第33話 手紙の向こう側

「既成事実ってのは、もっと大人で狡いことが出来る奴がするもんだ。」

 う…まさにそういう場面を潜り抜けてきた人の意見っぽい。

「ちょっと待ってろ。」

 ケイちゃんはベッドから抜け出すと机の方へ行ってしまった。寂しく思って、出て行ってしまわないかと心配もしたりしてみたけれど、それは無用な心配だった。

 何かを手にしたケイちゃんはまた隣に寝転んだ。

「ほら。これはもうココに渡すよ。ココの物だ。」

 何か手帳のような物を渡されて、キョトンとしていると、隣からページをめくられた。

 そこには『ここあちゃんに つたえたい たくさんのこと』と書かれていた。

「これ…。」

 隣で優しく微笑むケイちゃんがページをめくってくれる。そして途中に挟んであった何かが顔に降ってきた。

「痛っ。え…これ…。」

「あ、いや。それは…。」

 困った様子のケイちゃんだったけれど諦めたように黙ってしまった。私は落ちてきた物を手に取って確認する。

 封筒…。それはママからの手紙。

「そっか。ケイちゃんが書いてくれてたんだもんね。」

 定期的に届く優しい手紙。

「そういえばどうして毎回ひらがな?」

「頭足りなさそうだったからな。」

「え!ちょっとそんな理由!?」

 またクククッと笑うケイちゃんはどうしちゃったんだろう。優しかった。

「愛子さんからってことになってたし。急に漢字を使い始めたら変だろ?亡くなる前に書き溜めたって設定だったし。」

 そっか…。そうだよね。

 ペラペラとめくるとまた何かが降ってきた。何これ。私を懲らしめるための仕掛け?

 そんなことを思ってケイちゃんを盗み見ると目を丸くしていて、ケイちゃんが仕掛けたわけじゃなさそうだ。

「それは…ダメだ。」

 私の手から奪い取ろうと手を伸ばしたケイちゃんは私にまた覆い被さりそうになって、バツが悪そうに隣に戻った。

 小さい声で「隣に寝たままとか…おかしいだろ」って声が聞こえたけど、それケイちゃん次第だから!って笑えてしまった。

「これ…。」

 ケイちゃんが必死に奪おうとしたのは、字を練習した紙だった。書いた字に丁寧に赤ペンで直しがあったり花マルがあったり。

「ママとの…。」

「あぁ。手紙を出すんだから完璧に同じ字にならなきゃな。」

 そこまで頑張ってくれてたなんて…。しかもママにってことは、まだ小さい頃からだ。

「その頃はよく理解もしないままココに愛子さんの代わりに手紙を出すんだってワクワクさえしてた。…馬鹿だよな。」

「馬鹿だなんて…。」

 隣からつらそうな声が続いた。

「最初のうちはココへ送る言葉が温かくて俺も励まされた。でも…。」

 でも、なんだろう。ママのことだもん。私へママの代わりを頼んでケイちゃんに手紙を送らせたのも、ケイちゃんのためもあったのかも。あの手紙は私へと言いつつ、ケイちゃんへの言葉でもあったんだ。

「愛子さんは…もう居ないんだ。俺はそれを忘れたかった。」

 え…。

「でも手紙を出さなきゃいけなくて…忘れることは許されなくて……憎んだ時もあった。」

 ケイちゃんにはやっぱりつらいことだったんだ。私は能天気にただ喜んでいただけなのに。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「俺は家族でもなんでもない。ここにいる必要のない人間なんだ。」

 ケイちゃんの悲痛な声は胸を締め付けて、ケイちゃんをギュッと抱きしめてしまった。

「必要ないなんて…。私には必要な大事なお兄ちゃんだったよ。それにすごく大切な手紙だった。いつも嬉しかった。ママがいなくなって寂しかったのに手紙が来て…本当に嬉しかった。」


 心愛の温もりが伝わって、悲しい気持ちや情けない気持ち…今まで蓋をしていた気持ちがないまぜになる。

「俺も…悲し…かった。寂しかった…。愛子さんが………いなくなって。」

 言葉にしてしまったら、止めどなく溢れてきて、腕を回された心愛にギュッと抱きついた。


 大きな背中を震わせて嗚咽を漏らすケイちゃんが小さな子供のように思えてギュッと抱きしめずにいられなかった。

「俺には…悲しむ資格はない…。」なんて漏らすケイちゃんをたしなめる。

「ママはケイちゃんに悲しんでもらえて嬉しいと思うよ。」

 その言葉を聞いて「うぅ…」とまた肩を震わせた。

 弱い部分なんて見せたことないケイちゃん。きっと私以外の人にもそうだったんだろうな。

 鋭い目つきで人を寄せ付けないで、一人で生きていこうとしていたのかな。一人で生きていくって、どんなにつらいことなんだろう。

「あの…。私じゃ頼りないとは思うんだけど、ケイちゃんの側にいるから。その…それはダメなのかな。」

 頑なに出ていくって言っていたケイちゃん。それがどうしてなのか…。

「俺は…ココには相応しくない。」

「だから…何が?相応しいかどうかなんて私が決める!」

 ハハッとまた乾いた笑いをされて、いささかムッとした。


 佳喜は優しい温もりをくれる心愛を愛おしく思っていた。

 ココのためと言いつつ自分が救われるとか…。なんて滑稽なんだ。

 最初は心愛のためのお兄ちゃんだった。なのにいつからか何か理由をつけて側にいたいと思ってしまっていた自分のためだったのかもしれない。

 お兄ちゃんなら側にいられる。家族が大切な心愛。自分のことをブラコンとまで言った。

 兄妹なら何があっても一緒にいられると思っていた。それなのに…。

 もう今さら兄妹には戻れない。

 そして本当の自分では心愛の側にいられない。

 分かってる…。ココの幸せにお兄ちゃんじゃない俺は必要ないんだ。

 佳喜は自分の想いと決別すべく、口を開いた。

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