第1話 新たなる火種

 1.新たなる火種



 ゲルマニア帝国の首都、ベルリンは数日前から春の陽気に包まれていた。宮殿では窓がみな開け放され、廊下に陽光が入り込んでいる。

 暖かい空気に包まれた石畳の廊下に、暑苦しい軍服に身を包んだ一人の女性が歩いていた。女性というには少し若すぎる気もするが、少女というには大人びている。

 女性は廊下の奥で足を止め、腰まである長い金髪を軽く整えると、目の前にある分厚い木製の扉をノックした。


 ―― コンコン ――


「ローラ・フォン・リヒトホーフェン大尉であります!」


「来たか、入れ」


「失礼いたします」


 部屋の主に招かれたローラが扉を開き、中へと足を踏み入れる。

 十五メートル四方ほどの部屋にはマホガニー製の大きな机や高級そうな棚、中世の甲冑などの調度品が置かれていて、それなりに身分の高い人物の部屋であることがうかがえる。ローラは部屋の中央まで進み、奥に座っている人物に向かって敬礼した。


「急な召還しょうかんで申し訳ないなリヒトホーフェン大尉。東部の戦況はどうだ?」


 豪華な椅子に座った三十代半ばと思われる女性が目の前の机に肘をつき、祈るように手を組んでローラに問いかける。

 彼女の名はポリーヌ・フォン・ヒンデンブルグ。クリンバッハ城陥落の遠因えんいんにもなった叙勲じょくん式を強行した責任を問われ、総司令官の座を追われたエーリカ・フォン・ファルケンハインに代わって現在ゲルマニア軍を指揮している将軍である。


「新ロシア帝国の連中は雪中でのAMの運用に慣れておりますが、逆に雪がない場所での高速戦闘には不慣れです。すでに我々『ティーガーズ』によって敵のAM部隊は壊滅状態……歩兵部隊はミンスクにまで迫っています。このまま戦況が推移すいいすれば、夏までには確実にモスクワを落とせるでしょう」


「そうか……!」


 蛇を思わせるポリーヌの鋭い目が大きく見開かれる。


「これで後顧こうこうれいなく連合軍への反攻作戦を開始できる。君を『ティーガーズ』の隊長に任命したのは正解だったようだな」


「恐れ入ります」


 ローラはクリンバッハ城が連合軍に奪還された戦いから半月ほど経った頃、かつてマクシーネ・インメルマンが率いていた『トルッペン・ダス・ティーガーズ』(虎部隊)の隊長に任命された。そして今ではマクシーネの任務もそのまま引き継ぎ、東部戦線で新ロシア帝国と戦っている。

 軍が特に勲功くんこうがあったわけでもない彼女を大尉に昇進させたのは、『ティーガーズ』の隊長就任に際してはくをつけさせるための戦時特例にすぎない。しかし右脚を失ったマルグリットがAMパイロットとして再起不能となり、副隊長だったエルネスティーネも戦死した今、彼女こそが次代のエースであることは誰の目にも明らかだった。

 前回の敗戦はローラが敵の策に乗り、一人でこっそり動いていたウィルメッタ・バーカーを城へと向かわせてしまったのが直接の原因である。だがゲルマニア軍でそれに気付いた者は彼女自身を含めて一人もいないため、彼女の新隊長就任に異を唱える者は誰もいなかった。元々のリーダー格だったゲルトルート亡き後、ともに戦ったテオドラやヴァルトラウトが強く推薦したこともあり、他のメンバーもみな彼女を快く受け入れている。


「さて……本題に入ろうか。君たちティーガーズを東部戦線から呼び戻したのは他でもない、連合軍への反抗作戦には君たちにも参加してもらおうと思ってな」


「あと一押しでロシア帝国の息の根を止められるというのに、東部戦線を放置してもよろしいのですか?」


「君たちの働きでAM部隊が壊滅したというのなら、後は歩兵部隊に任せておけばいい。それよりも、間抜けなファルケンハインのために失った領土を回復する方が先決だ。フフ……今まで連合軍に貸しておいた土地を返してもらうとしようじゃないか。運び込んだ武器弾薬や食料を利子代わりに付けてもらってな」


「了解しました。それで、我々は一体どこへ向かえばよろしいのでしょう?」


「ポツダムだ」


「はっ? ポツダムは郊外の町ですが……」


「ポツダムでは現在、連合軍へ起死回生きしかいせいの一撃を叩き込むための切り札となる兵器を開発している。そして先日、フォッカー博士の設計した新型AMがいよいよ完成した。君たちはポツダムに行き、まずはそれを受領するのだ」


「フォッカー博士の開発した新兵器……」


 ローラが機械人形のように抑揚よくようのない声でつぶやく。かつて司令部が全幅ぜんぷくの信頼を置く“それ”を打ち破られて散々な目にった身としては、『アネット・フォッカーの新兵器』と言われてもいまいち信用できないのだ。


「明日、部下たちを連れてすぐに向かってくれ。後から私も行く」


「はっ!」


 ローラが再び敬礼し、きびすを返してポリーヌの部屋を後にする。

 いくら自分が不安を抱こうと、司令部に『これを使え』と命令されればそれで戦うのが軍人だ。ローラは開き直ったかのように真っ直ぐ前を見据えると、力強い足取りで廊下を歩いていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る