ただの三十路の魔法使い
黒岡ヨシヒロ
01 ふざけた進物
2016年1月28日、夜に浸かった町には雪が積もり、辺りはしん、と静まり返っている。
「ここに来てから初めてか、こんなに積もるのは・・・」
独り言は雪の中に消え、静寂を更に強くする。
今日は俺の誕生日、今年でめでたく三十路を迎えた。
そんな俺と同じ年ぐらいのマンションの二階に着く。
ドアを開け部屋に入るなり一目散にコタツに入り、買ってきた物を広げる。
近所にあるコンビニで買ったケーキ、フライドチキンを眺めながら呟く。
「ハッピーバースデー、自分」
そう、これは自分への細やかな、お祝いなのだ。
テレビを見ながら適当に平らげる。
至福と言うのは千円程度で手に入るモノだと俺は確信した。
今日は俺の誕生日。30歳、無職、そして・・・童貞だ。
世間一般の常識からすれば完全に負け組なのだろう。
別に生まれてこの方働いたことがないわけではない。
去年の11月までは平凡な会社に務めていた。
しかし自分を取り巻く環境に違和感を感じ、その違和感は次第に大きくなり、それを無視できなくなっていった。
その違和感のせいで仕事はまったく手に付かなくなり、気が付いたら仕事を辞めてしまっていた。
童貞に関しても、今まで女性と付き合いがなかったわけでもない、ただ―
そこまで考えると急に眠気が襲ってきた。コタツから首だけ出して目を瞑る。
声。声が、遠くから聞こえる。
「・・・を・・・えよう」
声は段々と近づいてきて、言葉としてはっきりと聞こえるようになる。
「力を与えよう」
意識を取り戻す。どうやら小一時間ほど眠っていたようだった。
デジタル時計は22、10と表記されている。
夢を見ていたらしい。起き上がり、ふぅ、とため息をつき夢の内容を思い出そうと試みた。
その時―
「夢ではないぞ」
背後から声が聞こえた。驚いて振り返るとそこには―
「君に力を与えようと言ったのだ」
そうしゃべるおっさんの顔が宙に浮いていた。
でかでかとした顔の下には小さな胴体がついている。
全長は20cmぐらいで二頭身、顔だけやたらと主張しているかのようにデカイ。
胴体は顔に比べると小さいのだが中年男性にありがちなメタボリックなフォルムをしていてよれよれのスーツを着ている。
「・・・は?・・・あぁ、まだ夢か」
意識を取り戻したと思っていたがどうやら違ったらしい。
俺はうなだれるように
「夢ではないと言っているだろう」
おっさんの声が聞こえる。仕方なく頭を上げ再度おっさんを凝視する。
どこかで小さなおっさんを見たことがある、という話を聞いた覚えがあるがコイツのことなのだろうか?
手を伸ばして握りつぶしてみようとしたが、その手は空を切りおっさんに触れることはできなかった。
「普通の人間には触れることはできぬよ、それに私はおっさんではない」
意識がはっきりとしてきた、同時に疑問が複数浮かんでくる。
この触れることができないおっさんはなんなのか?
おっさんと口にしていないのに何故それを知っているのか?
俺が今見ているものは本当に夢ではないのか・・・?
「疑問はそれだけか?私はおっさんではなく妖精だ。魔法で人の心を読むことができる。そしてこれは夢ではなく現実だ」
一瞬ぎょっとする。確実に心を読まれているようだ。
念の為、古典的ではあるが頬を軽くつねってみる、すると普通に痛い。
「・・・それじゃ、おっさんはなんでここにいて俺に話しかけてるんだ?」
「さっきも言った通り、君に力を与える為だ。魔法使いの力をな」
こいつは一体何の話をしているんだ?魔法使いの力?何のことだ?
少し考えてふと思い当たることがあった。
「30歳まで童貞を貫くと魔法使いになれるっていう、あのネタのことか?あほくさ・・・」
俺は半笑いしながら肩をすくめて首を振る。そんな非現実的なことがあるわけがない。
「事実なのだよ。これから君に力を与える。そうすれば解るだろう」
おっさんは俺の頭に近づいてきて両手をかざし祈り始めた、その直後―
「っ・・・ぐ!な、なにをした・・・!」
今まで感じたことのない激痛が体を駆け巡る。
自分という存在が一度バラバラになり再構築されたような感覚だった。
「さて、君に力は与えた。試しにそこにある時計を浮かしてみるといい。やり方は簡単だ。そうなるよう念ずればいい」
おっさんが指差す方向を見ると、さっき見たデジタル時計が置いてある。
22、17と表記されている。
試しに時計を凝視しながら浮かべ!と心の中で叫んでみる、すると―
「うか・・・んだ・・・!?」
時計はプカプカと宙に浮いた。そして俺の手元まで飛んでくる。
その後時計は飛び回り、元の位置で静止した。そう俺が念じたからのようだ。
「・・・お前が俺の心を読んでやってるわけじゃねぇよなぁ?」
「そんなことをして私に何の得があると言うのだ?」
目につく物を片っ端から念じて浮かばせていく。
最終的には部屋にある大半の物を同時に浮かばせることができた。
目の前の非現実的な光景に混乱したが、このおっさんが言っていることに偽りはないようだ。
「・・・いくつか質問がある。30年童貞であれば誰でもこの力は得られるのか?その後童貞でなくなったらどうなる?」
「条件を満たせばどんな人間にでも力を与えている。しかし中には魔力や適正が低く、魔法をうまく使えぬ者もいれば、自覚せずに魔力だけを得て、能力そのものは開花しない者も居る。今の君のように自在に能力を扱える者は稀だと言えるな」
「そんじゃ、童貞じゃなくなったらどうなるんだ?」
「力を与えてから童貞でなくなった場合には魔法使いとしての成長は弱まっていく」
「つまり童貞のまま魔法を使い続ければ、いつかはその力で地球を破壊しちまうこともできるってことか?」
「その通りだ。物を動かす魔法を例にしよう。慣れないうちは軽い物を遅く短時間しか動かすことができない。しかし使い続けていれば、次第に重いものを素早く長時間動かすことができるようになる。魔法を使うと魔力を消費することになる。これも魔法を使っていれば絶対量が増えていく。魔力は休息をとれば自然と回復する」
「なるほどな、大体理解したよ。だがこんな力を誰彼構わず与えてもいいのか?どう考えたって悪用するヤツが出てくるだろ」
おっさん妖精は眉間にしわを寄せて渋い顔をしている。
腕組みをして重々しい口調で話し始めた。
「君の言う通りだ。力を持った人間の中にはこの世の秩序を乱す者も居れば、その逆も然り。本来ならばそうやって均衡が保たれる筈なのだが・・・」
そこまで言うとおっさん妖精は押し黙ってしまう。
「なら悪用するヤツから力を取り上げればいいんじゃねぇの?まさかとは思うが・・・」
「その通りだ。我々妖精は力を与えることはできても奪うことはできない。掟でそう定まっているのだ。力を与える以外の人間への干渉は原則として禁じられている。破ればおそらくは・・・消滅してしまう。察しの良い君のことだ。ここまで話せば私の意図は伝わっているだろう」
色々疑問に思うことはあったがつまりは―
「俺に正義の魔法使いになれってことか?お断りだねぇ、そんなのは」
苦笑しながら即答する。この力は俺が俺の為に自由に使わせてもらう。
俺はそういう人間なのだ。
「君の考えは解っている。だから君にもう一つの力を託した。他の人間を魔法使いにする力だ」
「バカか、お前は。そんなことしたら―」
そこまで言うとおっさん妖精の姿が淡く光る球体へと変化し、徐々に宙に浮かび上がっていった。
「もう時間がない。また何れ会おう」
それは部屋の窓を通過して何処かへ行ってしまった。
「待て!話はまだおわっちゃいねぇぞ!おい!」
後を追ってベランダへ出たがそこにはもうその姿はなかった。
あいつが去った後、俺は考えていた。この力をなにに使うか、と。
(とりあえずなにがどの程度できるかを確かめる必要があるな)
俺は試しにあることを念じてみた。すると―
「うわ、マジか・・・」
俺は
どうやら空を飛ぶ程度は難なくこなせるようだった。
(うっわ、やべぇ、これはヤベェ、いいぞーコレ)
部屋の中を自在に飛び回ることができる。人類の夢が現実になった瞬間だった。
しかしこの部屋では狭すぎてこの能力をこれ以上試すことができそうにない。
一旦空を飛ぶことをやめ、ほかにできることがあるか、試しにやってみる。
指を鳴らせば火を出すことも可能だし、強く念じれば水を凍らせることもできた。
鏡の前に立ち自分を見つめる。すると自分の姿が鏡に映らなくなった。
透明になることも容易くできてしまうという事実に心が躍る。
(なんでもありかよ、こりゃすげぇな。良い誕生日プレゼントを貰ったぜ)
居ても立ってもいられず俺は家を飛び出した。文字通り、飛び出したのだ。
空を自由に飛び回るのは言い表すことができないほど快感だった。
透明化しているから他人の目を気にする必要もない。
念の為魔力切れになってもすぐになにかに着地できそうな位置をキープして飛んでいく。
気が付くと雪が降り始めた。だが今の俺には関係はない。
雪を寄せ付けないように、と念じる。
寒さも苦痛に感じることはない。自分の周りの温度を調整できるからだ。
(なんでもありだが、これだけ複数の魔法を唱えながらどれだけもつんだろうなぁ?)
30分程度その状態で町を飛び続けていた。雪は次第に強く降り積もっていく。
ふと、視界の端に人影を見た。距離があり、雪が降っているせいかシルエットしか見えない。
今日という最高の日が終わりそうなこんな時刻に何をしているのだろうと疑問に思い近づいていく。
どうやら女性のようだ。
背中のあたりまで伸びた黒い髪と着ているコートは雪のせいで白く色づいていた。
両ひざに手をつきながら肩で息をしている。こんな時間、この天候の中走っていたようだ。
透明化を解かず、正面まで近づいていき様子を見ることにした。
彼女は呼吸を整え終わったのか顔を上げ、そして俺の目を見つめてきた。
一瞬驚いたが偶然、視線が合っただけのようだ。
彼女はさらに視線を上げて雪が降るその空を見つめ始めた。
街灯に照らされ雪と共に輝きを放つその姿を美しいと感じた。
幻想的なその瞬間を一枚の絵に残しておきたい、そんなふうに思った。
目じりに落ちた雪が溶けて水になり流れ落ちる。彼女の涙と共に―
(泣いている・・・?なんだこの人は・・・?)
異質な状況に頭を悩ませる。今俺ができることはなにかあるだろうか?
一つだけ思いついたことがあったので試してみることにする。
彼女の後ろに回り込み、数メートル離れた位置で透明化を解き、雪を材料に傘を作り出す。
そして不審がられないように、と念じながら声をかける。
「あのー、どうかしましたか?」
「え!?はい、いや、なんでもないです・・・」
涙を手で拭い去り、振り返ってこちらを見てきた。今度はちゃんと目が合ったようだ。
「こんな雪の夜の中たってたら色々まずいでしょ。この傘持ってっていいから早く家に帰りなよ」
彼女はキョトンとした目でこちらを見返してくる。やがて申し訳なさそうに口を開いた。
「でも、それではあなたが・・・」
「俺んちはこのすぐ近くだからヘーキヘーキ。安物だし、あげるよ」
そういって半ば強引に彼女に傘を手渡す。
「すみません、それではお言葉に甘えて・・・」
「それじゃ、気を付けてな」
彼女は深くお辞儀をして、来た道を戻っていった。
途中でこちらを振り返りもう一度頭を下げた。
それを見届けて俺は再び空へ飛び立った。雪夜の女性の涙、一体何があったというのか。
今日は色々ありすぎて疲れて眠くなってきた。
雪の傘には魔力を込めておいた。試しに位置を探ってみたが思った通り場所を把握できる。
(色々考えるのは起きてからでいいや、ねみぃ)
すると軽い目眩に襲われる。段々と飛行速度と高度が下がっていく。
(あー、魔力切れってことか、人助けなんてするもんじゃねぇなぁ)
適当な道に不時着し、再度浮かべと念じるが体が浮くことはない。
舌打ちをしながら足早に帰路に着いた。
―――――
(父さん、父さん!)
私は胸を締め付けられるような思いで走り回った。
気が付いたら雪が降り始め、次第に強くなっていった。
走りつかれてその場に立ち尽くし、空を見上げた。途端に私の感情が溢れだした。
(何処へ行ってしまったの―)
すると後ろから声が聞こえた。驚いて振り返ると一人の男の人が立っていた。
帽子を深々とかぶり、ロングコートを着ている。
全身黒尽くめの手には不釣り合いな雪のように白い傘をもった男の人が。
今思えばとても怪しい姿をしていたのだけれど、なぜだか安心感があった。
彼は私に傘を差しだして家に帰るようにと言ってくれた。
すると今までぐしゃぐしゃだった心が、不思議と落ち着くことができた。
私は傘を受け取って家に帰ることにした。私は二度振り返った。
一度目は軽く手を振っている姿が見えた。でも二度目にはもうその姿は見当たらなかった。
まるで雪が溶けて消えてしまうかの様に―
あの人は本当に人だったのかな?
玄関に立て掛けたはずの白い傘は、今はもうどこにもない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます