第20話 アネット・フォッカーの誤算

 20.アネット・フォッカーの誤算



 ヒンデンブルグ号の上層階前方には戦艦におけるブリッジ、すなわち艦橋が存在する。分厚い装甲の一部だけがガラス張りになっていて、望遠カメラだけでなく目視でも前方を確認できるようになっているのだ。

 カメラからの映像を映す巨大モニターを見ていたポリーヌやアネットだけでなく、目視で前方を確認していた索敵班の目にもすでにシュトゥットガルトの町が見えはじめていた。


「AM部隊の出撃準備は終わっているな?」


「はっ、すでに格納庫内で待機済みです」


 司令官のポリーヌ・フォン・ヒンデンブルグは自分のためにしつらえられた艦長席から立ち上がり、仁王立ちでモニターに映るシュトゥットガルトの町を睨みつけていた。その表情には余裕とともに、勝利への確信が溢れている。


「目標地点を目視で確認、あと数分で到達します」


「ふふ……それでは本作戦の締めくくりとなる最後の攻撃を開始するか。今日をもって連合軍のネズミどもを我が国から駆逐してくれる!」


 ポリーヌが羽織っていたマントをひるがえし、仰々しく作戦開始の合図をしようとする。だが、


「お待ちください!」


 索敵班の声がそれを遮った。


「どうした?」


「シュトゥットガルトの後方から、無数の飛行物体が迫ってきます! サイズからAMと推測されますが……」


「ふん、最後の抵抗というわけか。構わん、どうせ我々のはるか下を飛び回ることしかできん小蝿コバエどもだ。無視していい」


「い、いえ……それが……」


「なんだ」


「敵らしき機影の高度は、この艦とほとんど変わりません。それどころか、なおも上昇を続けています!」


「なんだと!?」


「な、なんですってぇ?」


 ポリーヌとアネットがほぼ同時に声を上げた。二人が改めてモニターに目をやると、ようやく見えはじめた黒い点はたしかに山々のはるか上を飛んでいる。


「どういうことだフォッカー博士! 敵は我々と同じ高さまで上がれる技術など持っていなかったはずではないのか!?」


「そ、それは……」


 ポリーヌの叱責を受けてアネットは混乱した。スパイに盗ませてきた設計図を見た限り、敵が開発中だった新型機はどう考えても自分たちと同じ高度まで上がってこれるような代物ではなかったのだ。


「索敵班! もっとカメラの倍率を上げて、敵の姿をよく見せて!」


 叫ぶようにアネットが命令し、カメラがさらにズームされる。そして映し出された敵機の姿を見た瞬間、彼女は目を見開いて固まった。


「な……!」


 彼女が見たのは、本体の倍ほどもある大きなプロペラで飛ぶAMの姿だった。いや、あれはただのプロペラではない。自分がヒンデンブルグ号に装備した細身のローターブレードを、そっくりそのままスケールダウンしたものではないか。


「ま、まさかあのガキ……私の開発したロータブレードをパクったっていうの?」


 アネットの体がわなわなと震えはじめる。そして彼女は片足をふっと持ち上げると、床を踏み抜かんばかりに靴底を叩きつけた。


「な……なんて恥知らずなことをぉぉっ! あいつには技術者としてのプライドってもんがないのぉっ!?」


 アネットが激昂げっこうして叫ぶが、彼女はそもそも自分とトマサ・ソッピースとの決定的な違いが分かっていない。自分の主義や設計思想を貫くためならパイロットへの危険性などいとわないアネットに対し、トマサは仲間の生命を守るためならばあらゆるこだわりを捨てることができるのだ。


「……どうすべきかなフォッカー博士。同じ高度まで上がってきたということは、この艦への攻撃手段も用意してきたと見るべきだと思うが」


 ポリーヌが冷徹そのものの表情でアネットを詰問きつもんする。ここで彼女の信頼を失えば、ゲルマニアで築き上げてきた名声の全てが失墜しかねないと思わせるほど冷めきった目つきだ。


「だ、大丈夫ですわ。この艦は元々敵が飛行型AMを開発してきた場合に備えて、それ以上の高度からAMを発進させるために造られたものです。四十機もの巨大ローターブレードによる上昇力はあんな機体の比ではありません。管制官、機関室に連絡を! 艦をさらに上昇させるのよ!」


 よほど焦っているのか、アネットの声はいつものように間延びしていない。

 彼女の指示を受けた管制官が伝声管を通じて機関室へと連絡すると、ヒンデンブルグ号の高度がぐんぐんと上がっていく。両軍の高度差はみるみるうちに開いてゆき、再びゲルマニア側が上をとる形となった。


「これで心配ありません。AM部隊を出撃させ、さらにこの艦からも空爆を行えば、敵の飛行部隊も下の町も同時に攻撃できますわ」


「うむ……こうなっては多少町に被害が出るのもやむを得んか。私の野望のため、そして帝国のため、シュトゥットガルトには灰となってもらおう。渡り鳥部隊を出撃させよ! 敵のAM部隊を撃破し、連合軍を壊滅させるのだ!」


「了解!」


 管制官が格納庫内に出撃の指示を伝えると同時に、船体下方の発進口がゆっくりと開いていく。すでに準備を終えていたAM部隊は、左右に大きく両腕を広げて発進体勢に入った。


「クリスチャンセン中尉、頼むわね」


「分かっています。私がここにいる限り、大尉たちの出入りは誰にも邪魔させません」


 ローラに発進口の守備を命じられたフリーデリーケは、ただ一機膝立ちになって愛用の八十八ミリロングレンジキャノンを構えた。もしも敵が味方機の発着を妨害しようとすれば、彼女が狙撃してそれを撃ち落とすのだ。


「今日こそ連合軍と決着をつける……全員、行くわよ!」


「「「了解!」」」


 ヴィルヘルミナの号令と同時に、九機のアルバトロスD.IVが一斉に走り出す。そしてスロープ状になった発進口から滑るように飛び出した機体は、下から迫り来る敵のAM部隊へと襲い掛かった。

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