第14話 星明りに照らされて

鶫のサイバネティクス連結体は、一種のロボットである。その動作の大半は自動化され、最悪、本体との通信が途切れたとしても自律的に行動する。

とはいえ、現在は本体との通信が密な状態にあった。襲撃を受けた直後である。鶫にとってサイバネティクス連結体は交換可能な資材に過ぎないが、しかし遥はかけがえのない友人だった。狙われているのが自分だと明らかであるならば別れて行動するという選択肢もあるが、敵の(そう、敵だ!)の狙いが分からないうちにそれはできない。

幸い、敵は理性的なようだ。警察官に偽装して夜間、こちらに接触してきたのがその証拠である。人目に付きたくないと考えていたのだろう。わざわざその手間をかけた以上、衆人環視の真っただ中で襲撃を実行はすまい。

実際、その通りだった。衆人環視の真っただ中での攻撃は行われなかった。

攻撃は、地中から来た。


  ◇


牛丼を食べ終わった遥は、鶫が食べ終わるのを待っていた。夜は長い。もう今夜は鶫の家に戻れないし、警察を頼るわけにもいかぬ。なにせ相手は宇宙人の類である。最も、彼女はあの警察官が本物だったなどとは知る由もない。この辺は鶫も同様で、精巧な人工物くらいにしか思っていなかったが。

この後の計画を相談しようとしているところで、ふと。眼前の鶫が大きく動いた。いや。そんな生易しいものではなく、咄嗟に飛んだ彼女は遥に抱き着き、そして覆いかぶさったのである。

「―――!?」

混乱する遥。彼女に対する解答は、すぐさま与えられた。とてつもない災難という形で。

窓の外側、向かい側のビルに突如。影が伸びた。

とてつもなく巨大なそれは、すぐに膨れ上がり、ビルそのものをも飛び越え、そして

影の中から出現したのはまず、頭部だった。バイザーを備え、後頭部からは複雑な形状の、髪の毛を思わせる放熱板。

直線と曲線で出来た胸郭から、腰までのくびれは艶めかしい。スカート状のパーツに見えるものは折りたたまれたサブアームであろう。そして、刃で出来た四肢。

とても鋭角的な印象を与える巨体が、ビルを覆い尽くすほどの影から現れたのである。

彼女は向かいのビル。すなわち遥達が今いる牛丼屋が入っている大きなビルへと突っ込んだ。いや、その巨体を振り回され、叩きつけられたのだ!

激突は、致命的なまでの破壊をもたらした。

頑丈な鉄筋コンクリート製の構造体が、まるで豆腐のように柔らかに崩壊。押しつぶされたそれは、大地へと、全てを押し流していく。

夜間とはいえそれなりに人通りはある。そこへ、瓦礫が押し寄せてきた。コンクリートの雪崩は哀れな犠牲者を呑み込んでいった。

過去、幾度もの破壊を乗り越えてきた神戸の街。そこに、新たな災難が降りかかって来たのだ。


  ◇


金属生命体にとって、死は病気に過ぎない。それも、治療可能な。

だから、突撃型指揮個体は容赦なく、攻撃を加えた。物質を透過し、地中を潜航した彼女は、そこに潜んでいた同族。個体名鴇崎鶫ときさきつぐみの首を、そして地表へと引きずり出したのである。

それまで慎重に、人類に対して隠されていた鶫の本体。その正体が、明らかになった。


  ◇


神戸はかつて災厄に見舞われた都市である。

阪神大震災。高速道路は倒壊し、長田の街並みは燃え尽き、朝日は煙で姿を消した。

三宮でも、破壊の嵐は荒れ狂い、多くのビルが倒壊。多数の死者を出した。

もはやその当時の記憶をとどめている者は街の人口の半分ほどとはいえ、やはりその記憶を色濃く持っている者もいる。

JR三ノ宮駅南側のロータリーで客を待つタクシーの運転手も、そのひとりだった。

彼が最初に聞いたのは、何かが崩れるかのような、凄まじい音。まるでブレイカーを100個まとめて落としたかのような衝撃音が彼の鼓膜を震わせた。彼はその音を知っていた。ビルが崩落するときはあのような音を立てるのだと。

周囲の人間たちも足を止め、音源の方へと視線を向ける。すぐ東側にそそり立つビルディング、地上9階建てのミント神戸へと。

次の瞬間。

巨大なビルディングは、砕け散った。とてつもない巨体がその構造を突き破り、飛び出してきたのだ。営業時間後もまだ中に残っていた多数の従業員たちは助かるまい。

それに、運転手には他人の心配をしている暇はなかった。そいつはまっすぐ、こちらに突っ込んできたから。

背を向けて吹き飛んでくる碧の巨体―――人の形をしているように見える!!―――は、呆然と見上げる人間たちに退避する時間を与えず、そのことごとくを押しつぶした。


  ◇


―――なんだ。これはなんだ!?

遥は、がれきの中を泳いでいた。いやそれは正確ではない。鶫のサイバネティクス連結体に抱きかかえられた遥の肉体は、がれきの奔流の中をしていたのである。いかな破壊の嵐と言えどもすり抜けてしまうのであれば実害はないとはいえた。

とはいえそれは異様な体験である。透過中は目に光が届かない。完全には透過しきれなかったごくかすかな原子が神経系をかき乱し吐き気を催す。何より呼吸ができない。

だから、顔がまず地上に出た時に彼女が取った行動は、いっぱいに空気を吸う事。

「―――ぷはっ!げほっ…」

最初に目に入って来たのは、星明り。随分と弱々しい。都市の光に紛れてしまっているからだろう。

そして、身を乗り出した先はやたらとごつごつしている。岩場?

そこでようやく、遥には周囲を観察する余裕が出てきた。

瓦礫だ。己は瓦礫の山の上に身を横たえているのだ。

彼女は、自分を抱きかかえている後輩へと向き直った。

「一体、何が……」

「……先輩、あれを」

遥は、見た。ポートライナーの高架が砕け散り、その向う。そこにあったはずの巨大なビルが消滅している光景を。

代わりに、より巨大な。それこそ、12階建てのビルに匹敵する人型の存在が背を向け、何かを抑え込んでいる姿を。

そいつに抑え込まれている、刃の四肢を持つ何者かの姿を。


人類という種が長い間謳歌してきた孤独の時代。それは、唐突に終わりを告げた。

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