許してくれるっていうんですか?私の手は。いえ、体は血塗ちまみれなんです」

「……私が」

「え?」

「誰が許すか、と言ったな。

私が許す。他に誰も許してくれなくても、人類としての私が許す」

「……せん、ぱい?」

「人類を代表して、私が許してやる。

君のおかげで人類はまだ、絶滅していない。鶫。

君のおかげで首の皮一枚繋がった種族として、私が君を許してやる」

「せんぱい……先輩……!」

「すまない。私が君にあげられるのは、こんなものしかないんだ」

「いいんです……」

抱きしめあう、二人の少女。

彼女らの嗚咽が、どちらからともなく聞こえ始める。

それはやがて大きくなり、展望室に響き渡った。

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