第31話 狂気と野望の終焉

 31.狂気と野望の終焉



 連合軍のパイロットたちは落下してくるヒンデンブルグ号に潰されないよう注意しつつ、高度を落としながら逃げていく敵軍を追っていた。だが敵は同士討ちを演じながらも同じ方向へ逃げていくため、飛行速度の遅いサラマンダーでは追いつくどころか少しずつ離されてしまう。


「くっ……やはり速いわね」


「私たちが追います!」


「任せてー」


 二つのプロペラを前に向けることで速度を出せるアーサリンとウィルマのトライプレーンが先行し、敵のAM部隊に向けて一直線に飛んでいく。ようやく敵機が機銃の射程内に入る距離まで追いついた二人は、ポリーヌと親衛隊のアルバトロスD.IIIをなぎ払うように銃撃を浴びせた。


 ―― スタタタタタタタタン! ――


「おや……連合軍め、今頃になって動くつもりか」


 ポリーヌはアーサリンたちの銃撃を素早くかわすと、わざと自分たちと敵機の間にローラとヴィルヘルミナが挟まれるような位置に移動した。自分たちが手を下すまでもなく、連合軍が先にローラたちを攻撃してくれるのを期待してのことだ。しかし、


 ―― ズタタタタタタタタタタタタタタタン! ――


「むぅっ!?」


 ポリーヌの思惑とは裏腹に、連合軍の二機はなぜかローラたちを無視して彼女や親衛隊の機体だけを狙ってきた。これはアルバトロスD.IVではなく、D.IIIのほうを先に撃墜しようという明確な意思を持っての攻撃だ。


「ふむ……連合軍のやつら、私が軍の司令官であることに気付いたか? こうなれば早くあの二人を片付けて、ここから退却せねばならんな」


 実際のところ、ポリーヌが二人をここで始末しようとしている理由はアーサリンが言ったとおりだった。ベルリンに戻ってから彼女たちを叛逆者として告訴するのは容易たやすいが、軍事裁判ともなれば処刑手続きの関係上、政府の人間も首を突っ込んでくる。そうなれば自分のクーデター計画が露呈して厄介なことになりかねないし、かといって略式の軍法会議のみで闇に葬るには、ゲルマニア帝国の英雄として彼女たちの名声は高まりすぎている。

 ポリーヌはローラたちの死角になる位置まで移動すると、アイカメラのランプを点滅させてヘルミーネとブリュンヒルデに無線の周波数を変えるよう信号を送った。これから行う作戦を攻撃対象の二人に聞かれないためだ。


「ゲーリング中尉、レールツァー少尉、次の攻撃で二人を仕留めるぞ。リヒトホーフェンは私が撃ち落とすから、レールツァー少尉は彼女の背後に回り、身をていしてその動きを止めるのだ。同じく私の部下がラインハルトを足止めしたら、ゲーリング中尉はそこを攻撃しろ。」


「了解ですわ」


「りょ、了解です」


 ヘルミーネたちは大きく旋回すると、二機ごとにローラたちの機体を挟み撃ちにできるポジションをとった。前後から同時に襲い掛かり、背後を取ったほうが敵の動きを止めようという構えである。


「行くぞっ!」


 ポリーヌとヘルミーネの機体が一瞬だけ先行してローラたちに襲い掛かる。まずは自分たちに目を向けさせておいて、対角線上にいる片割れが背後を取りやすくするための陽動だ。


 ―― ガシャゥン! ――


「くっ!?」


「し、しまった!」


 目の前に迫ってきた相手に気を取られた隙に、ローラとヴィルヘルミナの二機はブリュンヒルデと親衛隊の機体に後ろから押さえつけられた。

 ゲルマニア軍の機体は連合軍のプロペラ機と違ってホバリング(空中停止)はできないため、押さえつけるといってもあくまで飛行しながらの話だが、これだけでも動きはかなり制限されてしまう。かといって無理に暴れて振りほどこうとすれば、バランスを失って相手と一緒に墜落しかねない。この状況はヴァルトラウトとヘルマが親衛隊に撃墜されたときの再現だ。


「死になさい移民の小娘ぇっ!」


 ―― バギャギャギャギャギャギャギャギャァン! ――


「きゃぁぁぁぁっ!」


 ヘルミーネが親衛隊の機体もろとも両手でヴィルヘルミナを銃撃する。無数の銃弾を浴びせられて翼が穴だらけになった二機は揚力という支えを失い、風に舞う木の葉のように地上へ向けて落下しはじめた。


「ミーナちゃんっ!」


 連合軍の三連プロペラ機のうち、パールピンクの機体が急降下してヴィルヘルミナの機体を追っていく。すでに死に体の敵に対してさらにとどめを刺そうとでもいうのだろうか。いずれにせよあの高性能機に狙われては、もはやヴィルヘルミナが助かる可能性は万に一つもないだろう。


「ラインハルト大尉!」


 ブリュンヒルデに羽交はがめにされたローラが叫ぶ。だが他人の心配をしている場合ではない、彼女のすぐ目の前にもポリーヌの機体が迫っている。


「ふふふ……ずいぶんと手こずらせてくれたが、これで終わりだ。あの世で姉と再会するがいい!」


 ポリーヌは機銃を構え、ブリュンヒルデごとローラを撃ち落とそうとした。彼女にとって軍の勝利や上官のために兵士が命を捨てるのは当然であり、後の名誉を与えられるなら喜んで死ぬべきだというのが持論である。だが――


「や、やっぱり捨て駒になるなんて嫌ぁぁっ!」


「なっ!?」


 ポリーヌがまさに機銃の引鉄ひきがねを引こうとしたその瞬間、なんとブリュンヒルデは自分が撃たれないようローラの機体を突き放し、あらぬ方向へと逃げ出した。そのせいでローラの機体には一発の銃弾も当たらず、それどころが自分のほうに大きな隙が生まれてしまった。


「ば、馬鹿な! 貴様――」


「今だっ!」


 自由になったローラは素早く旋回すると、ポリーヌの機体にタックルして両腕でその動きを封じた。こうなっては機銃以外に武装を持たないアルバトロスD.IIIはまさに手も足も出ない。


「ぬぅっ!」


 ここにきて初めてポリーヌの顔に焦りの色が浮かんだ。もしもローラがこのゼロ距離状態で右膝に残ったミサイルを発射したなら、二人揃って死体も残らずバラバラだ。


「は、離せリヒトホーフェン大尉! 私を道連れに死ぬつもりか!」


「ええ、そのとおりよ。あなたを確実に倒すためには、これしかないっ!」


「馬鹿なことはやめろ! 私も君も死んでしまえば、一体誰が帝国を連合軍から守るというのだ!」


「どうせここであなたを止めなければ、お姉ちゃんが守ろうとしたゲルマニア帝国は消えてなくなる……なら皇帝陛下や皇女殿下の命だけでもお救いして、政府が皇室を護持してくれる可能性に賭けたほうがましよ!」


「お、おのれ……姉妹揃ってただふるいだけの血統を有難ありがたがる愚か者がぁっ! ゲーリング中尉、こいつを撃ち落とせ! それに敵前逃亡したレールツァーもだ!」


「ええーっ、よろしいんですかぁ? その体勢だと、ラインハルトみたいに閣下ごと撃つことになっちゃいますよぉ?」


「なっ……!」


「それと、レールツァー少尉を撃てという命令には従いかねますわぁ……こんなヘタレですけど、私にとっては大切なお友達ですので」


「ヘ、ヘルミーネぇっ」


 ブリュンヒルデが喜びのあまり泣きそうな声を上げる。


「バーカ、本気にしてんじゃないわよ。あなたを墜としちゃったら、連合軍のやつらから逃げ切るためのおとりがいなくなるでしょうが」


「ええー……」


「き、貴様たち……この期に及んで裏切るつもりか!?」


「どうも閣下の命運は尽きられたようですし、あなたがこのままリヒトホーフェンの妹と心中してくだされば、私が隊長どころか軍の総司令官にのし上がることだってできますからねぇ。ごめんなさぁい、私は元々こういう人間ですのよ」


「く…………貴様ら……それでもゲルマニア軍人かぁっ!」


 ポリーヌが猛り狂う獣のような形相ぎょうそうでヘルミーネたちを罵倒する。だが、これは彼女自身がマルグリットに言われたのと同じ台詞せりふだ。


「どうやらもう、あなたを助けてくれる人間はどこにもいないようね。親衛隊のたちをさんざん捨て駒にした自業自得よっ!」


 ローラの言うとおり、ポリーヌが今の状況におちいった原因は彼女自身の人間性にあった。それは親衛隊を捨て駒にしたことが愚策だったというだけの話ではない。彼女の最大の欠点は『人の心や感情を理解できない』ということ、そして『他人を自分のための道具としか思えない人間』だということなのだ。

 ヘルミーネの狡猾さやブリュンヒルデの臆病さを見抜けなかったこともそうだが、そもそも彼女が人の心を理解できる人間であったなら、もっと上手くマルグリットたちをだますなり、早くから懐柔かいじゅうして丸め込んでおく方法もあったはずだ。そうしていれば、少なくとも敵前で同士討ちを演じる今のような状況だけは回避できたかもしれない。

 自分でアネット・フォッカーをトマサ・ソッピースに劣る二流の技術者と断じておきながら、ポリーヌも結局のところ彼女とそう変わらない二流の指導者でしかなかった。そして今、まさに彼女と同じ過ちによって死地に追い込まれているのである。


「く、くそっ! 私が……この私がこんなところでぇぇ!」


「もう諦めなさいヒンデンブルグ! あなたはここで終わりよ!」


 ローラはポリーヌが危惧きぐしたとおり、このままニーミサイルを発射して彼女もろとも自爆するつもりだった。気がかりや後悔がないといえば嘘になるが、少なくとも死んでいった姉や仲間たちに顔向けのできる最期だと思える。


「ゲーリング中尉、最後に一つだけお願い……生きてベルリンに戻ったなら、私の代わりにあなたが皇帝陛下や皇女殿下を守ってあげて」


「はぁぁ!? なに言ってんのよ、私があなたのお願いなんて聞いてあげるわけないでしょうが! それどころか、そこの司令官に代わってゲルマニアを乗っ取ることだってあり得るわよぉ?」


「ふふ……私はね、あなたのこと結構分かってるつもりなんだよ。あなたは窮屈な皇帝なんかよりも、周囲からチヤホヤしてもらえる英雄になりたいタイプでしょ。だったら祖国を叛逆者や連合軍から救った英雄になりなさいヘルミーネ・ゲーリング!」


「…………ちっ……分かったわよ。けど、それには一つだけ条件があるわ!」


 ヘルミーネはそう叫ぶと、ポリーヌを抱えたまま飛ぶローラの機体に向かって急降下した。


「ゲーリング? なにを……」


「ええいっ!」


 ―― グワシャァン! ――


「きゃあっ!?」


 ヘルミーネは飛び蹴りを食らわせるようにしてローラとポリーヌの機体の間に自機の足をねじ込むと、そこで滑走用のローラーを展開して二機を無理やり引き剥がした。


「おお、ゲーリング中尉! やはり私の側についてくれるのか!」


「いい加減うるさいババァね。私に命令していいのは私だけなのよ」


「なんだと?」


 飛んでいる勢いはそのままとはいえ、ローラに抱えられていたせいでポリーヌの機体は仰向けで落下しそうな格好になっている。すぐには体勢を立て直せない状態のアルバトロスD.IIIに向けて、ヘルミーネはまだ使っていないニーミサイルを発射しようと機体の膝を持ち上げた。


「さようなら閣下、きっと地獄でリヒトホーフェンの姉やティーガーズの連中がお待ちかねですわよ♪」


「よ、せゲーリング中尉! やめろぉぉぉ!」


 ポリーヌの叫びも空しく、ヘルミーネの機体から無慈悲にもミサイルが発射される。そして、


 ―― キュドドォォォォォン! ――


 細身のニーミサイルがコックピットの真正面に直撃し、アルバトロスD.IIIは木端微塵こっぱみじんに爆散した。

 裏切り者は裏切りによって身を滅ぼすという。仕えるべき帝国を裏切り、部下の信頼をも裏切ったポリーヌ・フォン・ヒンデンブルグは、自らもまた部下からの裏切りによってその生涯を閉じることとなった。


「ゲーリング……あなた、私を助けようと……?」


「勘違いするんじゃないわよ。さっき言った条件、それは私が救国の英雄になって民衆からあがめられる様を、あなたが生きてその目に焼き付けることよ。せいぜい歯軋はぎしりして悔しがってちょうだい」


「…………ふふっ」


「……なによ」


「いいえ、ある意味あなたらしいわね。だけど、私はあなたがラインハルト大尉を撃ち落としたことを許しはしないわよ。助けてくれたお礼に今日のところは見逃してあげるけど、ベルリンに戻ったら覚えてなさい」


「ふん、望むところよ」


「二人とも、のんびり話し込んでる場合じゃないよぉ! 連合軍のやつらが追ってきてる!」


 先ほどまでの取っ組み合いでスピードが落ちていた間に追いつかれたのか、連合軍のAM部隊はすぐそこまで迫ってきていた。三連プロペラの二機のうちパールピンクの機体はヴィルヘルミナを追っていなくなったとはいえ、今の彼女たちには十一機もの敵を相手にできるほどの戦力はもはや残っていない。


「とりあえずここは退却ね。全速力でニュルンベルクまで撤退するわよ」


「こんなところで死んだら、せっかく邪魔者がたくさん消えてくれたのが無意味になっちゃうしね」


「と、とにかく早く逃げましょ!」


 ローラたちは残っていた弾丸やミサイルを一番近くにいたウィルマの機体に向けてありったけ撃ち込み、牽制けんせいを加えてから全速力で東のほうへと飛び去っていった。


「(お姉ちゃん……ラインハルト大尉……それにティーガーズのみんな……私だけが生き残ってごめん。でも、あなたたちが守ろうとしたゲルマニア帝国は私が必ず救ってみせるから)」


 動力ユニットの四分の一を失ったヒンデンブルグ号はすでに前のめりになり、シュトゥットガルトを越えてプフォルツハイムの南に広がる山脈のほうへと墜落しようとしている。その姿を振り返りながら、ローラは死んでいった姉や仲間たちに誓いを立てた。

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