第58話 毒を振り撒く黒い薔薇
58.毒を振り
マルグリットはすでにこの戦いの敗北を悟っていた。城が陥落したのは火の手を見れば明らかだし、敵が城に辿り着いたということは東西いずれかの部隊が破れたということだ。そこに向かった部下たちはもちろん、最愛の妹であるローラも無事かどうか分からない。
自分の周りにいる戦力だけを見ても、ほとんど無傷なのはエーリカただ一人。ヘルミーネとブリュンヒルデは撃破こそされていないものの、下で連合軍に取り囲まれているせいで味方の爆撃を
「もはやこれまでか……全員、退却だ! 城が落ちた今、このままここで戦っても我々に勝利する
「悔しいですが……そのようですわね」
「や、やった! もう逃げていいんですね?」
「まったく……危うく撃破されるところだったわ」
「こうなれば東のヴァイセンブルクへ向かい、そこからさらに塹壕を越えて本国まで撤退しよう」
「仮にウーデット大尉の部隊が敗北していたとしても、敵はそこから城へと向かったはず。ならば今、ヴァイセンブルクに敵はいないはずですわね」
「うむ……やつらも無事だといいのだが」
「よろしいのですか? 西に向かったローラ中尉を助けに行かなくても……」
ヴィルヘルミナはマルグリットがどれだけローラを
「城が陥落した以上、西に向かった部隊はそこでの戦いに勝っていたとしても北に向かって逃げたはずだ。逆にもし地上部隊が敗北していたなら、そちらに我々の退路はないということになる。ここはローラを信じ、無事でいてくれることを祈るしかあるまい」
「……了解しました」
マルグリットには隊長として部下の命を預かる責任がある。役立たずどころか足手まといになったくせに偉そうなヘルミーネたちはともかく、ヴィルヘルミナやエーリカを安全に退却させるため、彼女は私情を殺して東側へ向かうことを決断したのだ。それを察したヴィルヘルミナは、マルグリットにそのような決断をさせてしまった自分の
「少佐、やつら逃げるつもりですよ。追いますか?」
「…………」
エダに判断を迫られたルネは一瞬迷った。すでに城を落としたのだから作戦目的は完遂されたと言っていい。このまま敵のAM部隊を逃がしても、ゲルマニア軍をWEUの領土内から完全に追い出すことはできるのだ。しかし死に体の敵を追撃しないというのも、先のことを考えれば
「……追撃しましょう。どうせ城に向かうには東西どちらかの道へ回らないといけないんだし、このままヴァイセンブルクに着くギリギリまで敵を追い込むわよ」
「「「了解!」」」
ルネの命令を受け、連合軍のAM部隊がマルグリットたちに襲い掛かる。ゲルマニア軍では各国のエースを寄せ集めて作った連合軍の部隊を“ハイエナ部隊”と呼んでいたが、今追ってくる敵の動きはまさに訓練された猟犬そのものだ。
「くっ……これでは着陸の隙がない!」
マルグリットとヴィルヘルミナはかなり高度を落としており、そろそろ着陸態勢に入らなければいけない状況だ。しかし背後から迫ってくる連合軍の銃撃があまりにも激しすぎるため、真っ直ぐに飛ぶことができない。かといって機体を左右に旋回させて銃撃をかわすのも、これ以上高度が下がってしまえば不可能というジレンマに
まだ高度に余裕のあるエーリカはともかく、地上を走るヘルミーネとブリュンヒルデもかなり追い込まれていた。フライヤーユニットをパージしたことでアルバトロスD.II本来のスピードが発揮できるようにはなっているが、敵の銃撃を防ぐためにバック走を余儀なくされているので、いつ障害物に
「きぃぃっ! なんで私のほうに一番多く敵が寄ってくるのよぉぉっ!?」
“毒薔薇”などと
「ええい、いい加減にしてよもうっ!」
―― ズダダダダダダダダカカカカカカカ………… ――
「ええっ? た、弾切れぇぇっ!?」
ガンランスの裏側にはベルト状の弾帯がびっしりと仕込んであり、四連装になった銃口から放たれる弾の消費量を十分にカバーしている。しかし先ほどまでの戦いに加え、四機もの敵を同時に相手取っての撤退戦でとうとう弾が
こうなってはもはや反撃はできないが、多少なりとはいえ敵の銃弾を弾くことができるガンランスを下ろすわけにもいかない。敵に背を向けて左右にスウィングしながら逃げたところで、四機相手ではたちまち蜂の巣にされてしまうだろう。ヘルミーネの命運はここに尽きたかに見えた。
「な、なにか……なにか他に使える武器はないの? そ……そうだっ!」
そのとき、ヘルミーネの脳裏に悪魔のごときひらめきが起こった。よく考えれば単純な話なのだが、敵が全力で追いかけてくる今の状況においてはかなり恐ろしい思い付きだ。彼女は背中のフックにガンランスを引っ掛けると、エダたちに背を向けてフルパワーで加速した。
「な、なんだぁ? あいつ、諦めてヤケクソになったのか?」
「リッケンバッカー中尉、気をつけて。あの女のことです、なにをしてくるか分かりませんわ」
ヘルミーネの機体が腰に当てた両手を前後にスライドさせる。すると腰の左右に装着されていた爆弾入りの箱が外れ、彼女はそれを腰からケーブルが繋がったまま肩の高さまで持ち上げた。まるでスカートの
「ウフフフフフ……連合軍のみなさぁん、ご機嫌よう。そして……さようなら♪」
ヘルミーネがにやりと笑みを浮かべ、別れの言葉を
―― キュドドドドドドドドドォォォン!!! ――
「うわぁぁぁぁっ!?」
「きゃぁぁぁぁっ!?」
「わー!」
「んにゃぁぁぁぁっ!?」
エダたちは目の前で突然起こった大爆発に巻き込まれ、危うく吹き飛ばされそうになるのをなんとか
「ち、ちくしょう! なんてことしやがるあの毒薔薇女!」
「あっはははは! ざまぁ見なさい!」
ゲルマニア軍が箱の中に詰め込んできたのは、ほとんどが接触信管で爆発させるタイプの爆弾だった。そんなものをわずか四メートル足らずの高さから地面にばら
理屈だけ聞くと簡単そうにも思えるが、これは誰にでもできる芸当ではない。軽量・高機動のアルバトロスD.IIに、バレーボールほどもある豊満な胸を持つパイロットが乗ってこそ成せる
「エダちゃん! みんな、大丈夫!?」
「だ、大丈夫。一応全員無事です。けどガンブレラがやられて……これ以上の戦闘は無理ですね」
「無理しなくていいわ。追撃はここまでにしましょう」
「ま、待ってください少佐!」
「アーティちゃん?」
「ここで敵を逃がしたら、次も勝てるかどうか分かりません。今が絶好のチャンスです。せめて隊長のリヒトホーフェンだけでも私たちで倒しましょう!」
昨日ヴィルヘルミナと別れてから、アーサリンはずっと彼女を救う方法がないかと考え続けていた。もちろんヴィルヘルミナは軍を抜ける気など毛頭ないだろうが、それならば彼女が死なないうちに軍やゲルマニアという国そのものを倒してしまえばいい――アーサリンはそう結論し、そのためにも今回の戦いで必ずマルグリット・フォン・リヒトホーフェンを倒すと心に決めていたのだ。
ヴィルヘルミナをゲルマニア軍の呪縛から解き放ちたいアーサリンにとっては、まさに今がマルグリットを倒す絶好のチャンスだ。手負いの獅子をここで狩ってしまえば、連合軍がゲルマニアに勝利する日は確実に近づく。
「……そうね。アーティちゃんの言うことも一理あるわ」
「じゃあ……!」
「ええ、リヒトホーフェンにはここでとどめを刺しましょう。エダちゃん、私はアーティちゃんと二人で敵を追うから、他のみんなは後からゆっくり付いてきて」
「了解しました。アーサリン、死ぬんじゃねえぞ!」
「はいっ!」
全速力で逃げたヘルミーネと空を飛んでいるエーリカはすでにかなり先を行き、ブリュンヒルデもそれに続いていた。しかしAMがジャンプできれば届きそうなほど中途半端な高さを飛んでいるマルグリットとヴィルヘルミナだけは加速できず、ちょうど狙いやすい位置にいる。
アーサリンはガンブレラを構え、マルグリットが乗る赤いアルバトロスの背中に向けて狙いをつけた。
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