第43話 リンドウの花
43.リンドウの花
アーサリンは必死でヴィルヘルミナの機体を追ったが、元々飛行スピードの速いアルバトロスに地上を走って追いつくことはルネでも不可能だ。ましてや全速力でもトライプの平均速度を出すのがやっとのアーサリンでは、みるみるうちに離されていく。
「くっ……私じゃとても追いつけない」
とはいえ、戦場でヴィルヘルミナと一対一になれるなど
―― スタタタタタン! ――
弾丸は当たりこそしなかったが、アルバトロスの足元を
「攻撃? 誰だ!?」
「あの派手なやつか……見慣れない機体だが、パイロットは一体誰だ?」
「ミーナちゃん! 私だよ、気付いて!」
アーサリンは防弾傘を背中側に回して可動式アイカメラを上空に向けると、モニター横のスイッチを操作した。するとAMが稼動状態であることを示すカメラの光がチカチカと点滅する。
「……なんだ? モールス信号か?」
これは本来なんらかのトラブルで無線が使えなくなった場合、味方同士で意思の疎通を図るための方法だ。だが信号は言葉そのものではなく、無線の周波数を自分と同じものに合わせろという合図を送っていた。
「一体どういうつもりだ……敵である私になにか話そうとでもいうのか?」
そのとき、アーサリンの正面を横切ろうとしたヴィルヘルミナは、トライプの肩に描かれたものを見て戦慄した。
「あ、あれは……!」
そこに描かれていたのは、一輪のリンドウの花だった。地味な花と言われる青いリンドウは、パールピンクの機体の肩で
「あのエンツィアン(リンドウのドイツ語名)のエンブレム……まさか、アーティなの?」
リンドウの花には、二人の間だけに通じる思い出があった。それは、かつてヴィルヘルミナがノースアメリカに住んでいたときのことである――
「うえぇぇ~ん! みんなまってぇ~! おいてかないでぇ~っ!」
崖の上で幼い頃のアーサリンが泣いていた。村の子供たちと森を探検して遊んでいる最中、怖くて崖を下りることができなかった彼女は一人置き去りにされたのだ。
崖といっても宅地造成のために丘が削られただけの段差で、高さはせいぜい二メートルぐらいしかない。だが五歳のアーサリンにとって、それはまさに切り立った断崖絶壁にも等しいものだった。
「……そんなところでなにしてるの?」
「ふぇ……み、ミーナちゃん?」
崖の下を通りかかったのはヴィルヘルミナだった。移民として差別の対象にされていた彼女の家は、村の外れに
「うぇぇ……わ、わたし、ここからおりられなくて……みんなにおいてかれちゃって…………ううっ……ぐす…………」
「それぐらいのたかさ、とびおりればいいでしょう?」
「む、ムリだよぉ……こわいよぉ……」
「じゃあ、こっちにきたときのみちをもどればいいじゃない。そうすればこっちにおりてこられるでしょう」
「みんなについてきただけだから、みちがわかんない……」
ヴィルヘルミナは「ハァ……」とため息をつくと、両手を大きく広げてアーサリンを見上げた。
「アーティ、とびおりなさい。したでわたしがうけとめてあげるから」
「えぇぇっ!? む、ムリだってばぁ!」
「とびなさい!」
同い年のはずなのに、ヴィルヘルミナはまるでアーサリンの母親のように
「う……うぅぅ…………うわぁぁぁぁっ!」
アーサリンは目を閉じ、全てをヴィルヘルミナに託して――飛んだ。
―― どさり ――
「んっ……」
ヴィルヘルミナはアーサリンを受け止め、そのまま後ろに倒れ込んだ。柔らかい土の地面だったため、どちらにも怪我はない。ただヴィルヘルミナの服が泥だらけになってしまっただけだ。
「ほら、だいじょうぶだったでしょう?」
体を起こしたヴィルヘルミナがアーサリンに微笑みかける。
「う、うん……ありがとうミーナちゃん。あ……ミーナちゃん、せなかがどろだらけになっちゃった……」
「こんなのべつにいいわ。あなたがひとりでもりをうろついてまいごにでもなったら、むらのひとたちみんなでさがさないといけないでしょ。そんなめんどうなことになるよりましだとおもっただけ」
「ううん、ほんとうにありがとう。ミーナちゃんはいつもわたしをたすけてくれるんだね」
「…………」
ヴィルヘルミナが照れくさそうに顔を逸らす。
「そうだ! おれいにミーナちゃんにいいものあげるね」
そう言って、アーサリンは腰のポケットから一輪の花を取り出した。秋に咲く青い花――リンドウである。世界中に分布する花ではあるが、この地方では珍しい。
「これって……」
「きょうのあさ、ママにもらったの。きれいでしょう?」
「うん……」
「このおはなってね、ジェンシャン(リンドウの英語名)っていうんだって」
「ジェンシャン……」
「はなことばは『悲しんでいるあなたを愛します』とか、『あなたの悲しみに寄り添います』だって。ママが『あなたもお友達が悲しい思いをしていたら、それに寄り添ってあげられる優しい子になりなさい』って。だからわたしもミーナちゃんがさびしいときやかなしいときは、ぜったいにたすけてあげるからね」
「アーティ……」
そしてヴィルヘルミナの一家がゲルマニアに帰国するまでの約八年間、アーサリンはその言葉を守り続けた。他の子供たちがヴィルヘルミナを移民の子として差別し、迫害にも近い扱いをしていたときにも、アーサリンだけは彼女に分け隔てなく接し、無二の親友として寄り添い続けたのだ。
そんな二人にとって、リンドウの花は友情の証ともいえる特別な意味を持つものだった。
「(そんな……どうしてアーティがAMのパイロットなんかに……いえ、まだ本当にアーティかどうかは分からない)」
ヴィルヘルミナは無線の周波数を相手が示している値に合わせてみた。これはゲルマニア軍のものとも連合軍のものとも違う空き回線のものだ。
「…………ナちゃん………………ミーナちゃん!」
無線の向こうから声が聞こえてくる。自分を愛称で呼ぶのは両親を除けばただ一人しかいない。やはり目の前のトライプに乗っているのはアーサリンだ。
「アーティっ!」
「ミーナちゃん! よかった……通じた……」
「アーティ、一体どういうつもりなの!? なぜあなたがそんなものに乗って……私と戦いたくないなら軍を抜けなさいと言ったでしょう?」
「駄目だよミーナちゃん! ゲルマニア軍なんかにいちゃ駄目! ゲルマニアは連合軍だけじゃない、世界中を敵に回してるんだよ? そんなところで軍人なんかやってたら、いつかミーナちゃんが死んじゃう!」
「それはこっちの台詞よ! あなたみたいな子がAMのパイロットなんて、死ぬつもりなの!?」
「私はミーナちゃんを止めるためにAMパイロットになったの。だからミーナちゃんがゲルマニア軍を辞めない限り、私も絶対にAMパイロットは辞めない!」
「なにを一人よがりなことを……あなた、私がどうして軍に入ったか知っているの? 家族のためよ!」
「えっ……」
「私の両親はゲルマニアに帰国してからも、前に敵国にいたというだけで移民と同じゲットー送りにされた……ノースアメリカにもゲルマニアにも、どこにも私たち家族の居場所なんてなかったのよ。けど、軍に入って戦果を上げればそんな扱いも変えられる……だからこそ私はゲルマニア軍に志願したの」
アーサリンはヴィルヘルミナの言葉に衝撃を受けた。ゲルマニアに帰国した後、彼女やその両親がそんな扱いを受けていたなどとは考えもしなかったのだ。
「そしてリヒトホーフェン大尉がAMパイロットとして見出してくださったおかげで、私はプール・ル・メリット勲章を贈られるほどの実績を残せた! 両親はゲットー暮らしから解放されて一等市民にまでなれた! その私が今さら軍を抜けたりしたら……私たち家族はどうなると思ってるの!?」
アーサリンはそれ以上なにも言えなかった。ヴィルヘルミナがただ英雄リヒトホーフェンに憧れて軍に入ったというなら、そのリヒトホーフェンを倒してでも止めるつもりだった。しかし家族のためと言われては、自分に彼女を止める権利があるとはとても思えない。
「それでもまだ邪魔をするというなら、私はあなたでも容赦しない。今回は見逃してあげるけど、次に戦場で会ったときには殺すつもりであなたを撃つわ」
そう言い残し、ヴィルヘルミナはケッフェナッハの方角へと飛んで行った。
「ミーナちゃんっ!」
元々スピードでは向こうがはるかに上である。その場に残されたアーサリンは、飛び去ったアルバトロスの背中を
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